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セラミックアートを「戦略的にみる」

昨年のはじめ頃から、「ラグジュアリー」「ファインアート」「クラフト」をキーワードに、いろいろとリサーチを重ねています。これらの3つのカテゴリーがどのように交差しているのかを探っているのですが、その一例としてセラミックを見ています。どのような文脈やケースにおいてどの程度の値付けがされるのか?ということをあたっているわけです。

そこで、今週、ロンドンに行き、ロンドンアートフェア、アートギャラリー、クラフトやセラミックのコミュニティなどを巡り、最後にヴィクトリア&アルバート博物館で膨大なセラミック作品を「見渡して」頭の整理をしてきました。結果を述べるなら、イタリアでリサーチしてきたことの裏付けができた、というところです。

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ファインアートのギャラリーで「セラミックも」扱っているところがありますが、「セラミックだけ」というところは少ないです。複数のギャラリストに聞くと「コンテンポラリーアートで、プアな素材の価値を大きく変えるという流れはある一方、セラミックも使いたいというアーティストも増えていると思う。ただ、だからといってギャラリーで大々的に扱うにはタイミングとしてベストなのか早すぎるのか迷うところだ」という声が聞こえてきます。

そして、そうしたギャラリーでの作品の価格は、ファインアートの世界で著名か、セラミックアートの世界で著名でもない限り、驚くほどに上限が決まっています。そして、言うまでもないですが、「用を足さない」形状です。

それでもクラフトのギャラリーにある作品と比較すると5-6倍から10倍の値段です。クラフトもクラフトの市場で、驚くほどに上限のラインがはっきりと目に見えます。こちらは「用を足す」形状です。

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もちろん、ファインアートにしろクラフトにしろ、前述したようにその世界の著名な作家による「価格の上限を超える」作品もあります。しかし、問題は「著名なセラミック作家」がどうして生まれたのか?です。ピカソのように既に絵画や彫刻で著名であったアーティストが、第二次大戦後、60歳を超えた頃からセラミックを手掛けたこととは違い、ファインアート市場には入っていないセラミックアート作品がどういう評価軸の世界で動いているか?です。これに焦点をおいて、今後、リサーチしていくつもりです。

一つ興味深いのは、20世紀前半の英国と日本の交流や20世紀半ばからの日本のセラミックの世界ではじまった抽象的表現も相まってか、クラフトの上限を超えている、あるいはファインアートのセラミック表現の上限も超えている作家に日本人が目立つことです。ファインアートの世界では、とてもマイナーな日本人アーティストですが、このセラミックアートという、ファインアートとクラフトの「境界線で成立していそう」な領域では日本の人たちの蓄積が生きて存在感を発しているのです。

これはかなり興味深い現象です。いわゆる日本の伝統的表現、しかも西洋人が思い浮かべる日本イメージとは違う表現が市場の高い層で一角を占めているのです。ここに戦略的な市場の攻め方のヒントがありそうなので、更に突っ込むつもりです。

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