ヨルダン__34_

後藤健二さん、湯川遥菜さんの事件から、4年

 後藤健二さん、そして湯川遥菜さんがIS(過激派組織”イスラム国”)に殺害されたとされる映像が流されてから、4年という月日が経つ。 

 後藤さんの殺害映像がISによって公開されたのは、2015年2月1日だった。あの日、私は頭が混乱したまま、シリアの南側の隣国、ヨルダンに飛んだ。混乱の理由は様々あった。事件そのものはもちろん、映像という手段が残酷なことを伝えるために使われてしまったこと、そして二人に対するバッシングや”自己責任論”、そんな命を切り捨てるような言葉が溢れていたことも悲しかった。 

 ヨルダンの首都アンマンに到着し、事件の緊急対策本部が置かれていた日本大使館前に向うと、目の前の光景に息をのんだ。そこには100人を超えるヨルダンの人々が集い、「日本の友人たちのために祈りましょう」と二人のための追悼集会を開いてくれていた。

 ヨルダンの人々だけではない。この国に逃れてきているシリアの人々に何度、「日本人か?」「大丈夫か?」と声をかけられただろう。

 シリアでは2011年3月以降、36万人を超える人々が犠牲になり、そのうち民間人は10万人以上といわれている。

 友達や親戚を殺されたことがない人々などいないくらい、毎日のように殺戮が続いている。「なぜそれでも国籍の違う人を悼んでくれるの?」と尋ねると、「ジャーナリストだって一人の市民じゃないか」と一人のお父さんが真っすぐに答えてくれた。それと同じくらい強い気持ちで、私たちはシリアの人々の平和を祈ってきただろうか。

 あの人質事件から時が経ち、”ISはもうひと段落”かのような報道が続くと、この地への関心はさらに薄れていく。けれども戦闘は止まず、例え目に見える戦火が消えた地であっても、破壊された故郷に人々が帰還するには長い年月を要するはずだ。昨年シリアの北部を訪れた際も、不発弾が転がり、地雷の撤去さえままならない村もあった。そしてあまりに深く刻まれた心の傷が癒えるには、更なる時間が必要だろう。

(写真は今月、かつてISの”首都”だったラッカにて。)

「何より悲しいのは、人々の生活が困窮していくことはもちろん、世界の報道の目が殆どISの恐ろしさにしか向けられなかったことだ。ここで起きていることが辛うじて伝わるのは、自国の人間が人質になったときだけだ」。援助関係者が語る言葉には、静かな怒りがこもっていた。

 これはある、シリアから逃れてきた男性に投げかけられた言葉だ。

「私たちを最も苦しめてきたものは、“イスラム国”でもアサド政権でもなく、世界から無視されている、忘れ去られているという感覚なのです」。

 その言葉に私たちはどう、答えられるだろう。

(ラッカ市内、夕方の公園に集まってきた子どもたち)

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フォトジャーナリスト。国内外で貧困、難民問題の取材を続ける。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。J-WAVE「JAM THE WORLD」水曜日ニューススーパーバイザー。TBS「サンデーモーニング」コメンテーター。 https://d4p.world/

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