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変容と思考のための「時間」 〜オードリー・タンさんの言葉と筆談カフェからの気付き

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日はちょっと、変化や思考のためには「時間」が大事、という話を書きたいと思います。


「批判」が石の投げ合いにならないために

ジェンダーギャップのあるイベントに登壇しない宣言をしたり、議員会館で文化庁の方への要望をお伝えしてきたり、最近はちゃんと変えたほうがいいな、と思ったことに対しては声を挙げたり、小さくてもアクションをするようにしています。

そういう声を挙げることは「批判」であり、「批判」ってともするとネガティブに捉えられがちだとおもうのですが、僕は「批判」というのをネガティブには捉えていません。それが相手を貶めようとするのでない限り(←それは「批判」ではなく「中傷」です)、「批判」は社会をアップデートしていく原動力になると考えるからです。

しかし、こうした「批判」が誰か特定の個人をすごく追い込んだり、石の投げ合いみたいになってしまうこともあります。

インターネット上、とくにTwitterのようなマイクロ・コミュニケーションでは、売り言葉に買い言葉になり、感情的な傷つけ合いに至ってしまうこともあり、お互いに相手の意見を理解しようとせず、拒絶と自己正当化のために相手を「論破」しようとしてしまう。そういうのを目にするととても残念に思いますし、どうしたらいいんだろう、と考えてきました。

そういう、対立構造にならずに前向きな「批判」が可能になるためには、「時間」がカギなのではないか、という気づきをいただいた話です。


オードリー・タンさんの「時間を与える」という考え方

僕はオードリー・タンさんを大尊敬しているのですが、先日、Voicyをきっかけにオードリー・タンさんの書籍を書かれている近藤弥生子さんという方とつながり、近藤さんが執筆されたオードリータンさんについての書籍『まだ誰もみたことがない「未来」の話をしよう』を拝読しました。

その中に、「批判」の仕方について大きなヒントになることが書かれていました(強調は引用者)。

ですから大切なのは、指摘する側が相手に対応できるだけの時間を与えるということではないでしょうか。普段、私たちがウェブサービスで何かしらの欠点を見つけた時には、相手に一定の作業時間を与えたうえで、修正してもらいたいと伝えます。たとえばその期間が1か月だったとして、相手がその期間内に対応してくれない場合は、やむを得ずインターネット上の公開された場でその欠点を指摘します。そのウェブサービスの利用者を保護するために仕方なくそうしています。でも相手が修正作業をしているのであれば、こちらが指定した期限に関係なく、作業が終わるのを待つことができます。そうすれば彼ら自身も「これこれこういった問題を解決しました」と自分の口で説明することができますし、そのサービスの利用者にもさらなる損失を与えずに済みますから、それが最もよい形ですよね。

オードリー・タン,近藤 弥生子. まだ誰も見たことのない「未来」の話をしよう

(↓の著者近藤さんによるVoicyがとてもわかり易くオードリータンさんの言葉を紹介されていて、すごく色んなヒントをもらえるのでぜひ聴いてみてください)

これを読んで僕ははっとしました。そうか、大事なのは「時間」なのだ、と。

子育てにおいても、子供の行動に対して(なにかを考えてほしくて)指摘して、でもそれが本人にはすぐに伝わらない時があります。そしてそういう時「なんでわかんないんだよ!」って叱りたくなってしまうこともあるのですが、そうすると子供の方もムキになって余計に伝わらないというか、考えてもらえないんですよね。

考えてみれば、意見がちがったり、それまでに考えてもいなかったことに気づいて、改めてそれを思考するのって大きな「変化」であり、それには時間が必要なんですよね。

これを「時間」を与えずに指摘してしまうと、「自分ごと化」する余裕もなく、ただ「あなたは間違っているから直せ」と一方的に要求されている感じに近くなります。

先程のインターネット上の「批判」においても、それが石の投げ合いになってしまうのは「時間」が与えられないからかもしれません。Twitterはマイクロ・コミュニケーションであり、「書く」のも「読む」のも、それに対して「返信」するのもすべてが短時間でなされてしまうため、余計にただの「否定」合戦になってしまう。

もし、相手の言葉を受け止めたり、それに対して返信するのに「時間」がちゃんと置かれるようになれば、コミュニケーションの質は変わってくるのではないでしょうか。


「筆談カフェ」で感じた「遅いコミュニケーション」の力

先月、三重の桐林館というところにお招きいただいてしばらく滞在してまいりました。築100年の小学校を活用したカフェで、めちゃくちゃ素敵な時間が流れる場所なのですが、

ここに『筆談カフェ』という場所があります。そのカフェの中では声を出してはいけず、筆談でしか話せないというユニークなカフェなのですが、「筆談」というコミュニケーションと「文字」の可能性について改めてとてもたくさんの気づきをもらいました。

滞在中、筆談カフェを運営するぱっちさんこと金子さんと、加藤さん、柴田さんのmojiccaのお三方とトークイベントをしたのですが、その中でとても面白い話がありました。

