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仕事を楽しいと思えない人間が、この社会を貧しくしてる?貧しいのはどっち?

昨日の夜、大きな地震がありました。

品川駅で帰宅難民が出たらしく、タクシーに大行列ができたとか。10年前の被害市日本大震災を思い出しました。無理に帰宅しようとせずどこかのお店で時間を潰してください。

特に、品川駅に通勤される方は、今週は月曜から不快な広告見せられて、今日は地震に見舞われて本当にお疲れ様です。

品川駅の不快な広告とはこれです。

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最初見たとき、なんのコラかと思いましたが本物でした。これだけだけだとこのコピーの意図することが全く理解できないのですが、たまたま最初に見たのが、この広告を出した会社の社長のツイートだったので意図は理解しました。意図は理解しましたが、僕個人はこれを不快というより、正直「だっせえ広告打つなあ」という印象です。

楽しくない仕事だってある。気が乗らない日だってある。それでも仕事場に向けて前を向いて歩いている大勢の人たちはこれを見てどんな気持ちになるだろうか。そういうこと考えないのか、と。

上の写真も彼のツイッターに貼られていたものです。※現在削除されているのでキャプチャ貼ります。

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なるほど。「楽しくなけりゃ仕事じゃない」と言いがち、いわゆる意識高い系の会社にありがちなポジティブマッチョ思想のムラコミュニティ広告なんだな、と理解しました。どうせ似た者思想のお仲間同士で「これ、いいね。最高だね」なんてノリで決めて出したものでしょう。

ちなみに、僕はかつてNewsPicksさんのプロピッカーもやっていたくらいだし、寄稿もしてれば、動画出演も何度もしているし、現在もコメント書いているくらいなので、NewsPicksさんが嫌いなわけでも恨みがあるわけでもないです。むしろ好きな方です。このアルファなんとかは知りませんが。

ただ、付き合いがあるとかないとか、好きとか嫌いとかではなく、単純に広告手法として「下手くそだ」と思うわけです。こっちも長い間広告の仕事をしてきた身として言いますけどね。

少なくとも交通屋外広告を出す以上、そこを往来する人たちをターゲットにしているわけで、その人たちがこの広告を見てどう思うかって想像力がない時点で、この会社は人間を見ていないし、そんな会社が人材育成なんてできんのか?と疑問しか持たない

事実、大勢の人を不快にし、「配慮が足りませんでした」と1日で撤去したわけです?それもまた「だっせえ」と思います。

それでも「うるせえよ、俺達はこの広告を見て、不快になるような底辺の人間なんか相手にしてねえんだよ。こちとらセグメント広告してんだよ、ぼけ」と言うならまだ感心しますわ。実際、半分くらいはそうした炎上狙いがあったのだと思いますよ。社長自らが嬉々として上のような写真(うつむいて出勤する群れの上に君臨する自分らの崇高な考えを見たか!という気持ちが透けて見える)をあえて出したわけですから。

狙い通り炎上できてよかったんじゃないですか。だったら猶更貫き通せばいいのに、と思います。撤回したのを「だっせえ」というのはそういうことです。

そして、もっと興味深いのは、この炎上に対して、お友達なのか、ポジティブマッチョ群の人たちから見当はずれな擁護や、無関係なのに、単に逆張りしたがるへそ曲がりな奴も出てきたりすること。

たとえば、広告の一部を切り取らず、全文を読めば、この広告自体それほど問題にすることじゃないとか言ってるのがいますが、そもそも全文読まなきゃ理解されないような広告コピーなんて下の下だといっておく。

しかし、それほどまでに言うんなら、ボディコピーも見てみましょう。これ、新聞広告まで出しているらしいので。

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小さすぎて視認できないので書き起こします。

出勤中のみなさま 今日の仕事は楽しみですか。 今日の仕事が楽しみだと 思える仕事が増えたら この社会はもっと 豊かになるはず だから、 Alpha Drive/News Picks が新規事業の生まれる 組織づくりを サポートします。 ビジネスに衝動を。 ビジネスに鼓動を。 Alpha Drive/News Picks

