ストックホルムのスタートアップ事情について教えてください。
ぼくはイタリアに30年以上住んでいますが、北欧について同じような経験はありません(2か所に長く住むのは無理だ!)。デンマークの企業と10年近くビジネス上のつきあいがあった。北欧の友人たちからそれなりの話を聞く。その程度です。ですから日経新聞の連載「成長の未来図・第3部 北欧の現場から」を興味深く読んでいます。
上記の座談会でまず目をひくのは、2人は一度は英国のロンドンで働いた経験がある、という点です。これは、ぼくが聞いているスウェーデン社会の特徴と合致します。
どのような特徴かといえば、「20代の息子がお父さんの給料と似たようなレベル」「医師と言えど、大した年収にならない」というフラットな社会に住んでいて「より競争のある社会で勝負してみたい」という人たちは一定数います。そういう人たちが英国などで挑戦するわけです(今は英国がEUから抜け出たので事情は異なりますが、EU市民はEU圏内であれば、どこでも自由に働けます)。
もちろん、そのまま英国にいることもありますが、ふと「こんなにあくせく働いて意味があるのか?」と感じる瞬間があり、その思いがじょじょに強くなると故郷に戻るとのパターンも一定の割合でいると言うのです。座談会のなかでのクリステンセン氏の発言は、その一例なのでしょう。
このエピソードから想起するのが、ストックホルム経済大学でリーダーシップなどを教えるロベルト・ベルガンティ教授の話です。ぼくは2017年、彼の著作『突破するデザイン』の日本語版監修を手掛け、その後、彼の唱える「意味のイノベーション」のエヴェンジェリスト的活動をしてきました。5年を経て、最近、ダイヤモンドオンラインで『「意味のイノベーション」で社会はどう変わるのか』という連載もはじめました。
2017年の頃、彼はミラノ工科大学で教えていましたが、2020年頃からストックホルムに拠点を移します。以前、コペンハーゲンのビジネススクールでも教えていたし、(北欧動向に接しやすい)欧州委員会のイノベーション戦略を検討する委員会のメンバーでもあったので、イタリア人としては前々から北欧文化の造詣に深い人であったといえます。
この夏、彼と一緒に東京に滞在していたのですが、彼はこんなことを言っていました。
フラットな社会を指し示すに相応しい表現です。このイメージが多くの北欧人が語るところで、北欧以外の人たちが北欧に対して抱くものでしょう。ただ、ベルガンティから以下のエピソードを聞いたとき、えっ!と驚きました。
ぼくは、この発言の裏を他の人からとっていないので、彼の上記のコメントを公表してよいかどうか考えました。しかしながら、ストックホルムにあるリアリティを反映しているのは確かでしょう。だいだい、このリアリティを裏書きする数値的なデータなど存在しないでしょうから、一つの挿話として紹介する意味があると思いました。
即ち、とてもフラットな社会でありながら、そのフラットさは人々が「平均的」に生活するために貢献する、または機能する。とすると、スタートアップも社会の質をあげることに動機や支援が集中しやすいのでは?と想像がいきます。すると、次の解説がしっくりときます。
ただ、普通は人脈の有無にかかわらずに生きられる社会において、なぜスタートアップでは特定のビジネスグループとの関係が鍵になるのでしょうか?パイが少ないところでは自由競争になりにくい、とのロジックが作動するのでしょうか?あるいは、下記にある行政の介入の度合いが、ある不透明さをつくるのでしょうか?
ぼくは答えをもっていないので、どなたかご存知の方がいれば教えて欲しいです。「特定のグループとの関係がものをいうというのは、自分が知っている現実と違う」との指摘でも結構です。
これは、いわゆる北欧モデルの礼賛への裏側を示すというより、逆にその「人間らしさ」にホッとするとの側面もあるかもしれません。
写真©Ken ANZAI