誰かのために「装う」時代終了のお知らせ

こんにちは。オンラインプラットフォーム KATALOKooo(カタロクー)を運営しています、翠川です。

化粧品は私たちの生活に何をもたらしてくれる?もとい、 会えない時代になぜ装うという問い。この新しい生活様式の中での「装う」ことについて、やめたこと・続けていることを考察してみると、うれしい前進があったように感じたので、嬉々として投稿する。

※元記事では、主にお化粧のことを指していますが、「装う=美しく飾る」ということで、身なりや外観を整えるすべてのこととして書いています。

「装うこと」の変換期がキター!

会えない時代になり、「必要に駆られて装う」機会が圧倒的に減った。大きなことをいえばたぶん、これを機にKuToo運動(ハイヒールの着用を女性たちに義務づけることへの抗議運動)をはじめとした、職場での身だしなみ強要は変わっていくだろう。ハイヒール、メイク、スカートなど。

社会的なことではなく、自分の中の小さな事件としては、たぶん15年くらい続けていたまつ毛エクステとジェルネイルの代わりになるものを探し始めた。20年やっている金髪(タワシ)はやめていない。この差は何か。

自分にとっては、まつ毛とネイルは、人から見られたときの自分を意識してやっているもの。金髪は、自分のテンションを上げるためにやっているものだったのに気がついた。

忙しい日々を過ごしていると、自分の定番のようなものを見つけてしまうとやめどきがわからず(特に美容は)新しい自分に似合っているかよりも、決まっているから…と思考停止して予約を入れ、おかわりしてしまうのだ。これは、「必要に駆られて装う」の一種だったのだと思う。誰にもいわれてないし、誰にも会わないけど、どうしても金髪だけは綺麗にしたかった。その「不要な装い」をメンテナンスできたあと、毎日鏡に映る自分を見て都度テンションが上がった。

会えない時代がきたおかげで、「必要に駆られて装う」を取り除くことができ、その反動で、「不要だけど装う」が重要だとふと気づいた。

人のために装うのではなくて、自分のために装う。自分のために装うことで毎日のクオリティを上げていく。例え、不要だとしても。そういう時代が急にキター!

「誰かのために」「人からそう見られたいから」「なんとなく」やっていた装い。その対義語は、「自分のために」「どうしても」する装い。この数ヶ月で、そんな体感をした人、多いのじゃないだろうか。自分を喜ばせることに集中できるなんて、なんていい時代なんだろう。

装うことをやめるとアップデートも止まる

「装う」という言葉は、 表面や外観を飾って、他のものに見せかける。ふりをする。という意味もあるため、良い意味に捉えない人もいるかもしれない。でも、装い一つでうれしくなったり、元気になったり、気合が入ったりするならいいじゃないか。ありの〜ままで〜テンション下がるより、よっぽどいい。

私は、3年前に大好きなヘアメイクさんに出会い、メイクレッスンを年に1回お願いしている。私の生まれ持った顔に合う、「今」の雰囲気を映し出したメイクを教えてくれるのだ。化粧品に至っては、科学の進歩が素晴らしく最近出たこれはすごいなどたった1年あけるだけでも常に進化がある。正味1時間程度で、自分が完全にアップデートされる。最前線のプロはすごい。

アップデートされて、以後の日常でテンションが爆上がりする。そして、ふと気づくのだ。なぜ、今もなおその世界は進化を続けているというのに、自分の顔の上においては、数年前と同じものでいいと錯覚してしまうのか。アップデートされないということは、時が止まるということだ。進化の停止。それでいいと思い始めることは、老化の始まり。どんどん輪郭がぼやけていく。

「装う」ことには、「設える」「食す」にはない良さがある

丁寧な暮らしの流行(?)で、「暮らしを設える」「丁寧に作られたものを食す」のは実施している人も多いだろうし、私も大切にしている。この二つはその人自身の生活をゆたかにするもので、誰かに影響を与えるものではない。いわば自己満足…それもとて大事なことだと思うが、「装う」だけは、他人に与える影響が大きい。

会えない、とはいえ、家族には会う。「ままかわいいね」といわれたら誰だってうれしい。いつも綺麗にしている人とすれ違って挨拶したら、背筋が伸びる。いい刺激になる。刺激がなくなり、人の目があまりにもどうでも良くなるのは、やはり進化を止めることに直結してしまう。だから、「装う」は会えない今だからこそ重要。

自分がアップデートされて、人にもいい影響がある。装うって超いいじゃないですか。メイクって必要ですか?したくないのにしてる、という論調の時代よりずっと良い。

また、装いにもいろいろなグラデーションがあるってことを私たちは知っている。

フルメイクもいい、ポイントメイクもいい。それで気持ちが上がることが大事。メイクも、洋服も、靴も、ジュエリーも、同じだ。

私は、ぺタンコシューズで子どもとダッシュする日々も愛しい、おしゃれをしてハイヒールで気取って歩いている女の子も愛しい。そんなシューズをつくって履く人の日々が彩りゆたかになることばかり考えているブランドに至っては、心の底から愛している。

何せ、新しい自分にワクワクする気持ちを、大切にしていこうよと言いたい。装うことは不要不急。でも、人生をゆたかにするのは不要不急なことだ。

程度は人それぞれでいい。「装う」を楽しもう。そういうことを大切にする時代でしょう、アフターコロナ。

ビジネスをする側としては、こういった流れを見逃さない方が良さそうです。想いがつまったものばかり作っているブランドや作家さんと共に事業をしている弊社的には、追い風かな?!などと思っていますが…。明日天気になあれ!

#日経COMEMO #会えない時代になぜ装う

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翠川裕美( KATALOKooo 代表 )
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