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「ブルックスブラザーズと奴隷制」を研究する人に聞くー世界の1%に入る人は1%と見られる必要がない。

欧州の新サッカーリーグ構想「欧州スーパーリーグ(ESL)」が頓挫しそうです。これは現在の各国国内リーグ、国内リーグの上位チームで戦う欧州チャンピオンズリーグに加え、リーグを構成するチームを固定する、いわばエリートリーグを新たに創設しようとの話です。

強豪チームといえど財政危機に陥った状況を救うためのアイデアですが、この記事を読んで、あることを想起しました。それはほんの一部の豊かな層とそれ以外の間にある軋轢です。今、エリートのあり方が問われています。

今回はこのことに触れましょう。

ブルックスブラザーズは奴隷制の上に成り立っていた

ジョナサン・スクエア氏は、ハーバード大学でファッション史を教えるアフリカ系米国人の先生です。彼の研究テーマはファッションと奴隷制です。例えば、昨年破綻した高級ファッション企業のブルックスブラザーズは奴隷制を如何に経営に取り入れたか?を彼は調べています。彼の関心は、特に米国の公的機関と奴隷制の関係をファッションから読み解くことです。

先日、ぼくは彼にインタビューしました。

ブルックスブラザーズは歴代大統領46人のうち40人までに愛用されたブランドでした。それが奴隷制によって成立していたというのです。どういうことでしょう?

南部の奴隷たちは、農園の雇い主から古着やコットンや麻の生地を受け取り、それを自らの手で服に仕立て、それを自己主張の手段としていた。染色は自分でやるので、その色の選び方に何らかの抵抗の意思を秘めるということもあるでしょう。

そういう奴隷が手にする生地において、時に北部や外国で既に染色された新品の生地もあります。よく仕事をして雇い主に気に入られた奴隷への褒美です。つまり、奴隷制度をスムーズに運用するための材料としてファッションを使っていたというのです。その奴隷が農園で摘み取った素材が、北部に送られ、生地となり、ブルックスブラザーズの服ともなる。その同社の服を南部の農園主が買っていたので、その意味でもブルックスブラザーズは奴隷制によって利益を得ていた。そうスクエア氏は語ります。

圧倒的な地位の乖離から生じるさまざまな物理的障害や精神的苦痛があり、それを有利な地位にあるものが如何に抑え込んでいくか、です。逆に、抑え込まれた人は、どのような手段でアイデンティを確立しようとするのか、です。こういう目に見えない多くの衝突があり、さまざまに工夫がなされるところにリアリティがあります。

(昨年、パンデミック時に多くの従業員が生活苦に陥っているとき、社長は地中海に自分のヨットでクルーズに出て、その姿を自身のインスタグラムに掲載したため、大いに炎上した企業があります。このような事例は枚挙にいとまがないと思いますが、これらは、どこか自分の有利な立場を忘れて墓穴を掘ったのでしょう。)

ラグジュアリー商品を買うのは、子どもの水遊びのようなもの

米国でも欧州でも日本でも、いまや大きくロゴが目立つ服を自慢気に見につけるのはカッコ悪いとの空気があります。スニーカーにはロゴが存在感を放っていることが多いですが、身体の全面はロゴと無縁であると装うのが「心得」のひとつになっています(とは言うものの、例外を見かけることも少なくないです)。

現在、ロゴが強く求められているのは、ラグジュアリー市場で大きなシェアを占める中国市場であると言われます。つまり成熟した市場では、目立ったことを避ける傾向にあると分析されていますが、ハイエンド企業が一斉にロゴ重視をやめるわけにもいかないのです。

そこでファッション史を研究をしているスクエア氏にラグジュアリー領域をどう考えるか、意見を聞いてみたわけです。以下、彼のコメントです。

ハイブランドなるもの、ローレックスのような時計や、いわゆる高額バッグが成熟市場においてもなくなることはないでしょう。年配の人たちだけじゃなく、若い人もね。子どもたちがはしゃいで水遊びをするように、年配も若者も高額商品を買う現象は続く、ということですよ。もちろん、インスタグラムで人に見せびらかせば、それでもう御用済みということもありますね。

彼が子どもの水遊びに喩えたのには、唸りました。ここには合理的な判断はほぼなく、それは必ずしも人に羨ましく思われたいとの欲でもないのです。自らハレの時間を作らずにはいられない気持ちが「思わず」出てきたタイミングを表現していると思います。

ただ、前述の企業の社長のようにあまりに無防備だと批判の渦に巻き込まれてしまいます。

スクエア氏は次のようにも説明します。

エリートやエスタブリッシュメントと紐づいているから、人々はラグジュアリーとは少々暗部のある世界だと思っていますよね。その一方、エリートは世界のなかの1%であると見られる必要もないのですよ。繰り返しますが、若い世代もコンヴァースのパンツやT-シャツを着ながら、高級時計やバッグをたまに買うはずです。

僅かなパーセンテージに限られる豊かな層は、何か悪いことを企んでも、それを隠しとおすか、ごり押しができるのではないか、と人々は思う傾向にあるというわけです。冒頭の記事にある欧州スーパーリーグが成立できると目論んだ強豪チームの人たちは、まさしく、この点を甘く見ていたはずです。

ただ、多分、多くの人が気がつきにくい傾向は、エリートは世界のなかの1%であると見られる必要もない、というところだろうと思います。もちろん、エリートがエリートであると認知されないための防御策を講じることの裏腹でもあります。

しかし、スイスの高級時計の米国法人の社長が昨年、ウェビナーで次の発言をしていたのを思い出します。

ファッションはとてもラフでスニーカーを履いていて、一見、それほどラグジュアリーには執着しないようなタイプが、時計だけは高いものを持ちたい人が多い、というのが米国市場の特徴だと思います。

トレンドというのは、なかなか一言ではまとめきれず、やっかいなものです。

イタリアの高級ファッション企業、ブルネッロ・クチネッリの服にはロゴが表に出ていないから、エリートも安心して質の良い服を享受できるとの動機で買われてきました。そして、それがブルネッロ・クチネッリの服だと周囲に気がつかれると、もっと人が知らない良質のロゴなしの服を買うといいます。

エリートのより洗練された処世術が求められているのは確かです。いや、処世術のレベルで捉えてよいのでしょうか?

写真©Ken Anzai




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