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何もない場所は、生み出す人になれる場所


「田舎に行くとなんにもないなー。」

田舎の人からは、「田舎はいいよ。」

そんな声を聞くけれども、いざ出向いてみると。

店すくな!駅遠い!めっちゃ不便じゃん。

ここの人たちはどうやって生活しているのか?何が楽しくて生活しているのか?そう思う人は多いと思う。

そして、地元出身の私さえも、つい先日まで、そう思っていた。

18歳の時に故郷を出て以来15年。里帰り出産で久しぶりに富山での生活がスタートした当初は、妊婦だからという理由で車を運転させてもらえないこともあり、暇で暇でしょうがなかった。

類にもれず、

店すくな!駅遠い!めっちゃ不便。
と思っていた。

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しかし、とある本で大切なのは「この土地で生み出すこと」という言葉を見つけた瞬間に、だんだんと考えが変わってきた。

空気の薄い高地に行くと、
その場所で生きられるように肺が鍛えられるように。

消費文化がない田舎地域に行くと、
その場所で楽しめるように創造性が鍛えられる。

そう、視点のスイッチがパチンと切り替わる感じがあった。
今回は、『何もない場所は、生み出す人になれる場所だ』と思うに至った、1ヶ月の思考の変化を書いていきたい。

田舎での暮らしに興味があるけど、何もないのは不安、何もない田舎のどこがいいの?と思っている人に、こんな視点や視点の変化があるんだということの参考になれば嬉しい。

大切なのはこの土地で生み出すこと

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改めて、何もない土地を見てみると本当に何もない。私のふるさとは人口6万人の散居村。散居村とは、家と家の間に田畑がある土地柄のことを指す言葉である。

コンビニどころか、隣に住む人の家さえはるか彼方という人も多いので、私の地域には「騒音問題」の経験者はゼロだと確信している。(ただ夏になるとカエルの合唱で眠れない人が多発)

ずっと真っ直ぐ伸びる道や、どこまでも広がる田んぼが目の前に広がる。
そして、少し視線を上に上げると、どこまでも続く広い空がある。

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その一方で、コンビニや、おしゃれな雑貨が売っているお店はない。カジュアルに集まれるバルや居酒屋、女子トークが出来るおしゃれなカフェはなく、美味しいケーキを食べたいと思えば、隣町の金沢まで車を飛ばして買いに行かないといけない。

東京と比較すると、ない。ない。ない。の三拍子。

でも、「この土地で生み出すこと」という言葉をもとに、この土地を見始めると、色々なことが「ある」に変わってきた。

何もないは、何でも出来るに変わる

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例えば、家の前に通る、何もない道。
コンビニはもちろん、街灯や信号機もなく、どこに続いているかわからない道がずっと伸びている。(実際に私の住んでいる部落には信号は1箇所しかない)

これを何もないと言ってしまえばそれまでだが、私は、この道を「瞑想の道」と名付けてみることにした。そうすると、目の前の道を歩く時間が、自分の思考を整理する時間になっていった。すれ違う人もいない、信号で停められることもない。ただまっすぐ30分ぐらい歩くと、色々と頭の中で絡まっていたことが、家に着く頃には整理されるようになった。実際に年明けから書いているnoteも全て30分の散歩の中で考えている。この文章もしかり。

次は、地域に広がる田んぼ。
水田であればまだきれいだが、冬の田んぼは地味で、決してきれいとはいい難い。そんな田んぼも、「生み出す力」という視点を持って見てみると、この土地は、土と風と光を受けて、秋になると小麦色の稲を生み出してくれる。かつてはお米が貨幣として考えられていた。つまりこの土地に住む人達にとって生きていくための収入を生み出す場であったのだ。そんな中、冬の間は田んぼ君たちの休憩時間。そう思うと、冬の今、目の前にある泥んこの田んぼ景色に「春秋に向けて、ゆっくり休んでね」と言いたくなってくる。

最後は、おいしい食事。

女子トークがしたくなるおしゃれなカフェや、ケーキ屋さんは無いけれど、富山の場合はそれぞれの家が広く客間がある。そして、美味しいケーキ屋さんが無いのであれば、得意な友だちを呼んで一緒に作ることが出来る。

「ケーキは買うもの」と思っていたけど、書籍やネット、時に友達の力を借りれば、畑で採れたいちごや地元産の小麦を使って、only one のケーキが出来る。人は、有名パティシエのケーキのほうがいいと言うかもしれないが、only one は、自分にしかわからない「おいしさ」を伝えてくれる。

アーティストに委ねていたものを取り戻そう

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何もない、だからこそ、何もすることがない。暇だ。

そういうのは、その土地や人間の生み出す力に気づかず、消費者としてしか、その場所にいられないからなのだ。

何もないように見える田舎でも、「生み出す力がある」という前提でいろいろな自然や人を見てみると、何でも生み出せる可能性が目に入るようになっていった。

富山でアートスペースVAGEをつくり、土・光・風・気そして水を使ったインスタレーションを制作・発表しているクリエイターの貫場幸秀(ぬきばゆきひで)さんは、「人はみんな創造的に生きるべきで、生活の中に当たり前に、その機会があるべき」「アーティストに委ねていたものを取り戻そう」と語り富山で色々なクリエイティブ活動をしている。

生活の中に当たり前に、創造的に生きられる機会がある

そのように視点を変えるだけで、私は自分自身を、消費者から生産者/創造者に少しずつ切り替わることができた。きっと、看板広告で溢れている東京にいると、できなかったと思うし、長くいればいるほど、この創造性は弱まっていく一方だったと思う。

消費過多の現代人に、何もない田舎が必要になる

田舎に行くと何もないと思うかもしれない。
でも、何もないからこそ、何かを生み出す力が鍛えられる。

空気の薄い高地に行くと、その場所で生きられるように肺が鍛えられるように。何もない田舎に行くと、その場所で楽しめるように創造性が鍛えられるのだ。

日本の社会制度は「定住する住民」が当たり前だった。しかし、今後、デュアルワークやデュアルスクールが広がるに当たり、都心から田舎に行く人も少しずつ増えていくことが考えられる。そんな時、「何もないからこそ、何かを生み出す力が鍛えられる」そんな視点で、ぜひ、その土地を見てほしい。

何もない環境でゆっくりとした時間を過ごせると、頭のスイッチがパチンと切り替わる瞬間が、誰のもとにもきっとやってくるはずだ。

#日経COMEMO #ふるさとの風景 #COMEMO

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