それは、「筆談だと喧嘩にならない」という話。

筆談では、お互いに言いたいことを言い合っても(書きあっても)喧嘩になりづらい。

口頭のコミュニケーションってだいたい、相手が言いたいことを言い終わる前に「いやそれはちがう」とカット・インしてしまいますよね。すると言いたいことを「拒絶」されたと感じてどんどん発する方の言葉も強くなっていってしまう。

「言葉のキャッチボール」ではなく、投げられたボールを打ち返したり、あるいは相手がキャッチできないようなデッドボールのぶつけ合いになってしまう。

それが筆談だと、相手が書くまでちゃんと待って、最後まで相手の主張を読んでから、自分の発言をする。キャッチボールになっているんですね。それだけでなく、「書く時間」もあるので、それを読んでいる側も書いている相手の思考の時間軸に寄り添う時間があり、それもあって相互理解が進む。

トーク中、「同じ文字でもチャットツールだとむしろすれ違いの喧嘩になってしまうのはなぜだろう?」という話になったのですが、mojiccaの加藤さんが面白いことをおっしゃっていて、「チャットツールだと書いていてもその時間は見えなくて、結局最後にバン!って言葉が出る。そこに「時間」がない」と。

その話を受け、僕からドミニク・チェンさんのTypeTraceの例も挙げたのですが、たとえタイピングでも少しずつ文字が進んでいくと、書き手の息づかいみたいなのが感じられるんですよね。それを一緒になって読んで、書き手の感情の時間に寄り添っていく感じ。

(mojiccaのお三方とのトークについては↓でも話していますのでよかったら聴いてみてくださいませ)


オードリー・タンさんは「相手の話を最後までじっくり聴き、その後で自分の思考を巡らせる」ということを意識してらっしゃるそうなのですが、その話とも通じるなあ、と思います。


「変容」には発酵の時間が必要だ。

先日、友人の仲山進也がくちょと「わからん!」をテーマにした対談をしました。

「わかった」と「わからん!」を行き来する大事さについてお話したのですが、人間は自分が「わかる」ことしか認識しづらいという特徴があり、ダイバーシティやジェンダーのことも「アンコンシャス・バイアス」に気づくのはとても難しい。だからこそ「わからん!」ことも拒絶せずにその状態を受け入れることも大事、というような話をしていたのですが、イベントのあと、参加者の村上あすかさんがこんな素敵な感想を投稿されていました。

…そして、最後の最後に出てきた、わからないものをわからないまま一旦留めておく「わからん耐性」。
この耐性、ほんと、身につけた方がいいな、と。
私はこの耐性がなさすぎるな、と。
特に、相手の気持ちを理解しようと努めるけど全然掴めない時、もんどり打ってますからね。
人の気持ちなんて、別な人格である以上、わかるわけないのに。
最近ヤキモキして苦しいのはまさに、これだな、と。
わからないものを、わからないままにしておける耐性…どうやったら身につくかなあ。
まず「わからん耐性」というものがあると知ることから、ではあるのですが。

この「わからん耐性」、最近では「ネガティブ・ケイパビリティ」とも呼ばれたりしますが、何でも整理・分類してしまうのではなく、混沌のままに受け取る力のことで、ネガティブ・ケイパビリティがある方が「未知」に繋がりやすくなると思うのです。

なぜかというと、「分かってる」ことって「既知」だからなのですよね。

ふたたび、オードリー・タンさんの本から引用します。

でも、不安な気持ちこそが好奇心や新しい人や物事と出会う原動力になってくれます。
そんな時には、『Anthem』の一節 "There is a crack in everything. That's how the light gets in (すべてのものには裂け目がある 裂け目があるからこそ、そこから光が差し込むことができる) という言葉を思い出してください。
…(中略)…
私からの具体的な提案は、 「急いで解決しなくてもいいのではないでしょうか」ということです。通常、不安という感覚は好奇心と表裏一体です。急いでそれをなんとかしようとしても、辿り着けるのはごくありふれた答えでしかなくて、結果的に挫折や焦りを味わうことになってしまうでしょう。

オードリー・タン,近藤 弥生子. まだ誰も見たことのない「未来」の話をしよう

ここでも、大事なのはやはり「時間」です。

なにか新しいことがはじまる時、そしてこれまでの自分とはちがうものになる時、「変容」には時間が必要です。発酵するように、蝶が変態するように、そこでは一見停滞しているように見えて「時間」が仕事をしているのです。

逆に、相手にすぐ反省し改善してほしい!と焦って、時間をしっかり取らないとせっかくの「変容」の機会を殺してしまうかもしれません。そもそも「思考」するということには時間がかかります。その時間なしにすぐ「意思決定」だけを求めてしまうと、「思考」なく短絡的な結論にばかりなりかねないのではないでしょうか。

批判や改善点を伝える際、同じ言葉を伝えるにしても、お互いにそれを咀嚼して「思考」し、対応するための「時間」の余裕や余白を取ることは、それが一見遠回りに見えても実は一番の早道なのだな、「時間」を大事にしたいなと改めて思った話でした。


\告知/
この記事で引用した、『まだ誰も見たことのない「未来」の話をしよう』著者の近藤弥生子さんとVoicyで対談することになりました!6/26(日)日本時間21時〜。オードリータンさんのこともたくさん聞いてみたいと思っているのでよかったらぜひ!


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