Otakuとは誰か?コロナにより分断する「社会」=ドイツから考える

2020年を振り返りながらOtakuとは誰か?ドイツから考えてみます。

はじめに

OtakuはXXです、と言った場合、Otakuほど幅の広い言葉はないのではないでしょうか。特定のグループの人物像を想像される方も多いと思いますが、定義しようとすると細分化する必要があったり、定義すればするほど本質から離れてしまうような、いわば流動的な言葉だと思っています。

筆者はドイツでアニメやマンガファンが多く集まるイベントに頻繁に出入りしてきました。今回は、そういった界隈の人たちを眺めていて思ったことを書いてみます。

2020年は新型コロナウィルスの世界的な感染拡大により、予防対策に関して異なる意見が噴出し、社会の分断が叫ばれた年だったと思います。日経新聞でも政治や社会の分断を扱う記事は多いです。

ドイツでも近年の極右政党の台頭により政治や社会の分断を感じることが多くなりましたが、新型コロナウィルスの予防対策を巡っても、その分断は引き継がれているように見えます。

ライプツィヒに集まったマンガファン

ドイツのアニメファンイベント界隈で、その「分断」が顕著に現れた例として3月に中止されたライプツィヒ書籍見本市が挙げられます。同地ではマンガ・コミックコンベンション(MCC)という大型イベントが併催され、ドイツ各地から10万人(のべ)のアニメやマンガのファンが集まります。

MCCは新型コロナウィルスの感染拡大により直前に中止が決まり、かつ中止されたイベントの最初期のものでした。ファンの失望は大きく、一部のファンたちは、市内の公園で代替イベントを急遽開催しました。

このイベントは地元メディアも取材しており関心の高さがうかがえます。記事によると数百人が公園に集まったようです。

この代替イベントの準備や開催中には開催の賛否をめぐり、ツイッターやフェイスブックといったSNSでかなり議論が起こり、分断の様相を呈していました。

ネットでは、遠方の友人たちとの再会を楽しみにし屋外に集まることでなんとか感染拡大を避けようと試みるひとたちと、MCCが中止された意味をよく理解し集まるべきではないと主張する人たちで議論は平行線をたどっていました。

デュッセルドルフに集まったマンガファン

9月には5月から延期されていたデュッセルドルフの大型マンガファンイベント「ドコミ」が開催されました。ドイツ連邦政府により大型イベントの禁止が継続するなかでの開催に、社会に対して無責任だとする意見と保健当局と予防対策をしっかり行っているので問題ないとする主張がここでも真っ向からぶつかりました。(この「ドコミ」については筆者も現地取材をしているので興味ある方は読んでみてください。記事リンク

この「ドコミ」に関連するネットの議論を見ていると、ドイツでは「サイバーモビング」いわゆる「ネットのいじめ」がテーマになるほど、議論は過熱していました。具体的には、SNSでイベントへの参加を表明すると、反対勢力からまるで「吊し上げ」のような厳しい文調でメッセージが集中していました。

Otaku社会も分断したコロナ

当たり前ですが、ドイツでもイベントに参加するような人たちをOtakuと言った場合、社会的な背景は非常に異なります。いわゆるニートと呼ばれるような人ももちろんいるでしょう。それ以上にアウディやBMWの工場で自動車の組み立てに従事するひとや、ポルシェのエンジンを開発する技術者、病院や老人ホームに勤務する医療介護職員など、非常に多岐に渡っています。大学生ばかりの集まりではもはやありません。そして考え方も人それぞれです。

この感染拡大を予防する対策への賛否についても、一枚岩ではありません。

ドイツのOtakuはコロナ対策に賛成なのか、反対なのか、と問われた場合、筆者は両方ですと答えます。

分断は悲しい事実ですが、一方で、Otakuというグループを切り取ることの難しさがこの点においても再確認できるのではないかと思いました。

以上です。

皆さんにとって2021年が素敵な年になるようドイツからお祈り申し上げます。(「いいね」をたくさんください。)

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