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「○○らしさ」に潜むレッテル。生きづらさを生み出す社会構造を変えよう

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

先日は国際女性デーにちなんで、日本での女性活躍を阻むものやインポスター症候群などについて考えてみました。

キャリアというのはライフのいち部分であり、本来どっちかの選択を迫られるということは何かがおかしいはずです。これまでの歴史や文化的な背景の蓄積が、いま「生きづらさ」という言葉で語られているのでしょう。

ジェンダーという側面でみると、日本においては圧倒的に女性の課題が多いです。いまでもお茶くみなどは「女性のやる仕事」と信じてやまない方々も一定層残っています(以前に比べれば変化してきたと思いますが)。ただ、このような文化は決して日本特有のものではなく、他国でも多く存在してきたものです。しかし、他の国々は特にこの四半世紀の間に社会の間での議論を経て、変化を繰り返してきました。

ジェンダーの話で言えば、女性だけでなく男性の生きづらさについても語る必要があるでしょう(他にもLGBTQなどの課題もありますが、また別の機会に取り上げます)。女性と言ってもひとくくりにはできず、昨今のジェンダーギャップの報道などを見ると女性らしさというバイアスの拡大再生産をしているのではないか?と思うこともあります。個人的に性に関してはゼロかイチかというよりは、グラデーションで捉えるほうがしっくりくると考えています。SNS等での過激なフェミニズム論に同調しない女性がいることも、一方的なレッテルに属したくないという声なのかもしれません。

男性についても同様のレッテルがあります。例えば「男らしさ」です。

重い荷物が持てなければ男ではないのか、男はおごるべき等々、社会には様々な男らしさにまつわるレッテルがあります。ここに属さない男性が何を感じているかについて、あまり論じられることがありません。

人生で直面する様々な困難や苦悩が、「生きづらさ」という言葉で語られる機会が増えた。筆者は生きづらさは個人に起因する問題ではなく、社会構造を問うべき課題として捉えている。だが、情報がメディアを介して広まる過程で生きづらさの要因が単純化され、問題の所在が曖昧になるケースが散見される。

例えば、ジェンダーギャップ指数(世界経済フォーラム発表)に関する報道は、女性をひとくくりにして平等の恩恵を享受できていない"被害者″のレッテルを貼り、「生きづらさ」の象徴としての女性像を流布している面が否めない。

一方、経済協力開発機構(OECD)の「幸福度白書」など複数の国際調査で、日本は男性の幸福度が女性よりも低いことが明らかになっているが、詳しく報じられることはない。男性の生きづらさは日本では社会問題とは認識されず、政策議論の俎上(そじょう)に載ることもない。

日経電子版

社会が変化していく中で男性が「標準」であり「中心」だった時代ではなくなりました。それなりに生きていれば自動的に大黒柱として一目おかれたときには、それが自身の拠り所として機能していました。そうでなくなった場合におこる内面のゆらぎとどう付き合っていくか。ジェンダー平等の中にはこのような男性の精神面でのクライシスも存在しています。

メンズクライシスとは何か。著者の1人、京都産業大学の伊藤公雄教授の定義によると、「男性主導社会の揺らぎの中で20世紀後半以降に生じている男性の経済的・文化的・社会的・心理的な不安定性がもたらす男性性の危機」のこと。1970年代以降、国際的なジェンダー平等が求められる中で男性性のあり方が問われ、男たちがある種の「危機」を迎えていると指摘しています。実際、スウェーデンなどのジェンダー先進国では「男性のための危機センター」という男性対象の相談機関が設置されています。

日経xwoman

このように考えていくと、多様な性・身体・生き方を「男・女」という2種類に固定化することには無理があり、そのせいで生じるのが差別や社会的排除であるだろうと思います。先ほどの話に戻りますが、やはりグラデーションと捉えるのが適切だろうと考えています。


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タイトル画像提供:Aomy. / PIXTA(ピクスタ)

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