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LVMHのティファニー買収撤回から思うー新しいラグジュアリーの兆候は?

昨年末、フランスのラグジュアリーコングロマリットLVMHが米国のティファニーを買収すると発表しました。2011年、LVMHはイタリアの宝飾品企業であるブルガリを傘下に入れているので、ティファニーによって下のランクの宝飾品市場をカバーするのだろうと推測されました。ところが、今週、以下の買収撤回のニュースです。今年に入ってからの大混乱と相まってさまざまな政治力学が働いたのかもしれません(ただ、どうせ真実が分からないさまざまな憶測は脇におきましょう)。

他方で、この記事にあるようにラグジュアリー領域自体の長期的縮小が予想されています。

旺盛な中国人の消費に支えられてきた高級ブランドは、かつてない逆風にさらされている。米コンサルティング大手ベイン・アンド・カンパニーの5月の予測によると、20年の世界の高級品市場は前年比20~35%減る見通し。コロナ前の19年の水準に戻るのは22~23年ごろと予測する。

高級ブランド業界は家族経営のオーナー系が多く、体力のない企業を中心に合従連衡が加速するとの声は多い。ただ、LVMHとティファニーの「婚約破棄」は業界全体のM&A(合併・買収)に水を差す可能性がある。

ただ、この上記の太字の部分は、そう言い切っていいものだろうか?表面に出ていない別の動きを考慮しているだろうか?という疑問が浮かんできます。確かに企業のサイズを大きくして事業を維持するとの方向はありますが、もう一方では、短いサプライチェーンで限定されたニッチ市場への参入を本格化するという方向もあるからです。というわけで、今回はラグジュアリー領域について、この1年半、ぼくがリサーチして考えてきたことに基づき、ラグジュリーのオルタナティブ、あるいはラグジュリーの新しい意味へのアプローチについて書いてみます。

そもそもラグジュアリー領域って何?

ラグジュリーという概念は古代の光ものをつけた王冠にはじまり、それぞれの時代において、希少性をコアに賞賛されるモノと共にありました。19世紀のフランスにおける新興ブルジュワジーが、それまで貴族によって占有されていたモノを自分たちの生活に取り込んだのもラグジュアリーの歴史の1シーンです。あるいは同じ19世紀後半、第二次産業革命で大量に出回った質の低い工業製品に異議を唱えた、英国でおこったアーツアンドクラフツ運動もラグジュアリーの歴史に組み込むことができます

アーツアンドクラフツを主導したウイリアム・モリスは、「中世にあった職人の手仕事の復活」「労働者を社会的にインクルーシブな存在に」「エコロジーへの配慮」といった考えを根底に、自らデザインした家具、ステンドグラス、テキスタイルなどを作り売るビジネスをしました。彼はそれによって普通の市民の生活の質をあげることを望んだのですが、結果的に高額となった商品は、彼にとっては「不本意ながら」富裕層の間で大人気となります。通常、この動向は1919年にドイツに設立され、その後の工業デザインのモデルをつくった学校、バウハウスの源流として位置づけられます。だが、ラグジュアリーとは?を考察するに有効なエピソードであることが分かるでしょう。

さて、現在「ラグジュアリービジネス」と称されるジャンルは、1970年代後半にフランスのバッグメーカー、ルイヴィトンが第二次大戦後、欧州外に初めて出店したことが端緒になります。場所は大阪と東京です。「憧れの」という形容がつく、いわば文化差から生じる購買動機を刺激する存在です。その流れが強く顕在化したのが、1990年代半ばです。米国では金融経済の繁栄でお金を持った人たちが、自分たちのスタイタス表現として欧州高級ブランドに目を向けます。日本ではシングルパラサイトの若い女性が、可処分所得を存分に使って欧州の高級ブランドのバッグなどを免税店で購入する現象が目立ちはじめます。もちろん1980年代後半の日本のバブル時代にもあった動向ですが、これがより顕著になり欧州の経営学者の研究対象にもなりはじめたのが1990年代半ばなのです。

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上の写真はイタリアの高級ブランド企業が集まったアルタガンマという財団の出している本("Altagamma Strategies for Italian Excellence" Skira 2018)のなかにあるグラフです。米国のベイン・アンド・カンパニーのとっているデータで、これは最終消費財(服、バッグ、香水、宝飾品など)マーケットの動向です。1990年代半ばから2017年への伸びはおよそ3倍です。

20世紀末は「奥の院から出てきた」時代と表現でき、今世紀に入ってから2008年のリーマンショックまでは「大衆化」に牽引されます。20万円のバッグには手が出なくても3万円の財布なら買える、という例です。リーマンショック後は中国人が購買の主力となります(昨年あたりで中国本土及び海外での購買が市場の3割程度と言われています)。ただ、2015年以降になると、この肥大化した(と、ぼくはみています)ラグジュアリービジネスに対して、新しいあり方が問われるようになります

それは第一に購買層の変化によります。ミレニアルやZ世代がこれから主流になってくると、彼らの生活スタイルや考え方に影響を受けるようになるからです。オンラインでの購入はメーカーの生産情報の透明化の要求を強化、サステナビリティや社会的責任への期待、モノのテイストに対する変化(量産品質からクラフト感へ)などにラグジュアリービジネスが対応できるか、どう対応するかとの課題です。

尚、2019年ベースで最終消費財が30兆円、自動車、ワイン、グルメ、アート、ホスピタリティ、ジェット、ヨットなど体験ゾーンを含めると140兆円が世界市場のおよその規模です。前述の日経新聞の記事にある市場縮小の数字は、最終消費財市場を指していると思います。

ラグジュアリー領域はどのような「性格」で動いているか?

