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「騒がしいのが、心に響く」と隣人に感謝される。

およそ3週間の日本滞在を終え、ミラノに戻ってきた。

奥さんから、留守中のことを聞くなかで、印象に残ったエピソードをひとつ。

「隣のラウラがね、みなこ、言っておきたいことがある、と話しかけてきたの。最近、窓をあけてピアノを弾いているから、うるさいのかな?と思って、『ごめんなさい!ピアノの音、うるさいでしょう』と最初に謝ったの」と奥さんが話す。

ラウラは中年女性で一人で生活している。

彼女は「いや、ピアノの演奏に文句を言うなんてとんでもない!あなたの曲を聴くのは好き」と言ってくれたらしい。

以前も、「良い曲をありがとう」とわざわざ伝えに来るほどの奇特な人(!)であるから、窓から聞こえてくるピアノの音ではないのか。

「息子さんと、テレビを見ながら大きな声を出している時があるでしょう?と意外なところから突っ込んできたのよ。あっ、そうか!と、これもすぐ謝ったの」と奥さんは説明。

息子はサッカーはインテルのファンで、もう、試合中は大声で叫んでいる(これは、多くのイタリア人のサッカーの試合の観戦の仕方)。ただ、ワールドカップでもない限り、これは彼1人だ。

とすると、隣人の関心は我が家でのF1の観戦になる。これは息子だけでなく、奥さんも一緒になって騒ぐ。もう、スタート時点から、2人でああだ、こうだと大きな声でわめいている。

(ぼくは、この数年、F1を見ていない)

「そう、F1のレースね。親子が夢中になって応援しているのが聴こえてきて、なにか、心に響くのよ」とラウラは話した。

えっ!うるさいのが歓迎される?

赤ん坊の泣き声が逆に心をほのぼのさせるということはあるが、テレビのスポーツ観戦が人様の心のお役に立つとは考えてもなかった。

ここから教訓的なメッセージを書くのも可能だが、無粋なのでやめておく。

冒頭の写真©Ken Anzai


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