アート思考は世界でどう議論されているか イノベーションに関する世界的カンファレンス”ISPIM”の報告
国際カンファレンスである「ISPIM」をご存知だろうか。これはイノベーションに関する代表的な国際会議の一つであり、ヨーロッパを中心に、毎年大規模なカンファレンスが開催される。
学会の形をとっているが、参加者は学界と実務者が半々といった感じで、ビジネスパーソンも多い。学会というと、堅苦しく難しい研究発表が続いているというイメージがあるかもしれないが、この会議は企業からの参加者が多く、またテーマが「イノベーション」でもあるため、実践的な内容が多い。ISPIMは「International Society for Professional Innovation Management」の略であり、ここからも実践志向・実務志向をうかがうことができる。
このISPIMの年次大会が、今年はエストニアの首都、タリンで6月10日~12日に開催され、世界45か国から、約500名が参加した。エストニアと言えばSkypeやWISE、Boltなどのユニコーン企業を生み出したイノベーション大国であるとともに、高度で先進的な電子政府サービスでも知られる。イノベーションを議論するにはうってつけの場所といえるだろう。
筆者は、この年次大会に参加するとともに、アート思考に関するセッションをリードする役割を担った。その内容とともに、今年のISPIMの様子をお伝えしたい。
多様なフォーマット ー発表、議論、ワークショップー
学会というと、通常は研究者による研究発表が中心であるが、ISPIMでは研究発表だけでなく、Hot Topicと呼ばれるグループディスカッションや、実践的なワークショップなど多様なフォーマットが用意されている。
今年のプログラムはこちら(Dropboxへのリンク)から見ることができるが、研究発表が6トラック程度、ワークショップが2~3トラックで同時並行で進む、非常に大規模なものだ。ワークショップでは「AIを経営にどう生かすか」「ゲームをイノベーションに応用する」「生成AIをイノベーション教育にどう活かすか」など、実践的で興味深いテーマが並ぶ。重複して全部に参加できないのが残念なくらいだ。
研究発表はさすがにアカデミックな内容となるが、質的な研究(ケーススタディやインタビューなど)が多く、また質疑応答では方法論やデータの詳細よりも、インプリケーション(結果をどう活かすか)に関する質問が多い。この辺も実践志向の学会の特徴だろう。
アート思考に関するディスカッション
さて、筆者は上述の”Hot Topic”と呼ばれるグループディスカッションのセッションでファシリテーターを務めた。グループディスカッションは全部で14トラックあったのだが、そのうちの一つ、「How can we incorporate “Arts” into innovation frameworks and methods?」というセッションの担当であった。アート思考はISPIMの中でもまだあまり取り扱われていないのだが、関心の高いテーマであったらしく、2回開催したうち2回とも満員で、活発な議論が交わされた。
アート思考については私は現在、アート思考によるイノベーション理論の構築」に関する共同研究に取り組んでいたり、過去にも”An Integrated Framework for“Art Thinking”: How to utilize the process of art for business innovation”という論文を出したりしているので、研究における観点をシェアしつつ、議論を進めた。
参加者からは、アートとイノベーションの親和性や、アートを取り入れることの重要性を指摘する意見や、アーティストとのコラボレーションにおけるコミュニケーションや価値観のすり合わせの必要性を指摘する意見が多かった。
その一方で、日本ではアート思考というと現代美術をベースとした議論が中心的であるが、身体、歌、映画、カリグラフィーなど多様なアート分野への言及が見られたのも特徴的だった。
また、中には日本をはじめアジアにおける「パワーポイントなどの図の書き方がアートだ」という人もいて(欧米から見ると、ビジネス文書における図の完成度の高さは驚きのようだ)、「アート」から連想することの幅広さには驚かされることもあった。
アートの中でも音楽の存在感
実は、カンファレンス全体を通して、存在感を放っていたのは「音楽」の存在である。
イノベーション・マネージメントにおける世界的権威であるジョン・ベッサントが基調講演に登場したのだが、そこでギター片手に、自作の「ダイナミック・ケイパビリティの歌」を歌いだしたのには仰天した。(というか我々参加者も歌うことになった)
また、別途行われたベッサント率いるワークショップは「Musification
– bringing a breath of (musical) fresh air to your design and delivery」と題されるもので、音楽を新たな発想ツールとして使うものだった。
私も参加したが、グループに分かれ、「ホテル・カリフォルニア」のメロディに合わせてグループごとに歌詞を作るというもので、我々のチームは「仕事の好きなところ」を出し合い、それをもとにストーリー化して歌詞を作成した。(もちろんその後に歌うことになった)
ベッサントの狙いは、教育者の観点から、音楽を用いることによって人の注意を惹きつけ。集中力を高めることに狙いがあるようだった。しかしそれ以外にも、初対面の人と短時間にコミュニケーションを深めたり、打ち解けるうえでも非常に有益だと感じた。あるいは、新サービスがもたらす生活の変化を歌にしてみることでも、良い気づきが得られるかもしれない。
デザイン思考への関心は健在
さて、アート思考についてはまだほとんど取り上げられていなかったが、デザイン思考をテーマとした研究発表は多くみられた。その中には、Wicked Problem(厄介な問題)に対してデザイン思考が有効という主張もあったが、むしろ悪定義問題、厄介な問題はアート思考の活用が期待されている領域でもある。
デザイン思考の概念がアートまで拡張しつつあるともいえるし、逆に言えばアート思考の研究の発展が期待されている状況とも感じられた。
クリエイティビティを刺激する街づくり
さて、冒頭に示したように、今回はイノベーション大国エストニアで開催されたわけだが、会場は昔の発電所をリノベーションしたTallinn Creative Hubであった。上の方に写真を示しているが、インダストリアルな遺構を残しつつ、中はモダンに改装されている。
また、最近のトレンドスポットとなっているTelliskivi Creative Cityもかつての鉄道関連の場所や工場街を再利用したものだ。ここにはおしゃれなグッズを扱うお店や飲食店のほか、アートの展示が行われたり、スポーツを楽しむ施設もある。
イノベーションというと、まっさらな中から新しいものを生み出すようにも思われるかもしれないが、実際には既存のものの革新的な組み合わせでもある。
アートにおいても、過去の歴史、ストーリーと現代のコンテクストを重ね合わせたり組み合わせることは重要な観点の一つである。
負の側面も含めて、それまで積み重ねられてきた歴史を活かしていくことは、新しいものを生み出すときに有形無形のインスピレーションの源となって、行くのかもしれない。そのような環境を作るという面でも、イノベーション大国エストニアの面白みを感じることができた機会であった。
P.S.
次回のISPIMは小規模なバージョンの大会が2024年12月2‐4日に日本の大阪で開催される。興味があればこの機会に参加を検討してはいかがだろうか。
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