なるほど、なるほど。全文読んだところで、だからなに?としか思えませんね。

「今日の仕事が楽しみだと思える仕事が増えたら この社会はもっと 豊かになるはず」?仕事を楽しいと思えない人間が、この社会を貧しくしてるんでしょうか?楽しかろうが楽しく無かろうが、そんな個人的な感情は奥にしまってみんな頑張ってる。家族のために、下げたくもない頭を下げて、パワハラにも耐えて、炎天下汗水流して働いている人もいる。バカにすんのも大概にせえよって話ですわ。

また、こんな意見もあった。「この広告を不快と感じるのは、仕事を楽しいと思えてないわけでしょ。そんな人は不幸だね」的な上級国民某大学教授まで現れましたね。そら教授なんかは自己の興味を研究しているわけで、仕事の自己裁量権もあるし、楽しいでしょうけど、民間のサラリーマンの大部分はそうはいかない。やりたくない仕事だってある。

そもそも「仕事を楽しい」なんて思っている人間の方がマイノリティです。2020年20-50代一都三県未既婚男女1.5万人調査によれば、35%しかいない。楽しくないって方が普通の感覚。

モーニングショーの玉川氏も同様なことを言っています。

玉川さんは、あんだけ自由に発言させてもらっているんだからそりゃ楽しいでしょうよ。

年金機構が誤送付して大変な問題になっていますが、今その渦中にいる人たちは「仕事は楽しい」なんて言ってられますか?

別に仕事は苦行であると言いたいのではない。

楽しいか楽しくないかなんて、人によって違うし、同じ人間でもその時々で感じ方は変わる。仕事の内容がつまらなくても、人間関係が楽しい場合もあれば、その逆もある。人それぞれ感じ方は千差万別であるはずなのに、統一した価値観を押し付けるような傲慢さが出ているから「まるでジョージ・オーウェルの1984だ」という印象を与えるのですよ。第一、仕事が楽しくない人が全員人生不幸なわけじゃない。

広告というのは、もっと最大公約数で多くの人にいい意味の気づきを与えるものであるべきです。セグメントしたいならわざわざ広告する必要ない。狙い撃ちすればいいんだから。

さらに、自分の言いたいことを言うのが広告じゃない。広告は議論じゃないし、相手を論破するものでも、説教するものでもない。見ず知らずの道行く人をつかまえて「おい、ちょっと話を聞けよ」なんていきなり言われて話聞きますか?広告とツイッターを間違えるな、と。特に屋外交通広告なんて、さわやかな笑顔をふりまく交通整理おじさん的なものなんだから、上から目線で不快にさせてどうする?って話です。

以前もここで紹介したハイネケンのシャッター広告なんて、あれを目にした人はみんなとても気分がよくなったはずです。

かつて、ジョージアがやっていた「世界は誰かの仕事でできている」というコピーも、すべての仕事をする人たちに元気と誇りを与えたでしょう。楽しいとか楽しくないとかの低次元の話じゃないところがいい。

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繰り返しますが、広告は笑顔です。笑顔とは花です。「咲」という漢字は「えみ」とも読みます(武井咲さんとか)。見た人の顔に笑顔の花を咲かせられないような広告(少なくとも屋外交通広告では)なんて無意味です。うつむいて歩く人が多い品川駅ならなおさらそうでしょう。

炎上させれば勝ち、PV稼げば勝ち、みたいな考えなら、広告じゃなくて違う手法を取ればいい。だから思い切り思うんですよ。「だっせえな」と。

ツイッターでパロっていたこっちの方がよっぽど笑いました(さだまさしの「案山子」という曲を知っていないと面白くないかも)。


それでも仕事は楽しい方がいい?

ああ、そうですか。そういう人はこういう記事でも読んどいてください。



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