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私たちは、「他者の靴を履いて」考えることができているか。

少し前だが、こんな記事を見つけた。

これはぜひ、読んでみてほしい。素晴らしい意見だ。
井上亮編集委員が書かれているのだが、「他社の靴を履く」という慣用句を引き合いに出され、

いちど眞子さん、小室さんの「靴」を履いてみてはどうか。自分は耐えられないと思うなら、石を投げることを控えるべきだろう。

と書かれている。本当にそうだ。皇室は人間が担っている。天皇家だろうがそうでなかろうが、人間に対するリスペクトを欠かさず、その人間に対する誹謗中傷や、プライバシーの侵害、ストーカー行為などは一切、避けるべき、ということだ。

ご結婚されるまで、眞子様がどんな方と結婚されるのだろう?というのは気にかかるのはわからんではない。眞子様は当時、皇室の人間だったから。

ただこれにしたって文句を言ってる人に対して私が思うのは、「君の家族じゃないやろ」ということでしかなかったが。まあ、言いたい気持ちになるのは理解できないこともない。

そして、眞子さまは小室さんとご結婚され、皇室から抜けられ、「眞子さん」となった。若い二人の未来に幸あれ、だ。

皇室から抜けられたから、いよいよ一般人だ。ここから先は「元皇室」であろうが、一般人だ。眞子さんも、小室さんも、一般人だ。

だから、ここでしっかりと区切りをつけて、マスメディアは報道姿勢を変えるべきだった。「眞子さん、小室さんの靴を履けば」、一般人の行動その他、「プライバシーの侵害」にあたることは避けるべきだろう。さすがメディアの皆さんは考えているな、と関心した。

と思ったら、先日、新聞各社も、テレビ各局も、インターネットのニュースサイトもこぞって、小室さんの米国弁護士試験に名前がなかったことを報じていた。テレビでは、テロップまで出た、と聞いた。

これは一体、なんだろう。
「小室さん、眞子さんの靴を履いて、報じた」のだろうか。

自分は耐えられないと思うなら、石を投げることを控えるべきだろう。

と、井上編集委員が書かれていた、これに該当していないだろうか。

どこが報じて、どこが報じていないか、個別具体名を挙げて書くことはしない。しかしそもそも、報じていないのは、テレビ東京と一部のFM放送くらいではなかったのではないだろうか。要するに、殆どのメディアが、小室さんの弁護士試験の結果について報じていた、ということだ。

一体、なんなんだろうか???

小室さんは一般人である。配偶者の眞子さんも一般人である。
小室さんが一般人であるように、私も一般人である。仮に私が弁護士試験を受けていて、不合格だとして、このように、殆どのメディアに報じられたら、流石に耐えられない。みなさんはどうだろうか。

これは、一般人の方のプライバシーを明かしながら追い込んでいっているように感じるのだが、それで果たしていいのだろうか。メディアとして「「皇室を思うがゆえ」であり、国家のための正義であるかのような主張」にはなっていないだろうか。

皇室は人間が担っている。人間に対して、この仕打ちはどうだろうか。
まさに、「他社の靴を履き」、考えてみた時にどうなるか。

弁護士試験の合否は、誹謗中傷にあたらないからいいのだろうか。しかしプライバシーの侵害にはあたらないのだろうか。

もう、これは数日前の話である。これをひっくり返して話題にすることはどうなのか、と自問自答したりもすた。各社ともスタンスをこの時から変えているかもしれないと思った。

が、お二人が米国に移られることをまた、各社は当たり前のことのように報じている。全然、スタンスは変えていない。

正直、「もう、そっとしといたれや」と思う。こうやってお二人を追い込んでいくのは、メディアの仕事から離れて、プライバシーの侵害であり、ストーカー行為ではないだろうか。

そう書いてみて、気づいた。
ひょっとしたら、これはプライバシーの侵害にあたらないのだろうか。自分の考えがおかしいのかもしれない。私は確実にプライバシーの侵害だと思うし、ストーカー行為だと思っている。これまで本当に多くの人と意見交換をしてきたが、私の周囲にいる人間は全員、100%、ただ一人の例外もなく、プライバシーの侵害だ、と言っていた。が、私も、私の知人も、考え方がおかしいのかもしれない。

「人が知りたいと思うことを報じる」のはその通り。ただ、そこには倫理観が必要なのは当たり前だろう。倫理観には正解はない。議論しながら、その時代、その場所の倫理観はコンセンサスを構築していくべきことだと思う。

もし、これがプライバシーの侵害にあたらず、メディアとして正しい報道をしている、ということだとしたらそれはそれで、この国でコンセンサスが得られた倫理観ということなのかもしれない。

ただそうだとしたら、私は、個人として全く理解できないので、この国から脱出しなければいけないのかもしれない。

私が脱出しようがしなかろうが、今後のこの国のメディアのスタンスは、その人の靴を履き、自分が耐えられないようなことに石を投げないような、そんな当たり前の姿勢であってほしい。

「他社の靴を履いて」、考えよう。
そして、そろそろもう、一般人のプライバシーを追い回すのは、やめませんか?メディアの皆さん。

(Photo by Aflo)

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