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気候変動対策に乗り出したECB

7月8日、ECBが18年ぶりに金融政策戦略の修正を発表したことが金融市場では話題となりました:


過去1年半、ECBは戦略見直し(strategic review)と銘打ち、新時代に即した金融政策運営の在り方を再定義する作業に注力してきた経緯があり、その成果が発表されたわけです(本来はもっと早く出てくるはずでしたがパンデミックで遅延しました)

見直しの論点は多岐にわたりますが、市場参加者の目線から決定的に重要な論点は物価目標の定義が修正されたことであり、インフレ目標が引き上げられたとして巷では相応に話題となりました。上の記事もそれをテーマとするものです。しかし、今回はもう1つの主要テーマを扱いたいと思います。戦略見直しに際し、もう1つの注目された論点は気候変動問題です。

気候変動問題が物価安定にもたらす影響について、ECBは今後の政策運営で考慮していく姿勢を明確化しました。2019年11月の着任以降(正確には以前から)、ラガルドECB総裁は新戦略下でのECBは金融政策運営に気候変動問題の論点を盛り込む意思を明示してきました。戦略見直しに係る公表文には「気候変動と持続可能性への熟慮は(見直し作業において)中心的な重要性を持った」という記述もあり、物価目標の定義と並ぶ重要課題であったことが示唆されています。公表文をさらに読み進めると、気候変動問題が「物価安定に深い含意(profound implications)を持ち、これに対応することは国際課題であると同時にEUにとっても優先順位の高い政策である」と銘打たれた上で、「ユーロシステムとしては気候変動や脱炭素が金融政策や中央銀行にとって持つ含意をフルに考慮していく」と言明されています。

その極めつけとして「したがって、ECB政策理事会(※最高意思決定機関)は野心的な気候変動に関する行動計画にコミットしていく」と謳い、「金融政策の評価において気候要因を包括的に勘案することに加え、政策理事会は情報公開、リスク評価、企業部門の資産購入そして担保枠組みといった金融政策上の枠組みにもそれを適用していく」としています。後述するように、これは現行の社債購入プログラム「企業部門購入プログラム(CSPP:Corporate Sector Purchase Programme)」の修正を指しており、ここでグリーンボンドの類を積極購入することを示唆しています。また、民間金融機関から受け入れる担保に関しても、グリーンボンドに優遇措置を取ることなどが想定されます。

気候変動アクションプランの実際
今回の戦略見直しは基本的に『The ECB’s monetary policy strategy statement』との公表文に包括的な内容が掲載されていますが、気候変動に関しては『ECB presents action plan to include climate change considerations in its monetary policy strategy』と別の公表文が用意されました。ここで金融政策に気候変動要因を如何にして織り込むのかに関し、包括的な行動計画と野心的なロードマップが提示されています。以下では行動計画を中心に詳しく見てみたい。行動計画を要約した格好になっているロードマップはECBサイトで確認できます。

ECBは行動計画の中で「気候変動と持続可能な経済への移行はインフレ率、生産、雇用、金利、投資、生産性、金融システムの安定そして金融政策の波及経路などを通じて物価安定に影響を及ぼす。また、資産価格にも影響するため、ユーロシステムのバランスシートにおいて気候変動関連の望ましくない金融リスクが積み上がる恐れがある」と前口上を置いた上で、行動計画を示しています

もちろん、金融政策の枠組みに気候変動要因を落とし込むことは言うほど容易な話ではなく、これを所管する部局としてECBは1月に「ECB気候変動センター」を新設し、ここが気候変動関連の政策を集中的に調整することになっています:

一連の施策に関連する政策領域としては以下の6つが掲げられています:

① 気候変動関連政策を考慮した新たなマクロモデルの構築
→これまでにない論点を加味するので分析ツールも刷新する必要がある。この点に関しては、7月11日、ベネチアで開催された気候変動関連の会議でラガルド総裁が「カーボンプライス(二酸化炭素排出に応じて企業などに課される負担)を一般的な技術的想定に盛り込み、気候政策の影響を定期的に評価し、異常気象が短期的な生産とインフレ、そして潜在的生産の長期予想に与える影響に関するモデリングの改善を図る」と述べている。これまでとは異なる金融政策の波及経路を想定することになる。

