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今、なぜポケモンカードが売れるのか ― コロナは終わらない(上)

ポケモンカードが売れている。ネット時代にカードという現物が売れている。それも車が買えるポケモンカードがある。家が買えるほど高く取引されるポケモンカードまである。だれが売ってだれが買うのか。かつてのポケモンカードブームとは明らかにちがう。かつての子どもたちが実家の子ども部屋に残していたポケモンカードが動いている。
かつての子どもたちが世界と取引している。デジタル時代にポケモンカードが稀少・貴重なものとして動いている。かつての子どもたちは、子ども時代に、20年後の現在の姿を想像できていただろうか。こんなことになるのならば、もっと買っておいたらよかった、捨てなければよかったと思うだろうが、未来はかくのように分からない。しかしポケモンカードを買っていなければ、現在はない。

1.1年前に現在を想像できたのか?

コロナ禍が第4波に突入し、3度目の緊急事態宣言が出されようとしている現在を、1年前に想像できただろうか。これまでの緊急事態宣言以上の措置として、緊急事態宣言発令後から5月末頃までの休業要請や都市封鎖の必要性すら議論されている。今までなにをしてたんや、どないなってんねんというけど、どれだけの人がこのような現在を見通していただろうか。

一年前、私たちは初めての緊急事態宣言にどこか浮足立つような空気のなか、「都市封鎖」を経験した。学校休校・休業・テレワーク・オンライン会議・オンライン講義・オンラインショップ・オンラインデリバリー…コロナ禍前に「できていた」にもかかわらず、取り組まなかった事柄が緊急事態宣言を契機に動き出した。人が集まるところに移動しなくなり、家にこもった。私も「冬眠」した。冬眠明けに向けて、「次」に向けて準備をした。

2.コロナは終わらない

コロナ禍となって、1年が経った。この2月に緊急事態宣言が解除された。もう疲れたもうええやろと、新年度に入りコロナ「禍」から始まったモノ・コトをやめて

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マスク姿と人と人の距離感はあるものの、元に戻ろうという動きが始まった矢先に、マンボウとなり緊急事態宣言が発令されようとしている。

昨年の5月の1回目の緊急事態宣言で、1年後の現在を想像できた人はどれだけいたのだろうか。未来はかくもわからない。しかし

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コロナ収束の時期がいつかによって、どのように頑張る、我慢する、辛抱するという耐え方が変わると、みんな考える。しかしコロナ禍を頑張る、我慢すると、考えることは本当に正しいのだろうか。コロナはどうなっていくのだろうか。

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インフルエンザの予防接種が毎年おこなわれるように、コロナも毎年予防接種することになる。コロナはワクチンで根絶できるのではない。新型コロナはインフルエンザ同様につづく。だからコロナは終わらない。

コロナ禍は令和2年におこった。令和時代を象徴づける社会現象となるだろう。感染が増え落ち着き、また増え落ち着き…というように、コロナ禍は混とんと年月を重ね、コロナの影響は令和10年ころまでつづくのではないだろうか。

コロナ時代に生まれた子は、ずっと「マスク」をしてすごす。1年が経ち2年が経ち3年が経つと、それが普通になじむ。未来を読むことは難しく、そんなことにはならないと考えがちだが、そうなることはスペイン風邪など流行病の歴史が物語っている。

3.コロナ禍の現在、なにをすべきか。

未来を読めないとしたら、どうしたらいいのだろうか。
そもそもコロナ禍って、悪いことばかりだろうか。コロナ禍だからできなくなったことばかりでなく、コロナ禍だからわかったこと、できたこと見直せたこと、始められたこともある。コロナ禍だから、我慢して耐えて仕方なく、こうなった、こうしなければならなくなったとネガティブに考えてばかりの人・企業や学校がある。一方、

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と考える人や企業や学校がいる。コロナ禍を契機に、方法論をガラッと変えた人や企業や学校がいる。コロナ禍で、ライフスタイルやビジネススタイルを大きく変えて新たな価値を生みだしたり、新たなビジネスや市場を開拓している人や企業や学校がいる。その人たちはコロナが収束したとしても、

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しかし変わることと変わらないことがある。変えなければいけないことと、変えてはいけないことがある。これがこんがらがっている。
なぜそうなるのか?コンテンツ(事柄・内容)ばかりを追いかけコンテクスト(文脈・拝啓)をつかめないから、そうなる。表面的な問題ばかりが気になり本質的な課題をつかまないから、そうなる。コロナ禍に、どう考えどう行動するかで、その後が大きく変わる。

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未来はどうなるのかは分からないが、未来をつくりだす構造・メカニズムをつかむことによって、予想・予想を信じたもののみ、能動的に生きていける、予測・予想は外れたとしても変化に応じて生きていける。
大切なのは、未来こうなるということよりも、未来をつくりだす構造・メカニズムをつかむこと。筆者はコロナ禍の第1回緊急事態宣言下から、それに取り組んでいる。

緊急事態宣言下のステイホームで、寝る間も惜しんで研究を続けた。
日本史、第二次世界大戦の記録、幕末、徳川時代の幕藩体制、戦国時代。時代がリセットされる段階で、いったいこの国で何が起き、それがどうなっていったのか。なぜそうなったのか。考え続けた。
また技術と社会の関係についても研究した。古代から現代へ。技術が何を変え続けてきたのか。これから社会はどうなっていくのか。ひたすら考え続けた。
それらをもとに、明治維新後百五十年、戦後七十五年、失われた三十年を振り返ってもみた。
徹底した総括をしない、この国の奇妙な「赦し合い」の習性が、どの時代にも潜んでいる。強くそれを感じた。
そしてコロナ禍後の社会の姿が見えてきた。

それを本という表現法でまとめた。

3年前から毎週COMEMOを書いてきた。この3年半の毎日、COMEMOを考え発信していた。215本のCOMEMOとなった。そのCOMEMOのエッセンスを「日本再起動」という本にした。
コロナ禍に起こっている事柄は、コロナ禍前にあったこと。その本質をつかみ、過去と現在をつなぎ、内と外をつないで、明日を観て現在どう行動するかのために書いた。
ご関心があれば、ぜひお読みください。






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