
それはしょうがないという世界観ー日本の現在地
昔、時間はゆっくりと流れ、のんびり暮らしていた。現代日本人は時間に正確で、厳しい時間規律の国民だというが、昔の日本人はそうではなかった
江戸時代までの時は、日の出と日没を基準に1日を12等分した12刻で生活していた。しかも日の出や日の入り時刻は季節によって変化するので、季節によって時間が変わるという時間感覚で生きていた。太陽とともに起き、陽が沈んだら仕事を終えて、食事をして寝るという生活リズムだった
明治維新を契機に始まった鉄道事業と郵便事業を契機に、日本人は大きく時生活リズムが変わり、時間感覚が変わった。
明治維新は時間革命でもあった
1. なぜ日本人は時間に厳格になったのか?
明治4(1871)年に、それまでの飛脚便から郵便になった。郵便を地域と地域を時間通りに運ぶという制度が作られ、郵便事業者も利用者も時間を遵守しないと機能しない社会システムが生まれた

その翌年、鉄道が開業した。鉄道の時刻表がつくられた。何時何分にどの駅にどの列車が出発するかが決められ、列車は決められた時間どおりに線路を走り、時間通りに駅に到着して駅を出発する。乗客は発車時刻の5分前まで駅構内への立ち入りができなかった
時間にルーズだった日本人は、時間意識を高めざるを得なくなっていった。いままで時間をざっくり掴んでいた日本人は、時間どおりに来て出発する列車に乗るために、「分」という時間単位で行動するようになった

ビジネスで課題解決する際に、筆者がよく使っていた考え方がある。
価値観と制度・ルールと教育・訓練の3つを連動させながら、問題を解決していく、価値創造を図っていく連動図という枠組みである
日本人の時間感覚の変化は、電車や郵便を推進するために時間管理というルールが作られ、国民はそれを守らないとそのサービスを享受できないというスタイルになり、結果として時間意識が変わった
逆も真なり。この連動図的に考えたら、時間感覚をゆったり、ゆるやかにすることもできる
明治日本は郵便と鉄道からはじまり、軍隊、工場、学校、会社、病院など日本社会全般に「時間管理」が埋め込まれ、日本人は時間と分を単位に行動するようになり、時間意識が高められていった
「5分前ルール」をビジネスで教えられる。出社時間は始業の5分前までに出社せよ、会議開始時間の5分前まで会議室に入れ、お客さま訪問はアポ時間の5分前までに行くように…などなど
それは、旧大日本帝国海軍の「5分前精神」から広がったようだ。定刻の5分前には準備を終えて、定刻と同時に作業を始められる状態にせよという精神から広がったという。こういった制度設計によって、日本人の行動スタイルと相乗作用をおこし、日本人の性格・価値観をつくりあげた
戦後日本は復興をめざして、産業は技術の進歩と相まって時間感覚をさらに時間から分単位に、さらに秒単位で管理されるようになった。明治、大正、昭和と、時間を追いかけ時間を守って、高度経済成長を実現した日本は、明治100年(1967年)で、これまでとは違う風景が見えてきた
昭和47年の「のんびりいこうよ、俺たちは」(モービル石油のCM)、昭和48年の「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く」(全国交通安全運動の標語)が流行語になるなど、高速で走りつづける日本への警鐘を鳴らす声が現れた。しかし日本の時間速度は止まらず、効率性、生産性向上を目標に、日本人の時間感覚は日本社会システムの高度化を求めていった
2. システム障害ーしょうがない
名古屋港でシステム障害が起こり、トレーラーによるコンテナの搬出入作業を終日中止した。トヨタのシステム障害をおこし、国内全14工場の生産が停止した。産業・都市での情報通信ネットワーク化が進み、有事の社会への影響は広範囲におよぶようになった。リスクが生じないようにする対策は抜本的に行うことは大事であるが、リスクをゼロにはすることはできない
情報通信ネットワークの社会影響リスクは、日本の固有課題に限らず、世界的課題である。技術の進歩と引き換えで、都市・産業の新たなリスクが加わった。金融システムもダウンする、携帯電話もダウンする
それはしょうがない
そういうことが起こるかもしれない
そんな世界観にならないといけない
そんなことでいいのか?というような批評対象にしてはいけない。情報処理技術は循環の方向にある。生成AI利用の機密漏洩リスクの議論もそう。リスクをコントロールすることは当然であるが、人類は現代から旧石器時代に戻ることはできない。前に戻ることを前提に議論すると、進歩はない
そういう事柄をどうだこうだと批評するのではなく、そういう時代・社会になっているという前提で、何がどう変わるかという観点で臨むことが大事
3. 電車が止まるーしょうがない
最近、鉄道がよくとまる。遅れることが多くなった
転機があった。JR福知山線の塚口駅‐尼崎駅間列車脱線事故は、利用者の利便性、効率性を向上するための過密ダイヤとタイトな時間管理が事故の原因のひとつともいわれているが、その事故以降、電車が遅れるようになった
やはり行き過ぎた。さらに沿線を広範囲につないだことで、滋賀県で起こった事故が大阪、さらに兵庫県の姫路に影響する。兵庫で起こった事故が今度は滋賀に影響を及ぼすようになった。遅延することが普通になりつつある。メリットがあれば、デメリットがある
新幹線が台風7号に備え、事前に計画運休をおこなったが、想定以上の台風影響でさらなる運休と遅延を引き起こし、乗客30万人に影響を与えた
しょうがない
電車は遅れるものだという前提で、余裕をもって駅に向かうようになった人が増えている。明らかに乗客の行動が変わってきた。そもそも
高速道路はよく渋滞するよね
それと一緒じゃないか
道路や高速道路は朝夕の自然渋滞や交通事故渋滞は日常的である。渋滞にイライラしたり困ることもあるが、道路は遅れるものだという前提で、車に乗っている
そんなものだ、と
4. 人口は減っているーしょうがない
現代日本は人口が減っている。高齢者がめちゃくちゃ増えている。単身者がすごい勢いで増えている。その個人的実感はあるのに、ビジネスプランや政策を考えるときは、なぜかこれまでのやり方、固定観念で考え、社会と乖離したことをして失敗している。現在を普通に観る
超高齢社会を生きている
単身者が社会にいっぱいいる
という前提で考える
高齢者、単身者が増えている—それを善し悪しで考えると、守旧主義になる。古い事柄や古い価値観を守ろうとする。しかし
時代はほっといても変わっていく
高齢単身女性が増えている。高齢単身女性の増加することは、20年前から、様々な場で議論されてきた。そのテーマの結論を出さずに20年間も放置して、課題が現実化している。何とかしなければという問題意識で、国は検討していたけれど、なにもできなかったのだから
そういうものだと思わないといけない
女性の17.85%は生涯未婚、より少子化が加速するーということを前提に、現在そして未来を考えないといけない

