
AI時代、学び続ける大人のための「交わり」と「余白」
お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。
今日は大人のための「学び」について書きたいと思います。
大人も学び続ける時代
ここ数年、「リスキリング」という言葉をよく耳にしました。リスをどうこうしようというのではなく、re-skillingつまりスキルを改めて学び直すことです。
大人になってからの学びの大切さが注目されている背景には、「人生100年時代」があります。終身雇用も崩壊し始めている現代ではキャリアチェンジも必要ですし、VUCAという言葉の頭文字がVolatilityであるように変化が早いため、常に学び続ける必要がある。
大人になっても学び続ける、と聞いてあなたはどんな風に思いますか?
「ずっと学ばなきゃいけないなんて大変な時代だ…」と感じる方もいれば、「学ぶことは楽しいからむしろずっと続けたい!」と前向きに捉える方もいると思います。
僕自身は後者です。基本的に多動で飽き性、同じことをずっと続けるのは苦手なので、新しいことを学ぶのはわくわくすることでもあります。「学ぶ」といっても座学のお勉強だけでなく、新しい事業を立ち上げたり、日々の試行錯誤を通じての生きた学びに特に楽しみを感じます。逆にいえば学びのない人生ってちょっと退屈だな…と思ってしまうので「学び」が続くことを僕はポジティブに捉えています。
今日は「大人が学び続ける」上で僕が特に大事だと思うポイント2つ、「交わり」と「余白」について書いてみます。
①学びと「交わり」
「学ぶ」について改めて考えてみて、一つ目のポイントとして「交わり」があると思いました。これは特に大人になってからの学びを考える際にも重要なテーマではないでしょうか。
なぜ「交わり」が気になったのかというと、「学ぶ」という字そのものの由来にヒントがあります。
「学ぶ」という字には旧字体があります。カタカナの「ツ」ではなく、臼の真ん中にバツバツと書くようなあれです。この旧字体には「交わる」という意味が含まれているそうなんですね。

「学ぶ」というのは人々が交わりながら学ぶ場だった。「学校」の「校」にも「交わる」が入っていますが、学びにおいて「交わり」は定義的に重要な要素なのではないでしょうか。
また、今の「学ぶ」という字には冠の中に「子」がありますが、古い文字ではこの「子」は入っていなかったようです。大もとの甲骨文字の頃には「子」がなく、漢字の下の部分はただ「建物」を表していたそうです。つまり、昔の「学ぶ」という字は、子供だけでなく大人を含め色々な人々が交わり学ぶ、という意味だった。
②学びと「余白」
もう一つ、「学び」に関して興味深いのが英語の「スクール(School)」の語源です。これはギリシャ語の「スコレー(Schole)」に由来し、意味は「暇」という意味です。
なぜ「暇」がschoolの語源となったかというと、ギリシャでは奴隷制度があり、雑用をしなくていい「暇」を持てる人たちが哲学や数学といった学問をすることができた。
学びというと勉強や仕事など努力しなければならないイメージが強いので「暇」が学びの語源、というのは少し驚きますよね。
しかし考えてみれば、忙しい日々の中で目の前のことで手一杯になると、新しいことを学ぶ余裕がなくなります。新しい学びをするためにも、経験から学ぶためにも、一定の余白や思索のための時間が必要だと僕は思います。学ぶ環境を整えるには、まず自分の生活の中に「暇」をつくることが重要だと感じます。
AI活用で広がる「大人の学び」の可能性
とはいえ、現代の大人たちは忙しい。
そんな中いま特におすすめしたいのが、やはり「AIの活用」です。僕の周りには生成AIを積極的に使っている人がたくさんいますが、そういう大人は本当にAIによって様々な学びを得ています。
例えば哲学や理論物理学、量子力学といった難しいテーマも、AIとの対話を通じて学びやすくなっています。これまで難解で手を出しにくかった分野でも、AIを活用することで扉が開かれる。
「AIを使うと自分で考えなくなる」という意見もありますが、僕はAIを上手に使えばむしろ学びが深まると思っています。歴史を振り返ると、写真やさまざまな機械が登場した際、人間の仕事を奪うとか、人間の能力が低下する、というような意見がありました。勿論機械によってなくなる仕事はありましたが、生活が効率化された分、それを活用して新たな知恵や文化が生まれてきました。
先ほど「学びには暇が必要」と言いましたが、AIに雑務を代わりに担ってもらうことで、僕らに新しい「暇」が生まれ、より深く学ぶ時間ができるのではないでしょうか。(テクノロジーを使う際に気をつけたいのは、効率化した分、そこに仕事を詰め込んでいってしまうとかえって余白がなくなる、ということです。効率化した分「暇」をもつ、という意識も大事だと思います)
特に大人の場合、AIの活用によってさまざまな学びを効率的にすることができれば、これまで培った経験やスキルと新しい知識をつなげ、さらに豊かな学びが可能になります。大人はこれまでの経験や知見があるからこそ、新しい知との出会いを掛け算にできるわけです。
すでにみたように学びとは子どもだけのものではなく、大人にとっても重要なものです。「学び」には「交わり」と「暇」が重要で、これからの時代にはAIを活用することで学びの形が大きく変わっていくでしょう。
いま、まず一番大事なのはAIを使い倒してみる、ということだと思います。AIのいうことをすべて鵜呑みにするのではなく、ファクトチェックや批判的リテラシーを持つことも大事ですが、AIを敬遠するのではなく、リテラシーを培うためにこそAIに触れてみる。
AIを「協力者」として活用した上で、「交わり」と「暇」から大人がさらに知的な活動に時間を使えるようになる。そこから新たな創造性が花開いてくるのではないでしょうか。