ロジカルシンカーの僕がロジカルシンカーのあなたにこそアート思考をおすすめする3つの理由
お疲れさまです。若宮です。
今日はひさびさにアート思考について。
今でこそ「アート思考キュレーター」とか名乗っていますが、じつは僕は元々はごりごりのロジカルシンカーです。で、そんな自分だからこそ、ロジカルシンカーにこそアート思考はおすすめだと思っています。今日はその理由を改めて書いてみます。
①ロジカルの殻を破る
1つ目は、ロジカルシンカーが陥りがちな「ロジカルの殻」をアート思考で破ることができるからです。これは僕自身の実体験によるのですが、ロジカル思考を鍛えていると、あらゆることを瞬時にフレームワークや抽象的ロジックに分解して考える癖がついてきます。
こうした抽象化の能力自体はとても便利ですし、人に説明する時の説得力も増してます。しかし、ここに罠があります。色んなことを分解して説明できるようになるうちに、Doerであるよりもどうしても批評家っぽくなってしまうんですね。
僕はよく「世界は不良設定問題である」といっているのですが、本来世界や社会というのは分解して説明仕切れるものではないわけです。最後の最後はやってみるしかない。天気予報だってあくまで予報なので、本当には明日になってみないと天気はわかりません。しかし、本当はわかりきらないはずなのに予測できたようなつもりになってしまう。
するとチャレンジの量が減って保守的になってきてしまいます。明日は「80%の確率で雨」と言われたら「じゃあ家にいようか」となってしまう。本当は晴れるかもしれないのに、です。
いやいや、それはまだ見えていないパラメーターがあるだけで、原理的にはすべて論理的・科学的に説明できるはず、と思われるでしょうか?しかし、科学における真理も変わっていきますし、新しい真理は既存の真理の殻を打ち破ることで生まれます。
論理的思考というのは基本的には過去の枠組みに拠っています。ロジカル思考のフレームワークで最も有名なものにMECE(漏れなくダブリなく)がありますが、これをやりすぎると「まだ確実でないもの」「いままだ名前がないもの」が見えなくなったり、その存在を信じられなくなったりするのですよね。
たとえば、性別のセグメント分けをする時、旧来であれば「男女」に分ければMECEとされたかもしれません。しかしかつてはそこにみえていなかったLGBTQのような属性もあります。しかもそれは固定的ではなく複層的だったり浮動的だったりする。このように、まだ名前がなかったり複合的だったり曖昧だったりする属性はMECEにできません。ロジカル思考だけではそういう「よくわからないもの」を処理できなくなるのですよね。そしてその結果、「わかっていること」の殻に閉じこもってしまう。
新規事業などではとくにそうですが、いますでに世の中に見えている分節だけではなく、まだ名づけられていないニーズもあります。ロジカル思考に頼ってばかりいるとこうしたニーズを認めることができず、「分かること」の殻にこもってチャレンジができなくなってしまうのです。
正解に囚われず、既存の価値観を超えるアート思考はこうした殻を破るのに役に立つのです。
②事故らずに遊べる
ロジカルシンカーの方にとってアートは一見非論理的にみえたり主観的にみえたりするためか、拒否反応を示すことがあります。
とくに、①のロジカルの殻にハマっている人ほどそうで、そうした方は大体アートやアート思考を斜めからみて、時には「論破」しようとしてきたりします。でもこれ、ある種の防衛な気がしていて、要はロジカルにちゃんと整理できない、よくわからないものだからこそ不安になっているのですよね。
しかし不安を拒否するロジカルシンカーこそ、逆説的にアート思考を最もリスクが少なく実行できる人でもあります。ロジカルシンカーはどれだけアート思考側に意識したとしても癖として同時にある程度の計算が働いているので、大事故を起こしづらいのですよね。
これって中途半端なようですが実はとても大事なポイントなのです。
成功する起業家を研究した「エフェクチュエーション理論」の中に「許容可能な損失(Affordable Loss)」というのがあります。
これは、死なない範囲を見極めるチカラでもあります。死なないポイントを知っているからこそチャレンジできるわけで、何も考えず突進するだけではただの「無謀」です。
「子供は誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」というピカソの言葉があります。
