コンテナとコンテンツ(ハードが牽引するソフト)についてお弁当の例

「思い込みを捨てること」がキーワードでした。

明治時代から「弁当ってめんどうくさい」と言われ続けているそうです。100年経っても変わらない課題。単純にレシピを数多く提供するだけでは、本質的な課題解決に繋がらない。そうした観点から、弁当箱というハードウェア自体による解決アプローチについて注目する内容でした。

ひとつは、「ieben(イエベン)」というプロダクト。自宅で食べるための焼き物の弁当箱。美濃焼の窯元と、プロダクトデザイナーと、HORBALのコンセプトによって生み出されました。

同じ残り物でも、弁当箱に詰めることで、価値が変化します。ただ詰め直すだけなのですが、ラップのかかった残りものが、弁当という「わざわざ作ってくれたもの」に変わるのです。この価値のリフレーミングをもたらす器は、様々な活用範囲が考えられます。

たとえば、介護付き高齢者住宅や老人ホームのようなところの持つ課題。入居まで食べることが大好きだった人が、入居後に食事に楽しみを見出せなくなり、栄養が足らなくなり、健康に影響が出てくる。この理由に、プラスチックの器がある、とも言われているそうです。iebenであれば、口当たりの良さと、弁当というパッケージにより、こうした課題の解決にもつながるのではないか、という仮説があります。

https://colocal.jp/news/97547.html

もうひとつは、「スープジャー」というプロダクト。サーモス社のプロダクトは、ハードとソフトの関係性について改めて考える機会を与えてくれます。

弁当が面倒臭い理由のひとつに、詰め方というものがあります。綺麗に、可愛く、美味しく詰め「なければならない」という既成概念が、作り手のハードルを自ら高めているところがあるそうです。意識変革にはなかなか時間がかかります。箱を変えることで、自然と行動が変わります。

スープジャーには、そもそも「盛り付け」がありません。中身を人に見られることもありません。課題の中には、箱を変えるだけで解決できるものもあるのです。

また、保温性能の高さによって、コトコト弱火で長時間煮込むことと同じ効果があるそうです。長時間温度を保つことができるというハードの特性を活かした、生米と熱湯を入れてランチタイムまでにおかゆをつくるという方法があります。このように、ハードウェアに最適化した、ソフトウェアが生まれ始めています。

7〜8年前に、電子書籍のプラットフォームを作ったときに、あちらこちらの講演で話していたことに、コンテナとコンテンツの関係があります。

かつての巻物(コンテナ・ハードウェア)の時代、鳥獣戯画(コンテンツ・ソフトウェア)のように一枚の長い絵に、複数の時間軸と空間が描かれ、巻物を巻き取り(スクロールさせ)ながら一定の方向に向かって読んで行く、という体験でした。

現在の書籍のような形のコンテナが生まれると、最初は単純に巻物に書かれていたような文章をそのままページに入れ込んだ形だったものから始まり、次に見開き全体が断続的に目に入るというコンテナの特性を活かして、漫画のコマ割りや雑誌の見出しなどのようなコンテナに合わせたコンテンツの作り方が生まれました。その意味で、現在の電子書籍は、まだ紙書籍のページや見開き単位のコンテナ向けコンテンツをエミュレートしているだけなのかもしれません。

ハードウェアが牽引するソフトウェアの革新は、料理の世界でも繰り広げられています。

その革新を進めるためにもとても大切なことは、講演でもキーワードになっていた「思い込みを捨てる」こと。

「こうしなければならない」を捨てると、楽に自由にやれるようになる。休日の昼ごはんは、焼きそばやそうめん一品だけということだってあるのに、どうして弁当になると栄養バランスとか考え「なければならない」のか。これは弁当に限らず、生活の中の様々な部分に染み込んでいることかもしれません。もちろん、生活の一部である仕事においても。

http://www.woman-expo.com/tokyo/

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