「創造するAI」を用いた創作活動とは、理を探る行為なのか
自動生成を用いた創作活動
遊びとしてコツコツやっている架空書籍。最近、その書籍の表紙を、AIを活用して作ってみました。
もともと、書名は、自分の本棚などにある本の題名から、カットアップで作ったものです。文字フォントもオープンソースで提供されているものを活用しました。本の紹介文は自分で書きましたが、これも自動生成してみようと考えているところです。
作るってなんだろう
改めて、作るってなんだろう、と思いました。今は、プロデュースに近いものを感じしています。
コンセプトを考えること。その後は、適切な入力を行うことで、多くの出力がなされます。そこから、最適と思われるものを選択します。アウトプットを構成する要素に対して、上記をくり返し、それらを組み合わせると最終的アウトプットまでもっていけます。
たとえば、僕が遊びでやっている架空書籍であっても、これまでなら、多くの人の力を借りる必要がありました。コンセプトを考えたあと、書名をカットアップでつくるところは自分でできます。それに対して、紹介文も自分で書けます。しかし、その先の表紙の映像や文字デザインなどについてやろうとしたら、デザイナーの友人を巻き込んで一緒に遊ぶしかなかったと思います。
もちろん、そのプロトタイピングを、検索エンジンなどを活用して実施することもできました。Googleの画像検索エンジンを用いて、権利処理されたもの、もちろん個人で遊ぶだけならそれも気にせずに。
自分と直接接点のない人が過去につくった膨大な画像データから、自分の頭の中にあるものに近しいものを探して、素材として活用することができました。
検索と生成が、行為としては、同じ
そう思うと、入力先が、Googleの検索ボックスか、AIのキーワードボックスかの違いでしかないようにも思えてきます。
キーボードを叩いて文字列を入力すると、なんらかの画像の出力がある。それが、検索によって出力される既存の画像なのか、AIによって生成される新たな画像なのか、の違い。入力した自分にとっては、自分の手元になかった画像との出会い、という意味では、何ら変わらないものです。
探すように作る時代
僕の大好きな、白川静さんの『字統』で、「作」と「探」の成り立ちを調べてみました。
「作」
ツクリの方の文字は、木の枝をまげて垣などを作る意味をもっているそうです。
「作」は、そこには存在しなかった何事かを、人の力で形にしていく、その行為であるかのように思えます。
「探」
ツクリの方の文字は、穴の中に火をかざして、照らし探る意味を持っているそうです。
こう見ると、なんというか、自動生成という技術を用いて、新しく何かを無尽蔵に生み出しながら、「これだ!」というものを探していく新しい創作スタイルは、何かを構築していくという行為が、理を探り出す行為に近づいていくように思えました。
その感覚は、とても面白いです。