これは一見、「子供が最強」で大人はそれに勝てないというように読めます。しかし単に子供礼賛ではありません。もしそうなら子供から大芸術家がたくさん出ていないとおかしいですよね。実際には子供が最強なわけではありません。そこから成長し色々な知識をつけてなお、「子供」の頃の遊び心を無くさずにいることこそが重要なのです。「ゼロベース思考」や「アンラーニング」もそうですが、ただ学ばないほうが最強だとしたら赤ちゃんがイノベーションを連発することになってしまいます。
赤ちゃんや子供は奔放な分の弱さもあります。放っておいたら遊んでいるうちに道路で大事故にあってしまうかもしれません。するとどうなるか?死なないようにするために、狭い場所でしか遊ばせることができません。新しいチャレンジをするためには「死なない」ということが重要で、ロジカルシンカーはそれをほとんど無意識でもできるほどになっています。もしその上で冒険心や遊び心を身につければ、その人こそ最も広いフィールドで遊べるでしょう。音楽やダンスのアドリブも同じようなものです。きちんと基本の型が身についており、そこに戻れるからこそ自由に即興できるのです。
ただしロジカルシンカーは、しばしば冒険心を失って安全側に寄りすぎ、外に出ることもなく①に述べたような殻の中に閉じこもってしまいます。ロジカル思考を身につけつつ、アート思考的に飛び出そうとするくらいでちょうどいいのですし、それでも死なない術を身に着けているからこそ実は遠くまでいけるのです。
③限界と切り替えどころがわかる
前の2つは
①殻の罠にはまりがち ⇒ アート思考やらないとまずい
②死なない ⇒ アート思考やっても大丈夫
というやや消極的な理由でした。「健康のためにスポーツしなきゃ」とか「大丈夫、怪我なんてしないからさ」みたいな感じです。
3つ目はより積極的な向いている理由です。つまり実は高度なロジカルシンカー「こそ」アート思考をより大きな強みに出来るのです。
なぜかというとロジカルシンカーを突き詰めていくと、どこまでが計算やロジックで行けることで、どこから先はわからないか、という境目を見極められるようになってきます。
よく言いますが、アート思考/デザイン思考/ロジカル思考はどれが一番いいとか背反するものというよりもそれぞれ相補的なものであり、得意分野がちがいます。
とくにビジネスにおいてはこれらを組み合わせてこそ効果が最大化できます。たとえばよく、アート思考的なイノベーションの例として「iPhone」が引き合いに出されることがありますが、これは3分の1しか真実ではありません。
アート思考のみではマスに届くイノベーションにはできないからです。iPhoneの成功は、アート思考的な出発点とデザイン思考的なUXの発明、そしてさらにはAppstoreなどのエコシステムまで含めたロジカルな仕組み化がすべて掛け算となった結果のものです。当たり前ですがアート思考だけの力ではないのですよね。
そう考えると、それぞれの力の使い所を知っていて、最大化し掛け算することができるほど強いことになります。
ハイレベルなロジカルシンカーは論理とデータで丁寧に分析をする中でその強弱や重み付けもわかります。どこからどこまでは確実なファクトと言えるか、そしてどこからはわからないか、を見極める力があるのです。
ちょっと変なたとえですが、たとえばあなたが真ん中が崩れてしまった橋の上にいて、向こう岸に飛び移ろうとしているとします。
何も考えずに飛んでは向こう岸には届きそうもありません。崩れかけの橋のできるだけ先の方までいって、そこからジャンプした方がよさそうです。どこまでなら安全に進めるかを見極めることができるロジカルシンカーは、その限界まで進んで、そこから飛ぶことで最も遠くまでジャンプすることができます。
衝動的だと思われがちなアーティストもロジカル思考を組み合わせています。実は優れたアーティストほどリサーチをしっかりしていますし、アート史を踏まえた上で、ロジカルに作品の足がかりをつかんでいます。
ただしこれが生きるためには、あくまで「最後のジャンプ」との組み合わせが必要です。①の「殻」のように、ずっと橋の安全性を確認しているうちに橋が落ちてしまっては本末転倒です。最後はジャンプするしかない、その前段階としてどこまでは確実にいけるか、という助走のようなものとして機能し、その限界で思考を切り替えたときに両思考の掛け算として、最大のパフォーマンスが出せるのです。
あなたがもし自分はロジカル思考だとおもうなら、
①殻の罠にはまりがち ⇒ アート思考やらないとまずい
②死なない ⇒ アート思考やっても大丈夫
③限界と切り替えどころがわかる ⇒ アート思考を最大化できる
からこそ、アート思考をおすすめします。
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