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ギフテッドを生かす日本に変われるか?

中学校の教室で先生の説明を遮り、より汎用(はんよう)性の高い高度な公式を使って、他の生徒がぽかんとするのを尻目に、すらすらと数学の問題を解いて見せる―こんなとがった才能を持つ子どもは、時々いそうだ。しかし、天才は人付き合いや世渡りが苦手なことが多いこともままある。年配の知り合いからは、こんな同級生が「結局、ホームレス同然になっていた」というようなホラーストーリーを聞くことがある。

日本で、「ギフテッド」と呼ばれる特異な才能を持つ児童生徒への支援策が23年度から始まる。長らく日本の教育は、横並びに均一型の優等生を育てることを重んじてきた。これは、社会が向かう方向—より豊かに、より速く―が明らかで、働くひとの生産効率を上げることが言わずもがなの国策だった背景と合致した方針だったといえる。

ところが、時代は今や混沌(こんとん)とし、社会が向かう方向は視界不良だ。自動化やIT化が進んだせいで、人間に残された仕事には、効率よりも創造性が求められる。官僚であれ産業界であれ、金太郎あめのような人材よりも、多様性に富んだ才能を組み合わせて複雑な課題に取り組まなくてはならない。

このような社会背景の転換を踏まえると、ずばぬけたものを持つ子どもの才能を均一型に押し込めて殺してしまうことは、その子や親の幸せはもとより、国益にも反するといえる。ギフテッドをどう見抜き、どう育てるかが問われている。

実はスポーツや音楽界では、日本でも先例がありそうだ。最近、メセナとして20代の音楽家を積極的に支援する企業のトップに話を伺う機会があった。60代前半の社長によると、彼の世代は、その上の世代とは段違いに豊かな日本を享受し、駐在などで海外の長期滞在が珍しくなくなった時期を現役として過ごしている。その子どもが秀でたものを持っていれば、惜しみなく投資する傾向があるという。

その結果、いまの20-30代には、野球なら大谷選手のような才能、音楽では名だたる国際コンクールを物おじせずに勝ち抜く日本人—21年ショパン・コンクール2位を受賞したピアニスト、反田恭平さんのような人材が多く輩出されているということだ。日本のギフテッドな子どもたちがどう才能の翼を広げるか、示唆に富むケーススタディーとなるだろう。

ここで、海外での鍛錬、活躍は欠かせない視点に違いない。日本に閉じこもっていては、どうしても同調圧力に影響を受け、また、世界のトップレベルを肌身で知ることもできない。日本のギフテッド教育にも、この視点を忘れてはならない。

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