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ChatGPTでレポート課題をズルするなら、いっそのこと大いに使わせようじゃないか~とある地方国立大のケース(経営学)~

ChatGPTでレポート課題ができない?

ここ数年、生成系AIの新サービスが出るたびに各方面に驚きをもたらしているが、ChatGPT-4 の登場がもたらした衝撃はひときわ大きなものだった。それまで、テクノロジー関係の話題とは無縁だった人たちもこぞって飛びつき、試しに触ってみた感想をSNSや職場で披露した。特別なプログラミングが要らず、私たちが普段使っている自然言語で使うことができる生成系AIは、AI活用のハードルを大いに下げた。
反面、生成系AIの衝撃は既存の事業モデルを根底から打ち壊してしまう可能性も秘めていた。そのため、活用についてガイドラインを設ける組織や業務での活用を禁止するという対応をする組織も出ている。

根底から打ち壊された事業モデルの中には、大学での教育システムも含まれる。特に、影響を受けたのがレポート課題だ。大学の教育では、答えのない課題に対して、習得した専門知識を活用して事象を分析し、その結果を論述する論理的思考力が重視される。レポート課題は、論理的思考力を鍛える訓練と評価のためのツールとして優れた手法だ。しかし、ChatGPTのような自然言語生成AIはレポート課題の作成を代理で行えてしまう。提出された成果物だけをみて、自分で考えたのか、生成系AIが出力したものなのかを見抜くことは至難だ。
筆者も含めて、多くの大学教員が頭を悩ませている課題だ。それならばいっそのこと、逆に考えてしまい、レポート課題で生成系AIを大いに活用させてみてはどうだろうか。

私の授業でのChat GPTの使い方

私の大学の講義では、プロジェクトマネジメントの基本や組織行動論、欧米と比べた時の日本的経営の特殊性、起業家精神について講義をしている。各回の講義は事前課題としてレポートの提出が必須であり、その回で取り扱うテーマについて自分なりの考えを整理して、マインドセットを整えた状態で参加してもらうようにしている。

授業に臨むためのマインドセットを整えるために課しているレポートであるため、当然のことながら生成系AIでレポートを出力されると非常に困る。そこで、「逆に考えるんだ」ということで、生成系AIの活用を必須とした。

まず、課題に対して生成系AIを用いてレポートを出力させて、その結果をスクリーンショットなどで保存してWordに貼り付ける。その上で、出力されたレポート課題を基にして、誤っている情報を修正したり、自分の意見を付け加えるなどして改善したものを成果物として提出させている。

つまり、0→1の作業を生成系AIに任せ、1→10の作業を自分でやるという構成にしている。もちろん、この作業自体も生成系AIだけでも可能だが、何度も生成系AIで出力し直し、品質を確認するという作業はそれはそれで学習効果が期待できるので容認している。試行を繰り返して生成系AIの成果物を評価するということは、評価できるだけの知識と思考力が備わっていないとできないためだ。また、容認するとはどういうことかというと、生成系AIで何度も試行を繰り返して品質を上げる場合には、その過程のPCやスマホの画面をすべてスクリーンショットなどのデータとして残し、提出させている。

生成系AIの活用で成果がわかりやすいのは起業家精神の授業だ。事業アイデアの提出を学生に求めると、奇をてらって実現不可能な荒唐無稽なアイデアを出すか、既に世の中で溢れているあり触れたアイデアを出してくる。しかし、生成系AIで事業アイデアをいくつか出力させて、その結果を下敷きとしてアイデアを考えさせると、一気に品質が上がるのだ。

創造的思考の研究では、思考のフレームワークを用いることで独創性と実現可能性を両立させたアイデアを出しやすいことがわかっている。私たちのよく知るブレイン・ストーミングはその一種だ。生成系AIで0→1を出してもらう工程をスタートとすることで、簡易的なブレイン・ストーミングのような形になり、アイデアが出しやすくなる。なお、多くの心理学の研究が、メッセンジャーのようなオンラインでのチャットベースで行うブレイン・ストーミングが対面よりも効果が高い傾向にあると分析結果を示している。生成系AIを起点としたアイデア出しは、チャットベースで行うブレイン・ストーミングに近い。

ChatGPT禁止は高校生の化粧禁止に似てる?

今後、生成系AIの活用は避けては通れない技術となるだろう。技術革新の波に乗り遅れた社会は、先進的な社会に淘汰されることを長い人類の歴史が教えてくれている。

当然、先進技術は見通しが不透明なことも多く、活用にリスクもある。しかし、ここで保守的になって、生成系AIの活用に制限をかけるべきではないだろう。それよりも、如何に活用し、付加価値を生み出すことができるかにリソースを割くべきだ。

生成系AIを制限するか、活用を促進するかという議論には正解がないだろう。個人が持つ思想や志向の問題とも言える。そういった意味では、高校生に化粧を許すかどうかという議論に近いものがある。化粧をすることで生じるリスクを危ぶんで許さない高校もあれば、社会に出ると化粧がしっかりとできないと非常識だと言われるのだから高校生のときから練習して、健全な方法を学ぶべきだという主張もある。

しかし、高校の化粧禁止と同じで、遅かれ早かれ将来的には必要になるのだから、生成系AIとの付き合い方は前向きに捉えたほうが建設的だろう。


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