知能は数値化できるか?

 人工知能が話題になっているが、その実態を見たことがある人は少ないと思う。実は、目に見えて即物的に従来のソフトウエアとは違うところがある。しかも、これが知能の高さに関係しているのである。

実はAIでは、プログラムのサイズ(行数)が小さい。同じことをさせるのに書かなくてはならない、コードの記述量が少ないのである。そしてより高度なAIほど記述量は少なくなっていく。この記述量の違いは明確に数値化できる。

実際、私のところで開発し、案件で実用化しているAIのコア部分は1000行程度である。大変小さい。仕様が明確になってしまえば1週間で作れる。この同じ1000行の記述が物流の最適化に使われたり、金融商品の価格設定などに幅広く使われているのである。

従来のソフトウエアでは「この条件では、こう動作しなさい」と動作をすべてプログラムとして記述する必要がある。このため、複雑な動作や機能を持たせようとすると、その分コードの行数は10万行、100万行と複雑さにあわせて増えていく。これに対し、AIという新しい方法論では、個別問題や領域に依存する部分は主にデータが担い、多様なデータに対する統一的な動作を人が記述する。このため記述量が少なくなる。問題が複雑になっても、それを統一的に表現できれば、AIの記述量は増えない。複雑さに対し、フラットである。この意味で、AIにより従来の労働集約的なソフトウエア開発は全く異なるものになるのである。

これはITやAIの発展ではない。記述量の削減は、複雑な現象を、予測し、的確な判断を行うための、人類の知的能力、すなわち「知能」の高度化である。ひとつひとつ「この時にはこうしなさい」と個別具体的に記述するのが従来の(ソフトウエアに具現化された)人類の知能レベルとすれば、AIとして具現化された現在の我々の知能レベルは、1000行程度の一般原則を記述すれば、動作するような汎用性を獲得したわけである(*)。

もちろん今後ますますこの分野は発展する。すなわち、我々が、AI技術を高度化するに従い、同じ事象を予測し、制御するための記述量は、段階的に少なくなっていく。逆にいえば、人類がより少ない記述で複雑なことを記述できるようになるのが「知能」の本質で、知能は記述量(コード量)として定量化できるということである。

先週、直接お会いして議論していただいたディープラーニング(LSTM)の生みの親の一人である、ユルゲン・シュミットフーバー教授は、AIの汎用性が高まると、究極的には、記述量は「10行になるだろう」と話していた。「宇宙と世界の森羅万象を予測し、的確な判断を可能にする記述が10行で表される」というのだ。これができれば究極の知能を表現する記述となるだろう。教授の言葉を借りれば、「ビッグバン以来の130億年を経て、今我々は宇宙に知能が生まれる歴史的な瞬間に立ち会っている」。

これは荒唐無稽のように思うかもしれない。しかし、科学の発展を考えるとそうでもない。以前は、リンゴ、月、やり投げはそれぞれに別の分野(果物、天体運動、武術)で、分野毎に知識が膨大に存在して、膨大な記述量が必要だった。しかし、ニュートン以降は、これらはすべて運動方程式という「1行の記述」になって、統一的に見られるようになった。これが過去400年の人類の最も大きな知的成果の一つである。このように、知能の高度化は、事象を表現する記述量の削減と強く結びついている。

過去に物理学が対象にしていたモノから、さらに対象を拡げ、経済現象や社会の人々を含む宇宙の全てを対象に、統一記述を行うのが、今起きている「人工知能」という人類の知能を高める動きなのである。この知能の発展は、事象を表現する記述量で測れるのである。

従来の労働集約的なソフトウエア開発ではコストや価値を人月で計ってきた。しかし、この新しい世界では、宝石のように高度に磨きぬかれた1000行と素人の1000行では、イチロー選手の一振りと草野球の一振りのような価値の違いはある。人月ではなく、今度はこの質の差を讃える新しい見方が必要になるだろう。

(*)実際には、この周りにまだ問題特有の入出力やユーザーインタフェースをつけなければいけないので、現状ではさらにトータルのコード量は増える。

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