当たり前だった母の味を再現したい、と思うのは当たり前かもしれない
「あれ、煮干し変えた?」団らんの記憶をたどると、母にみそ汁の味付けを尋ねていたことを思い出す。母は料理が上手い。しかし、決して本格派ではなかった。だしの素を使ったり、クックドゥなどの合わせ調味料で手軽に済ませたりすることもあった。煮干しの味は、母なりの工夫の跡だったのかもしれない。
「一人暮らしの記者」という生き物は、団らんから最も縁遠い存在だ。飲み会はあるが、食卓を囲むような穏やかなものではない。濃い味付けが中心になり、煮干しが入っていようが魚が生きたまま入っていようが気が付かないほど、味の違いに対して鈍感になる。
味覚は麻痺してしまったのだろうか。NIKKEI STYLEの記事によると、味覚は3歳までに育つという。
3歳までに基本的な好き嫌いや、食事の価値観が身に付くと言われています。いつも忙しくて家族がバラバラの食卓だと、それが子どもにとって「正しいこと」「当たり前のこと」になってしまいます。
私には母が育ててくれた繊細な味覚が残っているはずだ。折しも外食中心の生活で体に負担をかけたので、少しずつ自炊を取り入れたいと考えていたところだった。自分で母の味を再現できれば、少しは健康になるだろうか。
「お母さん幻想」から解放されよう
4月9日、スープ作家の有賀薫さんによるゼミ「家庭料理の新デザイン」が東京・千駄木のイベントスペース、KLASSで開かれた。この日は全3回のうち最終回。1回目、2回目の座学は非常に勉強になったが、今回は調理実習の形式でその学びを網羅する構成になっていた。
1回目のゼミは家庭料理の幻想から目覚めることが目的だった。家事に時間を割けない単身、共働き世帯が増えている今、家庭料理を再定義する必要がある。自炊のハードルを高く感じる要因の一つが「お母さん幻想」にあるという。
つまり「自分の理想(=お母さん)に届かないことにコンプレックスを感じている状態」を認識したうえで、それは幻想だから気にする必要はないということだ。常に理想の食事を作り続けるのは、可処分時間が減っている以上むずかしい。有賀さんの言葉が免罪符となり、少し自炊に対して前向きになる学びを得た。
家庭料理の新デザインは、自分にとっての「ちょうどいい」を探る作業だ。それは自炊の頻度だったり、栄養バランスだったり、外食も含めた外部リソースの活用だったりする。「幻想から目覚めて『抜け道を知ること』がラクになるコツだ」と有賀さんは言う。
私が家庭料理に望むことは、体が一番求めている味、自分に染み付いている味を再現すること。つまり、母の味を再現することだ。
このこと自体がお母さん幻想にとらわれているのかもしれない。でも再現できれば体に良いし、嬉しくなるだろうし、自炊を続けるモチベーションになる。私はそう咀嚼した。
シンプルに作り、足りない部分を補う
必要なのは方法論を学ぶことだ。実習では3人1組になり、最低限の食材と調味料でスープを作る。野菜、タンパク質、調味料――。これらを組み合わせてレシピを無限に広げる「スープの方程式」を試してみた。
コツはなるべくシンプルに作ること。少し物足りないくらいからスタートしたほうが、自分の求めている味がロジカルにわかるという。有賀さんによると「塩や出汁を少しずつ加えていくと、旨みがわーっと広がるタイミングがある。それを知ることで、自分の味が身についていく」のだそう。
3人で作ったスープは初めて食べる味だが、とても美味しかった。それもそのはず、私以外のメンバーは管理栄養士と料理のプロ。洋風の具材(キャベツ、トマト、ベーコン)を和風スープ(昆布、鰹節、みそ、油揚げ)に合わせたはずなのに、スッと体に入ってくる。不思議な体験だった。
自炊とは縁遠かった生活に料理の楽しさを教えてくれた、貴重なゼミだった。自分の味を身に付けたら、食べる喜びを教えてくれた母に料理を振る舞いたい。
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