② 気候変動リスクを分析するための統計データ作成
→①のような新モデルを構築し、推計を行うためにはこれまでに使われなかったデータが当然必要になる。この点、環境配慮型の金融商品や金融機関の温室効果ガス排出量(the carbon footprint)、気候変動リスクに対するエクスポージャーなど、気候変動関連のリスク分析に関連する統計データを作成する方針が示されている。

③ 担保や資産購入の適格用件に関し、持続可能性に係る情報開示を要求
→今後、ECBが金融政策の運営において担保を受け入れたり、資産を購入したりする際には、その適格要件として環境関連の論点が重視されることになる。そのため、金融機関や企業には関連情報の開示をして貰う必要があり、それを要求していくというのがECBの姿勢になる。詳細公表は2022年とされている。

④ 気候変動リスクに関するストレステストの実施と格付け機関への処置
→域内金融機関に対し、気候変動に関するストレステストを2022年に開始する方針が示されている。また、格付け機関についても格付け決定に際して気候変動リスクをどのように組み込んでいるのかという点に関し、ECBは情報開示を求める方針。ラガルド総裁は上述したベネチアの会議で「気候変動リスクが既にあるいは近い将来、リスクプロフィルに重大な影響を及ぼすとそれらほぼ全ての銀行が気付いているにもかかわらず、体系的リスク評価手法を持つ金融機関は全体の20%にすぎない」と不満を漏らしている。「気候変動リスクを正しく評価できているのか」というより厳しい視線と共にECBは域内金融機関に接することになる。

⑤ ユーロシステムの与信業務における担保枠組みに気候変動リスクを考慮
→与信業務における担保の資産評価やリスク管理に気候変動リスクを勘案する。これに加え環境関連の金融商品を巡る市場の構造変化や技術革新を注視し、サステナビリティ・ボンドなども担保として受け入れる態勢をECBとして作る。

⑥ 社債購入プログラムにおける気候変動関連基準の採用および購入配分の見直し
→現行の社債購入プログラム(CSPP)に気候変動に関連した基準を組み込んだ上で、購入配分も修正することが示唆されている。2023年第1~3月期までにCSPPにおける気候変動関連の情報開示をECBとして始めることが宣言されている。

やはり気になるのは「政治との距離感」
以上が主だった論点になります。盛りだくさんですが、懸念点はないのでしょうか。気候変動専用の部局を作るなど、関連分野への資源配分を厚くしたことで、既存業務が手薄にならないのかといった懸念はまずあります(ECBはプロパースタッフが決して多くない組織です)。

しかし、やはり気になった点は「政治との距離感」ではないでしょうか。ECBは上述のような行動計画に関して、EUとして優先順位の高い政策である気候変動対策に歩調を合わせた結果であることを隠していません。具体的には行動計画に際し「EU政策と歩調を合わせる格好で(in line with progress on the EU policies)」という記述が見られています。類似の記述はそこかしこにありました。一般的にEUと言った場合、実態は欧州委員会を指すことが多いでしょう。欧州委員会とはEUの行政府、すなわち「政治」で決めた政策を執行する機関です。上述の公表文においてECBは「政治や議会が一義的な責任を負うが、ECBも責務の範囲内で貢献すべき」といった趣旨の言及を行っており、中銀としての中立性に一応の配慮を見せていますが、担保受け入れや資産購入で気候変動関連の判断基準を盛り込めば、大なり小なり個別企業に対する差別は生まれます

こうした中銀が環境問題に関与することへの懸念は過去のnoteでも議論しました:

もちろん、環境配慮が求められる世相を踏まえれば当然であり、「差別ではなく区別」という表現もあり得ます。しかし、不利益を被る企業からすれば差別以外の何物でもないでしょう。大陸欧州において政府・中銀が一体となってそのような取り組みを行おうとしていることについて、一抹の不安を覚えるのはそれほど不思議なことではないように感じます。

庭先である物価や景気を決して上手く制御できているとは言えない状況下、政治的な中立性に疑義を抱かれるリスクを冒してまで中央銀行が気候変動分野に乗り込み、貴重な政策資源を割く合理的な理由とはなんでしょうか。環境分野に中銀が乗り込んでいくことに関し、もう少し色々な議論が交わされても良いのではないかと思います。

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