見出し画像

試作品(β版)でも良いから、まずは一度「個人理念」を言語化してみよう。

最近、マネジメント・マーケティング・人事界隈でホットなキーワードといえば「パーパス」だろう。

日経新聞でも「パーパス」をテーマにした記事を目にする機会が非常に増えた。以下の経営学者・野中郁次郎先生と花王の沢田会長の対談は非常に読み応えがあったので、未読の方はぜひ目を通していただきたい。

「パーパス」と「ビジョン・ミッション」のちがいは?

「パーパス」あるいは「パーパスマネジメント(経営)」とはなにか?について詳しく知りたい!という方は以下の書籍に詳しくまとめられているので一読をオススメする。

「パーパス」とは何か?と聞かれたら、存在意義であり、「私(たち)は何のために存在するのか?」という問いに対する応えである、と説明している。

するとほぼ決まって聞かれるのは「これまでにもあったビジョン・ミッションと何が違うの?」という質問である。

この問いに対しても上記で紹介した『パーパス・マネジメント』の中で、以下の図を用いつつ明確に説明がされている。

引用元:パーパスマネジメント(クロスメディア・パブリッシング)

いわゆるビジョン・ミッションは「将来こんなことを実現します!(Doing)」と未来に力点が置かれているのに対して、パーパスは「我々は”いま”何のために存在しているのか?(Being)」と現在に力点が置かれている。

また、崇高に掲げられたビジョン・ミッションは社会から共感を得られやすいものの、その崇高さゆえ現実とは乖離していることも多く、社員が自分ごと化しづらい、という課題があった。その点、パーパスは現在に力点が置かれているため、ビジョン・ミッションに比べると自分ごと化しやすい、という利点がある、ということも本書では解説されている。

一人ひとりが「マイパーパス」を言語化することで「パーパス経営」はより意味のあるものになる。

さて、今回の日経COMEMOのお題は #あなたの個人パーパスは である。
かねてから「これからの時代は個人にも理念が必要だ」という趣旨のことを言い続けていた身としては、個人パーパスがお題として取り上げられたことは非常に感慨深いものがある。

上記のコラムを書いた当時(約3年前)はまだパーパスという言葉を用いてはいないものの、「会社経営にはビジョン・ミッション・バリュー」が大事というけれど、それは個人においても同じ。という話は、パーパスにおいても全く同じことが言える。

パーパスが「自分ごと化」に焦点が置かれていることを鑑みると、ビジョン・ミッション以上にパーパスは企業のみならず、そこではたらく社員一人ひとりが自分の言葉で「マイパーパス」(個人理念)を言語化した方が良さそう、とも言える。

奇しくも、このお題が発表された2月24日は、筆者が主宰するオンラインサロン「IN / OUT LAB」で「個人理念」をテーマにした勉強会の開催日でもあった。

*以下、個人パーパス/マイパーパスについては「個人理念」と表記を統一する。

https://in-out-lab-16.peatix.com/view

「IN / OUT LAB」はインプット力✕アウトプット力を磨くオンラインサロンなのだが、インプット・アウトプットを加速させる上では、その軸となる個人理念があった方が良い、という筆者の持論により第17回となる今月の勉強会のテーマは「個人理念のつくり方」となった。

ゲストは、筆者の個人理念(後述する)や筆者が代表を務めるMentally社の企業理念を共創してくれたサインコサイン代表の加来さん。
(加来さんご自身については以下のnoteがアツいのでご興味ある方はぜひ参照されたい)

勉強会は講義+ワークが2時間、その後Q&Aタイムが1時間、という非常に濃密な会となったのだが、その冒頭で加来さんの言葉で「なぜ理念が必要なのか?」が解説されていて非常に腑に落ちたので、ここで紹介したい。

「正解なき時代」の現代において、自分・自社だけの羅針盤が今、あらためて問われていて、その羅針盤こそが自分・自社だけの覚悟であり、その覚悟を自分の言葉で言語化したものが理念・パーパスなのだと。
(この話は、以下の加来さんのスライドで公開されている)

そして、さらに重要なのが次のスライドだ。

そう。いま自分が所属している企業の理念(パーパス)と、個人の理念をそれぞれ書き出してみて、どんな重なりやつながりがあるのか?どんな関係性になっているのか?を考えてみることが重要なのだ。

既にいま働いている会社の企業理念を自分ごと化出来ている人はすんなりと重なりを言語化できるだろうが、そういう人はおそらく少数だろう。それでも、企業理念を無理矢理自分ごと化しようとするよりは、一旦会社のことは置いておいて、自分の個人理念を言語化し、その後でそれぞれの理念の重なりやつながりはあるか?と考えてみる、という順番のほうがずっとスムーズに企業理念の自分ごと化ができるだろう。
*もちろん、企業理念と個人理念との間に一切の重なりが見出だせない…という方もいるだろうが、これを機に転職を真剣に検討してみるのも良いかもしれない。

