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変化に強くなるには

 このコロナ禍は、我々に大きな変化を突きつけている。

 ここで大事な問いがある。
 人や組織が「変化に強くなること」は可能だろうか。

 私は、社会人になって既に36年たったが、
 最初の20年ぐらいは、日本がイケイケの時代だった。
 特にその象徴が半導体事業だった。
 産業のコメと呼ばれ、日本勢が世界シェアの半分を占めるまでに至った。
 その勢いの中で、仕事ができた。それはそれで大変幸運なことだった。
 しかし、よい状態というのは、長続きしない。
 今から17年前に、日立が半導体事業をやめることになった。
 私としては20年培ってきたスキルや人脈が使えなくなるという残念な状況になった。(後から振り返ると、それまで蓄積してきたことは、結局すべて活用できた)。

 ここで私が思ったこと、それが「変化に強くありたい」。
 長年やってきたことが一夜にして無駄になる、ということはもう経験したくない。そう思った。

 そもそも、なぜ半導体はあれほど輝いていたのに、
 これほど簡単に衰退してしまったのだろうと考えた。
 私の答は、半導体が単なる部品であり、情報の記憶や計算の
 手段でしかないから、というものだ。
 状況が変わると手段は変えざるをえない。
 だから、手段は変化に弱いのだ。そう考えた。

 一方、状況が変わっても変わらないのは、目的である。
 より目的に迫ろう。それが「変化に強くなる」ための秘訣である。
 ただし、目的には常により上位の目的がある。
 変化に究極まで強くなるためには、
 究極まで上位の目的を目指すべきと思った。

 半導体ではなく、その目的の計算処理へ。
 いや、計算処理ではなく、その目的のITを使ったサービスへ。
 いや、ITのサービスではなく、その目的のユーザーの価値へ。
 いや、ユーザーの表面的な価値ではなく、その上位にあたる目的へ。

 それは、人の幸せ(ハピネス)以外にない。
 幸せよりも上位の目的は考えにくいと思った。
 
 実は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』には、
 まさに幸せこそが、究極の最上位の目的であり、
 それ以上の理由を必要としないものと書かれている。
 
 変化に強くなるには、より目的からの発想できること。
 そして、目的には常により上位の目的がある。
 いかに大きな変化が来ても、揺るがないもの、
 それはより上位の目的である。
 究極の上位目的を、我々は「幸せ」と呼ぶ。

 これが私が「幸せ」をテーマにした経緯だ。
 (実は、学生時代からヒルティの『幸福論』を最大の愛読書に
  していたことももう一つの大きな理由だった)

 このコロナ禍で、その効果は明確に出た。
 社会や経済の状況は劇的に変化した。
 しかし、社会が幸せを求めていることは、何の揺るぎもない。
 
 私は、決して色あせない目標である「幸せ」という目標を追求してきた。
 コロナも今後来るどんな変化に対しても「幸せ」だけは
 揺らぐことはないはずだ。


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