数字の取り扱いは慎重に~本当に若者は閉鎖的で貧困化しているのか~

以下のような記事を読みました。正直やや面食らいました。数字を扱う記事、しかも若者の消極性と日本の貧困化という比較的大きなテーマを銘打つ記事であれば、慎重に筆を進めることが大切です:


気になったところ全てをご紹介するとキリがないゆえ、ちょっと気になったところを書き連ねてみたいと思います。よく読まれている記事のようですし、問題意識自体は共感すべき部分もああります。それだけに直すべきところは直して把握したいと感じました。なので、ここで問いたいのは「記事への賛否」ではありません。「貧困」とまで言うべきかどうかはさておき、日本経済が購買力という意味でのプレゼンスを落としているのは事実です。しかし、結論を導くまでの道程も大事にした方がより良い記事になると感じました。

シンガポールドルはそういう通貨である

私自身、金融市場の人間ですから、まず以下の部分に違和感を覚えました。

●「2020年1月時点で、1シンガポールドル(Sドル)は約80円。実は2007年6月時点でも、1Sドル=80円だった<中略>為替レートだけを見ていると、2007年から13年たっても、ほぼ同水準にあるわけだ」

「同水準にある」ことは特に驚きではありません。シンガポールは管理変動相場制で、中銀に相当するシンガポール「通貨」管理庁(MAS)はSドルの方向感をファンダメンタルズに応じて操作するのが本懐です。為替変動が無いのは金融政策ではなく通貨政策だからです。「あまり動かなかった」というのは「そういう政策だったから」です。そこに意外感もサプライズもありません。私自身、MASの政策運営は分かりやすくて良いなとは思いますが、これを対日比較の材料にして「貧困」という大きな結論を引っ張るのは不適切だと思います。全体論に影響するほど大きな話ではありませんが、とりあえず「気づき」として言及したいと思いました。

「総額」ではなく「1人当たりGDP」を使う場面

●2007年の名目GDP(国内総生産)は2727億Sドルだったものが、2019年には4980億Sドルになった。1.83倍である。一方の日本はこの間、デフレに見舞われてほとんど成長せず、名目GDPは531兆円から、557兆円に4.9%増えただけだ。にもかかわらず為替レートが変わっていないのだから、日本人にはシンガポールの物価が実態以上に高く見える。アベノミクスが始まって以降の“円安政策”によって、明らかに日本人は貧しくなっている

「為替レートが変わっていない」の直後に「アベノミクスの円安政策で」と来ていることをどう理解すべきなのか・・・という疑問はさておき、日本は世界有数の人口減少大国ですから「貧しさ(or豊かさ)」を国際比較したければ1人当たり名目GDP(PPPベース)で比較するのがセオリーです。試しにIMFの2020年世界経済見通し(秋季)を元に比較してみるとコラム筆者の方の比較する2007年(※なぜこの年をサンプルに使っているのかは不明ですが一応記事に準じます)と2019年を比較するとシンガポールは約6.5万ドルから約10.3万ドルで約1.6倍です。同様の計算をすると日本は約1.3倍でした。両国のこうした変化幅を分かりやすく視覚化すると以下のようなイメージになります:

タイトルなし


記事だけ読んでいると「シンガポールが1.8倍以上になっている間、日本は横這いだった」という印象を受けますが、シンガポールに劣後しているのは事実としても(本来使用されるべき)1人当たりGDPで見れば、少なくとも伸び幅で言えば、さほど差はついていません。生産性の議論が捗々しい世の中ですが、これも人口が減っているから1人当たりのアウトプットを見て高めていきましょうという機運の結果かと思います。記事は扱うべき計数を誤っているように感じます。

デフレは貨幣価値が上がる現象である

次に以下の記述も気になりました。

●5年前と同じ為替レートで受け取った1ドルは、5年前の1ドルとは違う。現地での価値は、経済成長とインフレによって、当然、減価しているのだ。5年たっても1000円の価値が変わらない、成長もインフレもない日本で育った若者たちは、知らず知らずのうちに、世界の中でも「貧乏人」になっていく。

デフレは「財に対する貨幣価値が上がる現象」です。それゆえ、「5年経っても1000円の価値が変わらない」のではなくて、「5年経ったら同じ1000円札で買える財やサービスが増える」わけです。牛丼でも衣服でも良いのですが、とにかく「こんな値段でこれが買えてしまうのか!」という体験がデフレ下で起きるということを我々日本人は沢山目にしてきたはずです。逆にインフレになったら1000円札の価値は下がります。この点、「5年前と同じ為替レートで受け取った1ドルは~インフレによって、当然、減価しているのだ」と記述されていますから、著者の方もこの辺のメカニズムはご理解しているものと見受けられます。しかし、そうであればこそ「円の価値が変わらない」の記述は誤記ではないかと感じました。


「成長もインフレもない日本で育った若者たちは、知らず知らずのうちに、世界の中でも「貧乏人」になっていく」は現実に照らしてあながち間違いとは言えないのかもしれませんが、「世界に対して貧乏になる」ということは為替の上では「円安になる」ということでしょうから、デフレと貨幣価値を議論した後の結語としてはミスリーディングに思います。デフレ通貨は増価するのが理論的な回答であり、日本では実際にそうなってきたことは周知の通りです。

パスポート取得率。一次情報を見たいところ

●「20代のパスポートの新規取得率は、1995年に9.5%だったものが、2003年には5%に落ち込み、その後、6%前後で推移。2017年には若干上昇したものの、6.9%だ。取得率で見れば、明らかに低迷している」

日本では1997年に10年間有効旅券の発行が始まっています。それもあってか97年を境に「一般旅券発行数」がガクッと落ちる期間があります。数字で見てみましょう。使うべきは外務省の旅券統計となります。記事中に取得率の高い年として紹介されている95年は約582万冊でした。ちなみに10年パスポートが出る前年(96年)は約624万冊です。これは一般旅券発行数の統計において既往ピークです。その後、03年が約272万冊まで落ち込みます。

むしろ、「低迷している」という結語と共に紹介されている2017年は約396万冊でボトムからは盛り返しているイメージになりますまた、2018年まで旅券発行数は4年連続で増えています。「日本全体が貧乏になっており井の中の蛙になっている」いるという本稿の趣旨とは整合的ではない事実に思えますが、この辺りの解釈も気になるところです。なお、これらの統計は以下の外務省文書から確認できます。PDFのP.13に旅券発行数の図表そして数字がありますが、10年パスポートの発行開始についてもグラフの中にしっかり書き込みがなされています。


大事なことは比較に際して、①さしたる説明もなく既往ピークに近い数字が使われていること、②10年パスポート発行開始という重要な要因が考慮されていなそうなこと、は見逃せません。例えば20代を目前にして10年パスポート発行した人は当分、新規発行しないわけですから単年の新規発行数に着目する行為にそれほど大きな意味があるとは思えません。

総じて「日本では貧困化が進んでおり、若者は閉塞的」という結論ありきで数字に向き合っているがゆえに、細かな取りこぼしや錯誤が出ている印象を受けました。もちろん、その「結論」自体、日本経済の現状や展望に照らせば大きく誤っているものではないと考えられますが、その結論に至る「道程」も大事にしてあげて欲しいと感じました。

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