
平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。 ~ 一言切り抜きfrom日経#153
このセリフは、終戦記念日にアップしようと思っていた。
日経新聞5月24日、丹下健三さんの見開き記事より一言切り抜き。しかし、この記事、日経電子版にはアーカイブされておらず。
ただ、記憶しているのはこのセリフ、丹下健三さんの自伝「一本の鉛筆から」からの引用だったということ。広島の平和記念公園設計案についての思いだった。
本から、より多く引用する。
>「平和は訪れて来るものではなく、闘いとらなければならないものである。平和は自然からも神からも与えられるものではなく、人々が実践的に創り出してゆくものである。
この広島の平和を記念するための施設も与えられた平和を観念的に記念するためのものではなく平和を創り出すという建設的な意味をもつものでなけらばならない。」
「爆心地に設けられる平和記念公園は、世界的な意味を持つであろう」
戦い取るのではなく、闘いとる。その後の文に「創り出す」という文字も見えるから、つまり、この「たたかい」というのは、敵との戦いではなく、自分たちとの「闘い」であるということだろう。
しかし、戦争と平和の関係は、難しい。
8/6と8/9、世界の平和を願う記事がたくさんでつつ、8/14の記事では、武器を日本主導で作る記事が2面に躍る。
やはり、平和は「戦い」取るものなのか。
>日本政府は、航空自衛隊の次期戦闘機を、日本主導で国際共同開発する方針を明らかにした。
そして、今日の記事では、8/15といえば玉音放送を直立不動で聞いていたのが基本だったと思っていたが、そうでもなかったというコラム。
>「民衆の雰囲気は極めて穏やかなものだった。平静である。興奮している者は一人も見かけない」。高見順は「敗戦日記」に、新橋駅の光景をこう記している。8月15日の表情は、じつに多様なのだ。
戦争を望む者は人類に一人もいない。
平和を望まない者は人類に一人もいない。
はずなんだけど。
戦争と平和の関係について、人類で知っている者は一人もいないのかもしれない。その関係や、その「心」についての進化が、いま人類に望まれている本当の進化なんじゃないだろうか。