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ジョブ型に対する伝統的人事屋と若手人事の認識ギャップ

ジョブ型は限定された正社員か?

日経新聞COMEMOのKOLに選任されているので、たまにはそれっぽく新聞の解説をしてみたいと思う。題材は、若手人事を中心にネット上で議論を巻き起こした『ジョブ型とは職務、勤務地、労働時間いずれかが限定された正社員の雇用形態を示す言葉だ』という定義だ。この定義に対して、多くの若手人事や人事コンサルタントは「なぜそうなるんだ?」と頭を悩ませた。実務としてジョブ型の雇用を設計・運用している彼ら・彼女からは「ジョブ型=限定された正社員」という図式は成り立たないものだった。

まず結論から言うと、この定義は一概に間違えているとは言えず、それどころか歴史的なジョブ型雇用の議論からすると王道ともいえる。しかし、歴史的経緯がわからないと、なかなかに理解が難しい。このことは、ジョブ型は現代のトピックだが、「日本的雇用慣行 VS 米国的雇用慣行」という文脈では数十年前から議論され続けている伝統的なトピックでもあるためだ。当然、人事の実務家からするとこのような歴史的経緯は関係ない。

なお、引用記事で紹介されている3つのポイントは概ねその通りだろう。

○ジョブ型=解雇自由や成果主義ではない
○本質は職務明記の採用と社内公募の異動
○従来型の職場は仮想空間でも実現できる

昭和的「日本的雇用慣行 VS 米国的雇用慣行」

社会学者のエズラ・ヴォーゲルが、1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本を出版して以来、日本の特殊な雇用慣行は常に米国と比較され続けてきた。

例えば、このようなステレオタイプがある。「日本人は必要な仕事なら何でもやるし、残業や休日出勤だって厭わない。でも、米国人は自分に割り当てられた仕事しかしないし、融通が利かない。それに、就業時間が来るとさっさと帰ってしまって、ほかのメンバーが残業しているのに気にも留めない。」という話は、古くから日本的雇用慣行と米国的雇用慣行を比較するときに繰り返されてきた。

日本企業では、従業員個人の業務範囲を特定することはしないし、それはできないことだと長年考えられてきた。このことは、個人の職務遂行能力に依存して仕事内容が変わるためだ。同じ営業部の係長であっても、面倒見の良いAさんはできない人を見るとイライラしてしまうBさんよりも部下育成の職務が増える。反面、段取りを組むことがうまいBさんは、要領が悪いAさんよりも多くの顧客を担当することができる。仕事内容は個人で異なるし、更に常に変化するので、特定することができないとされてきた。そのため、採用や異動、配置・配属でも、どのような仕事をさせるのかを基準として人選するよりも、個人の職務遂行能力(汎用性が高く、社内で活躍してくれそうなポテンシャル)が高いのかを重視してきた。

一方で、米国企業では、従業員が果たすべき責任がはっきりと明記されている。この責任範囲を超えることは、原則として望ましいことではなく、手の遅い同僚を手伝ってあげようとしても「It's my business(これは私の仕事だ)」と突っぱねられることもある。下手に手伝われて、職務にふさわしい能力を持たないと判断されたら解雇されたり減給されたりするリスクもあるためだ。この責任範囲と、その責任を果たすことができるであろう能力や資質・経験・資格などの要件を明記したものが職務記述書(Job Description)だ。そのため、自分の責任を果たすと業務は終了なので帰宅するし、日本企業の総合職のように会社の都合で異動や転勤はできない。

このことが、長年、「米国的雇用慣行では、会社都合で異動も転勤を命令することができず、一緒に働くときにも考慮すべきことが多くて効率が悪い」として敬遠されてきた。反対に、米国の視点から見たとき、日本的雇用慣行は「会社の都合で、仕事内容も、専門性も、勤務地も、労働時間も一方的に決められて、個人の自由意志がはさむ余地がない」という経営者にとって便利な雇用システムとなっていた。

ここで、日経新聞で紹介されていた定義が出てくる。米国的雇用慣行とジョブ型は同じものではない。しかし、米国的雇用慣行ではジョブ型は前提となっている一要素だ。ジョブ型雇用にすると、それまで日本的雇用慣行では当たり前とされてきた「従業員の職務内容や勤務地、配属先、労働時間は会社都合で自由に決める」ことができなくなる。つまり、それまでの日本的雇用慣行からみると、ジョブ型雇用におけるマネジメント方法は制約が多く、限定されているように感じる。これが、日本企業にジョブ型雇用がなかなか浸透しなかった原因の1つでもある。

「マーケティングのプロになりたい」と言って入社した新卒社員に対して、「頑張っていれば、そのうちマーケティング部で働けるから、まずは現場で会社のやり方を学ぼう」ということが言えなくなるのがジョブ型雇用だ。記事で紹介されているように、「空いているポジションに、必要な能力を持った人材を社内公募もしくは社外公募で充足する」のがジョブ型雇用の本質だからだ。

ジョブ型雇用では個人の自由意志が重要

ジョブ型雇用のイメージが掴みにくいなと感じた方は、試しにGoogle Chromeなどのブラウザを立ち上げて「IKEA Jobs」と検索してみて欲しい。英語のサイトにはなるが、そこに希望する職種と勤務地を入力すると全世界のIKEAで募集されている求人が見つかるはずだ。例えば、2021年5月8日現在で「People & HR」の求人を検索すると、全世界のIKEAで募集されている106件の求人が表示される。

IKEA がどうかは知らないが、多くの場合、ポジションに空きが出たときにまずは社内で公募をして、そのあとに社外にも公開して広く人材を募る。もっとオープンな社風だと、ポジションに空きが出ると、社内と社外同時に公募を始めてしまう企業もある。そのため、どこで働くのか、どのような仕事をするのかは個人の自由だ。

当然、米国や欧州の企業でも、人材育成を目的としたり、特別な専門性を求めているときには会社都合で異動や転勤を命じたいときもある。そういうときには、上司が部下を説得するのが原則だ。例えば、「この分野でもう少し成長したいと思うなら、そろそろ海外での経験も積んでおくのをお勧めするよ」のように日ごろから部下にアドバイスをしたり、期待を伝えておき、その気にさせたりする。または、「将来どうなりたいのか教えてくれないか、もしよい機会があったら、君が挑戦できるように推薦するよ」のように部下の希望を把握する。欧米企業で頻繁に上司と部下が 1 on 1 Meeting を行うことが流行しているのも、このような人材育成と社内キャリアのすり合わせ手段として有効であるためだ。

当然、そうすると何十年間も同じ職場で同じ給与で同じ仕事をし続ける従業員も出てくる。それも、ジョブ型では1つの個人のキャリアの在り方となる(その会社が許容するかどうかは置いといて)。

そうすると、ジョブ型雇用を運用しようとしたとき、これまで当たり前とされてきた多くの雇用慣行を変える必要がでてくる。現場レベルだと、人材育成と自律的にキャリアを開発するように啓蒙することがマネジャーの最も重要な責務となるだろう。採用と育成、評価・考課、昇進・昇給、異動、配置・配属などの人事制度も変えなくてはならない。タレントマネジメントと俗に言われるように、一元化することが求められる。

ジョブ型によって、伝統的な日本的雇用慣行では限定されてきた個人の自由は解放される。その代わり、日本的雇用慣行の下で享受してきた経営者の自由が限定されるのだ。

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