以上がこれまでの動きをまとめたものです。それではこの領域の性格をみてみます。まず最終消費財について限定すると、世界市場の70%程度は欧州企業が握っており、2019年時点でEUのGDPの4%、輸出金額の10%を占めています。ジャンルとしてはラグジュリー及びハイエンドという表現をとっています。また2012年、欧州員会はこの産業を文化やクリエイティブという領域でバックアップすることを決めています。言ってみれば、総合産業と見なしています。クリエイティブ分野だけでなく、地場産業、都市のエコシステム、博物館や美術館などの文化遺産とインバウンド、あるいは高等教育等(クリエイティブから経営学にいたるまで)、多岐に渡る分野の総合力によって成立しているからです。逆にいうと、この分野をみるには360度の視野が望まれます。

そして、こういった欧州員会のバックアップを取り付けるには、フランス、イタリア、英国、スペイン、ドイツ、スウェーデンの各国にある、上記のアルタガンマに相当する(例えば、フランスはコルベール委員会)組織がアライアンスを組んだブラッセルの本部へのロビー活動が活用されています。そこで側面支援しているのが、ここで何度も登場している戦略コンサルタント企業のベイン・アンド・カンパニーとみられます。特にベイン・アンド・カンパニーのミラノオフィスのラグジュアリー産業チームが、この分野の市場構築に貢献してきた部分は大きく、データ上、どの企業がラグジュアリーに入るかは彼らの基準で行われています。

ここで一つ明記しておきたいのは、ラグジュリーと認知されるかどうは市場の文化によって左右される、という点です。欧州発のラグジュリーを高評価するか、反対に侮蔑の対象としてみるか、文化的特性とタイミングによって異なってきます。フランスのジャン=ノエル・カプフェレはこの分野の研究者ですが、彼は高品質、高価、プレステージという項目はグローバルに合意されているが、イノベーションや楽しさなど他の項目への重要さは国によって異なるとの調査結果を出しています(下記は、月刊『FCC REVIEW』にぼくが連載している「21世紀のラグジュアリー論」で紹介した記事です)。

ラグジュアリー国際認知

つまり、「欧州発のグローバルラグジュアリー」というのは強力な存在感を示しながらも、言うまでもなく、それでラグジュアリーのすべてを語りきれるものではないとうことです。そして、そこからこぼれ落ちているところに、次のラグジュアリーの姿が見えています。これが、先に言及した日経記事への疑問と繋がる理由の一つです。別の観点からの説明を次にしましょう。

動向の観察地点としての大学教育

アカデミアのなかでラグジュアリー研究は1990年半ばからはじまったと書きました。ですからおよそ20年ちょっとです。そして欧州各国には大学の修士課程レベルのラグジュアリーマネジメントを教えるコースがいくつもあります。ファッションなどのクリエイティブ系の学科からスタートしたものと、MBAの特別編を起点しているもの、両方があります。ラグジュアリー分野で働く人材育成が主目的です。

一方、研究サイドといえば、現在、サプライチェーンの透明度が問題になっていますが、この分野で最初にサプライチェーンの論文を書いたミラノ工科大学ビジネススクールでラグジュアリービジネスを教えるアレッサンドロ・ブルンは「ぼくが書いたのは、驚くなかれ、2008年だよ。たった10年ちょっと前。ラグジュアリーマネジメントの研究はまだまだ」と語ってくれます。

これまでの本分野での研究をみれば、ラグジュアリーの一性質としての「スタイタス誇示」という分析はまだまだ有効だし、今後もそれが消滅することはないでしょう。そのいやらしさがラグジュアリーを品の悪いテーマとさせているところもあると思います(だから、ラグジュアリーという言葉を避け、エクセレンスやハイエンドという言葉を使う人も少なくありません。しかし、ぼくは同じ言葉を使うことで意味の変化を追うことによるインパクトの度合いを期待します)。

ただし、こうした見方はあくまでも分析のひとつであり、ビジネスをする当人の行動原理にはなりにくいです。商品、サービス、マネージメントで突き抜けた存在になりたいという積極的なビジネスパーソンは「ステイタス誇示のために商品を提供したい」などと、そうそう言わないものです(自称ラグジュアリー企業は、その意味で除外です)。

