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ヒトだけでなくモノの移動も含めてモビリティを考える時代に

先日開催されたドバイ航空ショーでは、これまでは旅客機が花形であったところ、今年は貨物機が主役であったという。新型コロナウイルスの影響で引き続き航空旅客需要が低迷する中、航空機製造メーカーが貨物機にビジネスのフォーカスを当てているだけではなく、当然ながら航空会社も貨物事業に対して本腰を入れて取り組む動きがあるようだ。

少し前の記事だが、新造機だけでなく中古旅客機を貨物機に転用する動きも活発化しているようだ。

こうした貨物シフトは何も航空業界に限ったことではなく、たとえば日本の新幹線の貨物輸送サービスも試験段階を終え、本格化してきている。

新幹線の貨物輸送については1年ほど前にも問題提起をさせてもらったが、その後1年ほどが経過し、JR各社も一定のレベルで貨物輸送をビジネス化する段階に入ったということかもしれない。

ただし、こちらは既存車両をそのまま使うもので、航空業界での旅客機改造による貨物機転用まで踏み込んだものにはなっていない。ひとつには、新幹線は開業以来旅客専用のため、車両だけでなく駅に貨物を扱う専用設備がない点で、空港内に貨物専用のターミナル・エリアがもともとある航空業界とは事情が異なる。車両の改造だけでは済まないので、もう一段踏み込んで貨物輸送事業に取り組むかどうかの判断は、なおまだ時間を要するということなのだろう。

モノが動くのか、ヒトが動くのか。これは、実はとても本質的な問いである、と思う。

これは、先日の投稿で書いた、コンビニに買い物にいくのか、買う物が届くのか、というミクロなレベルでも起きていることだ。

もちろん、これは楽天市場やアマゾンに代表されるECによって、人が店にモノを買いに行くのではなく、モノが自分のいる場所に届くという流れで以前から起きていること。それがこのコロナ禍によって加速したといえるだろう。

新型コロナウイルスの感染がこのまま落ち着いていくのであれば、また元のように人の移動に対する需要は戻るだろう。ただし、新型コロナウイルス流行以前のレベルにまで戻るのかどうか、ということは不透明だ。

20年ほど前になるだろうか、電子メールはほとんどの企業に導入された頃、メールだけは導入したものの他のデジタル化はなかなか進まなかった。しかし、メールで連絡が取れることを理由に、企業は出張費の削減に向かう傾向があった、と記憶している。

同じ理屈であれば、コロナの流行が一定程度収束した時、DXは進まないとしても、出張費の削減には今回も各企業が率先して取り組むのではないか。そうであるなら、人が移動する需要のうち、ビジネス需要は思うように回復しないとみておくほうがよいのではないか。

モビリティの議論はこれまで、いかに人を移動させるか、に主軸があったが、今後は人だけではなく「モノを動かす」という観点も含めて再構成していく必要があるだろう。たとえば書籍の電子書籍化のようにオンライン化可能なものはすでにオンラインで移動するようになっているので、オンラインでは送ることができない物理的なモノを、必要とする人の手元に届けるのかということがこれからの課題。その時にヒトがモノのところに移動するのか、モノが人のところに移動するのか、が焦点になる。

こうしたなか、貨物ビジネスの取り組みと平行して、新幹線内でいわばリモートワークをするという試みが JR東日本でも JR東海でも始まっている。

もちろん、試行錯誤する、新しことに取り組んでみることは素晴らしいことであり、その点は高く評価したい。

ただ、リモートワークは人が移動しないことを前提に行うのが本質的な意義だとするなら、少なくてもビジネスのための移動中に「リモートワーク」をするのは労働強化のようにも思えてしまう。もちろん、就業時間中であればたとえ新幹線での移動中であってもオンラインの会議に参加すべし、という企業の理屈は分かるのだが、例えば就業時間の前や後にもこうした形で仕事を強いられるのだとすれば、それは世の中の動きに逆行するようにも思う。

いわゆるワーケーションのように、移動先で休暇を取る、その移動の合間に仕事をするといったケースであれば、こうした新幹線のサービスを使ってオンライン会議に参加することも「リモートワーク」の趣旨に合致するものかもしれないので、線引き・判断は難しいところとは思う。

そして、人が移動する意義は、単にモノを買ったり、ビジネスミーティングをしたりするだけのものではない。 

移動することによって、実際にモノを手にし、人とじかに会い、土地の食べ物を味わうことは、少なくても現時点ではオンラインが完全には代替できない、ということを、多かれ少なかれ誰もがこの2年ほどの間で実感を持って感じたことではないだろうか。

もちろん、身動きも取れないような混雑した通勤電車に乗ったり、歩いた方が早いくらいの激しい渋滞の中を運転したり、といった移動体験を望む人はいないだろう。

しかし、移動することはヒトにとって本質的な行動であると考えられるので、これは単に表面的な経済効率といった観点だけでは捉えられない問題だ。それだけに、新型コロナウイルスが提起した「モノが動くのか、ヒトが動くのか。」という命題は、おそろかにせずに向き合っていきたい。

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