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「創造するAI」を用いた創作活動とは、理を探る行為なのか

自動生成を用いた創作活動

遊びとしてコツコツやっている架空書籍。最近、その書籍の表紙を、AIを活用して作ってみました。

『ウイルスと暮らし』(2028) 創薬研究所に勤めるアセクシュアルな主人公は、静かで穏やかな日々を過ごしてきた。しかし、その研究所がウイルス漏洩の疑いをかけられたことから、その日常が大きく変貌していく。性的多様性をテーマにしたSF小説。 #架空書籍 #未来書籍

もともと、書名は、自分の本棚などにある本の題名から、カットアップで作ったものです。文字フォントもオープンソースで提供されているものを活用しました。本の紹介文は自分で書きましたが、これも自動生成してみようと考えているところです。

作るってなんだろう

改めて、作るってなんだろう、と思いました。今は、プロデュースに近いものを感じしています。

コンセプトを考えること。その後は、適切な入力を行うことで、多くの出力がなされます。そこから、最適と思われるものを選択します。アウトプットを構成する要素に対して、上記をくり返し、それらを組み合わせると最終的アウトプットまでもっていけます。

たとえば、僕が遊びでやっている架空書籍であっても、これまでなら、多くの人の力を借りる必要がありました。コンセプトを考えたあと、書名をカットアップでつくるところは自分でできます。それに対して、紹介文も自分で書けます。しかし、その先の表紙の映像や文字デザインなどについてやろうとしたら、デザイナーの友人を巻き込んで一緒に遊ぶしかなかったと思います。

もちろん、そのプロトタイピングを、検索エンジンなどを活用して実施することもできました。Googleの画像検索エンジンを用いて、権利処理されたもの、もちろん個人で遊ぶだけならそれも気にせずに。

自分と直接接点のない人が過去につくった膨大な画像データから、自分の頭の中にあるものに近しいものを探して、素材として活用することができました。

検索と生成が、行為としては、同じ

そう思うと、入力先が、Googleの検索ボックスか、AIのキーワードボックスかの違いでしかないようにも思えてきます。

キーボードを叩いて文字列を入力すると、なんらかの画像の出力がある。それが、検索によって出力される既存の画像なのか、AIによって生成される新たな画像なのか、の違い。入力した自分にとっては、自分の手元になかった画像との出会い、という意味では、何ら変わらないものです。

探すように作る時代

僕の大好きな、白川静さんの『字統』で、「作」と「探」の成り立ちを調べてみました。

「作」

ツクリの方の文字は、木の枝をまげて垣などを作る意味をもっているそうです。

大規模建設工事などにも用いる。(中略)作興・振作などは、木工設営のことから、すべて人のなすところに拡大した用法である。

字源辞典『字統』白川静(平凡社)

「作」は、そこには存在しなかった何事かを、人の力で形にしていく、その行為であるかのように思えます。

「探」

ツクリの方の文字は、穴の中に火をかざして、照らし探る意味を持っているそうです。

「遠くこれを取るなり」とあり、穴中に限らず、すべてのものを捜求すること、また探訪・探勝のように用いる。推測し、施行することをもいい、(中略)幽微の理を探り極めることをいう。
一方で、「探」は、そのものの在り方というか、本質のようなものを見出していく行為であるように思えます。

字源辞典『字統』白川静(平凡社)

こう見ると、なんというか、自動生成という技術を用いて、新しく何かを無尽蔵に生み出しながら、「これだ!」というものを探していく新しい創作スタイルは、何かを構築していくという行為が、理を探り出す行為に近づいていくように思えました。

その感覚は、とても面白いです。

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