ミラノのボッコーニ大学ラグジュアリーマネジメントコースの責任者であるガブリエッラ・ロイヤコノは「ラグジュアリーをステイタスシンボルとしてみるのは静的に見るに等しく、今は動的にみないといけない」と強調します。言葉を変えれば、ラグジュアリーの従来の理論が使い勝手の悪いものになっており、新しいロジックが求められているのが明白です(英国の研究者で、Everyday luxury という考え方を提案している人もいます)。その最前線の変化をみると、ラグジュアリーの新しい意味が求められている状況が推測できます。

その変化とは何でしょうか?もう一度、教育に話題を戻しましょう。

これまで欧州発のラグジュアリーがグローバルに強かったこともあり、当初、このマネジメントを学ぶ学生は欧州以外の国の出身者が多かったのです。要するに憧れのブランドの世界に足を踏み入れ、欧州で学びインターンの経験を終えたら、出身国に戻り、欧州ブランドの現地マネージャーやアンバサダーになる人を育てるということです。これは欧州企業の要望にもフィットし、学生の希望も満たしました。

今、起きている学生の変化は2つあります。従来のパターンもありますが、例えば、中国やインドから来ている学生が「自分たちの国の文化に基づいたラグジュアリーを創造していきたい」との動機で、まずはこれまでの欧州のラグジュアリーに関する蓄積を吸収し、その後、独自の展開を望むのです。ボッコーニ大学のロイヤコノは「そうした傾向は中国に強く、インドはそこまでではない」と語ります。2つめに注視すべきなのは、欧州の学生もこのコースに通い始めていることです。それも既に大手のラグジュアリー企業や戦略コンサルタント企業でラグジュアリー分野で働いている人たちです。

ここから考えられるのは、欧州の若手も新しいラグジュアリーをつくりたいと考えている、もしくは既に大手に属していても、その大手がラグジュアリーの新しい方向を探っているから体系的に学び、そこから次の展開の手がかりを得たいと考えていると想像できます。前者のタイプの代表が以下のようなイタリア人女性です。

高級ファッションメーカーと戦略コンサルタント企業を経て、家業のテキスタイルの会社を継ながら、このなかで最終消費財としてのオリジナルバッグをつくっていきたいと考え、ラグジュアリーマネジメントを学んできました。しかも、この会社の所有するインドのバンガロールの工場の従業員に対してラグジュアリーが文化によって認知のされ方が如何に異なるかをレクチャーしていきたいと言うのです。

他方、インドのムンバイにあるSP JAIN SCHOOL OF GLOBAL MANAGEMENTでラグジュアリーマネジメントを教えるスミタ・ジェインも、これまでに述べたきたことを裏付ける回答を、ぼくに返してくれました。ボッコーニ大学のロイヤコノは中国発の方がインド発よりも顕著と言ってましたが、ジェインは比較そのものを否定しながら「インド発の意欲は強い」と語気を強めます。

この大学主催のウェビナーでインドに欧州のラグジュアリーブランドを入れているトップレベルの経営者の話をぼくも聞きましたが、中国とインドは文化状況が大きく違い、中国とインドのラグジュアリー路線は違ったものになるだろうと語っていました。

今ある兆候は何か?

まとめましょう。前進するためのロジックを築くための現状把握です。

この20数年間につくられてきた肥大化路線のラグジュアリー市場は、新興国市場などで今後も成長する一方、並行して消費者の世代交代などを背景にラグジュアリーの新しい意味やブランドがこれからどんどん、立現れてきます。これは地域を問いません。

それらは、それぞれの文化に基づいていて、サプライチェーンも短く、かつて肥大化する前に言われた「ラグジュアリーとはローカルの文化や技術に基づいたオーセンティックなもの」と一見近似のものに見える可能性も高いです。しかしながら、中身の戦略は大きく違います。また市場は、カプフェレの調査結果にあるように各々のポリシーや商品特性・テイストから、ある程度、文化圏を重視した括りになる可能性があります(但し、動的に把握する)。

新しいラグジュアリービジネスをするに、これまでの長いの歴史をもつブランドに負い目を感じる必要はないはずです。短い歴史でロゴなし、そして地域の文化や技術、あるいはその土地で人たちの生活を心地よいものにする。例えば、イタリアのウンブリアにあるトータルファッションメーカーのブルネッロ・クチネッリは1978年創立で、こうした新しい意味のモデルとなっています。「同社は、英国のアーツアンドクラフツの現代イタリア版ではないか?」とラグジュアリーの研究者や従事者にぼくが問うと、一様に「そうだと思う」とのコメントが返ってくるのです。

因みに、ブルネッロ・クチネッリはこのパンデミックで在庫となった衣服、工場出荷レベルのコストで3千万ユーロ(およそ36億円相当)を世界中の援助を必要とする人たちに贈り物として小包にして送付するようです。

新しいラグジュアリーは索漠とした冷たい数字よりも、暖かい数字を好むとも表現できるでしょう。


Photo by Ken Anzai


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