この人口見通しから目を背けてはいけない。人口減少・少子化を日本の栄枯盛衰のことわりで捉える。鎌倉時代から考えても1000年間、日本はいいこともありよくないこともあった、浮き沈みをなんども繰り返してきた。その歴史のサイクルから考えて、日本は今から100年ぐらい人口減少・縮退モードになっていくだろう
5. そういうものだから出発する
そんな時代なのだ。こういう人口減少・縮退モードが進むなか、日本を新たな枠組みで再興しようという人々が現れ、次の若い世代にバトンタッチされそれを発展させ、新たな社会を創造しようとする。そうして日本が再興する
そういうものだということを前提として考える。これまでやってきた社会・政治システム、経済・産業システム、明治維新以来、戦後以来の日本のシステムがリセットされ、新たなシステムが構築されていく
誰もが分かっている
日本が適合不全を起こしていることを
特定の権力・体制が永続するという歴史はない。4000年の人類の暦史の中でも永続な権力はない。マケドニアや漢やモンゴルなど世界帝国となった国も、勃興して栄華を極めたが、没落した。その繰り返し
日本もそう。奈良時代は84年、平安時代は386年、鎌倉時代は156年、室町時代は232年、安土桃山時代は32年、江戸時代は268年。現代は明治から155年
それを問題だと考えない
そういうものだと考える
これまであり得なかったことが次々と起こっている。これまでタブーとされていたことが表にあらわれてくる。それらをひとつひとつの事象をどうこう捉えるのではなく、一連の事柄を並べ時代の潮流で捉えると、明治維新以降の政治・経済・産業・社会システムの機能不全が見えてくる
新たな時代がどうなるのかは見えないが、日本は世界最先端を走り、世界から憧れられつづけるようにするという国家戦略もあるが、スイスのように独創的に生き残っていくという国家戦略もある。どんな日本となるのかはこれから考えたらいい
日本の現在地はそういうダイナミズムの中にいると考えるのが自然である。日本だけが特殊だと考えてはいけない
そういうものだと考えないと
時代を読み違える