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経済・金融。世間との近くて遠い距離

今回の毎月勤労統計事件を受けて「中国を笑えない」という論陣を目にします。それは確かに一理ある指摘だとは思いますが、恐らくそのように仰っている人も、こうした事件が起きるまで経済統計の精度や実情に関心が無かったのではないかと察します。今回の件も西村先生が委員会の場で指摘することがなければ永遠に露呈しなかった可能性すらありそうです。毎勤統計に関し、いつ、どこの省庁が公表しているのか知っていた人がどれほどいたでしょうか。これは比較的メジャーな統計であるCPIですらきっとそうなのではないでしょうか。統計はいつでも手に入る「近しい存在」でありますが、その実情を知るにあたっては「遠い存在」だったのではないかと思います。もちろん、私達のような仕事をする人間以外、実情など知る必要はない、という考え方もあるでしょう。しかし、少なくとも今回の件に「怒り」を覚えるような人達は今後は色々と1次情報にあたり、違和感を持つ習慣を持つことも1つの教訓になるのではないかとも思います。

経済・金融を年中ウォッチしている仕事していると、このような「世間の関心は非常に高いが、その実情は殆ど誰も調べようとしない」という体験は結構あります。例えば過去5年の金融政策運営。「金融政策に限界はない」というキャッチ-な大本営発表を無垢に信じる一方、収益性に悲鳴をあげる地方を中心とする金融機関の苦境は「経営努力が足りない」と一蹴(ときに罵倒)する・・・仮にも業界の端くれとして見ていると、ちょっと幾ら何でもと思う世論形成を何度も目にしてきました。

以下、一般論として、解説します。銀行のビジネスには「機会の限界」があり、マクロ環境とそれに合わせた金利環境が沈んでしまってはどうしようもない部分はあります(経営努力の余地がない、と言うつもりはありません。きっと余地はあるのでしょう)。これは「銀行の本業は貸出」という誤った通念が生んだ状況でもあります。銀行の本業は貸出ではありません。銀行の本業は「経済における資金過不足の調整」であり、資金不足の経済主体と資金余剰の経済主体を繋ぐことにあります。巷では「貸出しないで国債ばかり買いやがって」という厳しい論調をまま目にしますが、「誤った通念」が幅を利かせすぎている不運な例だと思います。日本経済では政府部門が資金不足、民間部門(≒家計+企業)が資金余剰ですから、後者から前者に銀行を仲介して資金の融通がなされているというだけの話です。それが銀行に期待される社会的機能の結果です。「貸出」という供給が出ないのは、それに係る需要がないから、です。貸出供給と借入需要の問題です。この辺りは基本的な資金循環の話で教科書にも出てくることではありますが、金融政策について堂々と議論をぶっている人でも意外に分かっていなかったりする論点に思えます。金融政策は実務の塊であり、それを理解する上での要諦がこうした資金循環への理解だと思うのですが。

・・・と、銀行業に係る解説は一例ですが、今回の毎勤問題を機に「統計とはマクロ政策を打つ上での重要なバックミラーなのだ」という常識が広まると同時に、気になった経済・金融問題はちょっと踏み込んで調べてみるという雰囲気が少しでも広まればいいなと感じました。例えば「金利をマイナスにして貸出が本当に増えたのか?」などは非常に基本的な統計で確認が可能です。やはり経済や金融という分野は市井の人々にとって「近しい距離」にあるように見えて、実は凄く「遠い距離」に置かれているように思います。それを繋ぐ存在として、少しでもこのような場で役に立つ(と思って頂ける)情報発信をしていけたら良いなと思います。

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