経営・マネジメントの観点で捉え直してみると、会社として企業理念(パーパス)を社員に浸透させたい、できる限り自分ごと化してほしい…と切に願うのであれば、何度も何度も繰り返し自社の企業理念を伝え続けることももちろん大事だが、同時に社員の個人理念(個人パーパス)の言語化をサポートし、どんな重なりやつながりがありそうか?を対話を通じて探っていくようなアプローチを取ってみると良さそうだ。
(その際は、会社の企業理念ありきで考えてもらったり、会社の枠組みに限定して考えてもらうのではなく、プライベートも含めて「ありのままの個人」として個人理念を言語化してもらうのがポイントだ。この点について書籍『パーパス・マネジメント』ではオーセンティシティ=自分らしさというキーワードで解説されている)

「人生の選択肢に正解がない」ように、個人理念にも正解はない。

ここまで読んだ読者の方は、「個人理念の重要性はわかった。では、具体的にどうやって個人理念をつくれば良いのか?」という疑問を持たれるだろう。

具体的な「個人理念の作り方」については、ぜひ加来さんの「個人理念の創造ワークショップ」を参考にしてもらえたらと思う。

こちらのスライドを参考にセルフワークでやってみるもよし。弊社や弊サロンIN / OUT LABのように、加来さんを講師・ファシリテーターにお招きしてワークショップを開催してみるもよし。

ただ一つお伝えしたいのが、「正解を求めないスタンスが最適解」ということだ。

「なぜ理念が必要なのか?」のくだりで、「正解なき時代だからこそ、羅針盤としての覚悟や、覚悟を言語化した理念が必要」と書いたが、その理念に「正解」を求めてしまっては本末転倒だ。

筆者は「正解主義より修正主義」という考え方を好んでいるが、個人理念も同じだ。いきなり「しっくり来る」正解を求めるのではなく、仮にしっくり来なかったとしても、まずは試作品(β版)として自分なりに個人理念を言語化してみる。そして、個人理念をもとに一定期間生活をしてみる。すると、今まで何気なくしていた決断・判断が何らかの「軸」によってなされていることに気づく。そう、自分自身をメタ認知・客観視できるようになるのだ。

そうして俯瞰的な視点で自分を捉え直してみると、試作品(β版)的に個人理念を作ったときには見えていなかった自分が本当に大切にしているもの/大切にしたいものが見えてくる。そして、「あれ。この個人理念のこの表現はちょっと違うかも。」と違和感を感じはじめる。この違和感を感じた瞬間が個人理念をβ版からアップデート(修正)するチャンスだ。じゃあ、どんな表現ならしっくり来るのか?と踏み込んで考えてみると、β版よりはベターな表現の個人理念のアイデアが湧いてくる。

ちなみに、当然だが個人理念にはゴールはない。一旦しっくり来る個人理念に辿り着けたとしても、自分自身のやっていることや、自分自身を取り巻く環境や、付き合う人たちは常に変わり続ける。すると、自ずと自分自身が有りたい姿、存在意義も変化していき、当初はしっくり来ていた個人理念に対してもどこか違和感を感じ始める。

かくいう筆者自身もしばらくはずっと「二兎を追って二兎を得られる世の中を創る」という個人理念(この個人理念はパーパスではなくミッション寄りな表現である)を貫いていたが、独立してから5年が経ち、筆者自身のやっていることや興味関心も少しずつシフトしてきた中、ついに違和感が許容できないレベルに達したので、加来さんにお手伝いいただいて個人理念をアップデートした。

そのVer2.0の個人理念がこちら。

「誰もがUniquenessを発揮するための変幻自在な触媒になる」

そう。触媒。この表現が個人的にはとてもしっくり来ている。
この個人理念については、いつかちゃんとじっくり語ろう…と思いつつも、ちゃんとアウトプットできていないので、今後機会を見つけて綴ってみたいと思う。
(上記に近いことを以下で語っているので参考までに)

自分だけの人生の羅針盤だからこそ、個人理念には正解は不要だ。

正解主義ではなく、修正主義で行こう。

いきなりしっくり来る表現が出てこなくてもいい。試作品(β版)でも良い個人理念をつくってみよう。それが仮にイマイチだな〜〜と思うデキの悪い試作品だとしても、個人理念の言語化を試みる前と後では、間違いなく見える景色や、自分の見え方が変わってくるはず。見ているもの(事実)は同じはずなのに、見え方が変わるだけで、目に入ってくるもの(解釈)が変わる。これが本当にオモシロイ。
(この見え方の変化による解釈の変化のことを「パラダイムシフト」と言う)

ぜひ、個人理念の言語化によるパラダイムシフトを体験して欲しい。百聞は一見にしかず。否、百聞は一”験”にしかず。体験(アウトプット)にまさるインプットはない。お試しあれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?