「ジョブ型」かどうか、より大切なこと
昨今、「ジョブ型」の人事制度を導入する企業が増えている。
一応、ぼくも人事の端くれなので、欧米的な「ジョブ型」、日本的な「メンバーシップ型」という考え方があることは知っている。
ただ、この「ジョブ型」という言葉については、「職務をジョブディスクリプション(職務記述書、JD)できっちり定義する」「成果基準を明確にする」「職種別にスペシャリストとして育てる」など、色々な意味が付与されることがある一方で、それが本当に欧米型雇用のあり方を表しているかどうかは、たびたび議論になることがある。
ぼく自身、他社の人事の方と話す際に、「サイボウズさんは、給与評価で市場相場を加味してるなんて、ジョブ型の人事制度を導入されているんですね」と言われることがあり、はて、と首をかしげてしまうことがある。ここでいう「ジョブ型」とは、一体どういう意味を指しているのだろうか、と。
今回は、世界中の雇用慣行に精通した海老原氏の著作、『人事の組み立て』を参照しながら、サイボウズが「ジョブ型」なのかをみていきたいと思う。
ジョブ型雇用とは何か?
最近よく聞くようになった「ジョブ型」だが、そもそも、この考え方自体は目新しいものではない。
日本の人事制度の歴史を遡れば、1960年代に職務給の導入が叫ばれたことに始まり、2000年代に入ってからも、2000年前後の成果主義ブーム、2010~2015年のグローバル人事ブームと、「日本企業は欧米のジョブ型を導入すべき!」という議論は何度も行われてきた。
しかし、こうした議論の中で「ジョブ型」の特徴として挙げられる「職務をジョブディスクリプション(職務記述書、JD)できっちり定義する」「成果基準を明確にする」「職種別にスペシャリストとして育てる」等について、海老原氏は、欧米的な「ジョブ型」の本質ではないとする。
まず「職務をジョブディスクリプション(職務記述書、JD)できっちり定義する」という部分についてだが、欧米では1980年代以降、ホワイトカラー主体になるに従って、仕事を明確に表現することは難しくなったという。
実際、現在の欧米におけるホワイトカラーの職務記述書は、「毎日起こり得る現場での問題を解決する」とか、「関連する事務仕事も担当する」とか、かなり曖昧なものが書かれていることが多いようだ。
また「成果基準を明確にする」というのも、欧米でよく使われる「ナインボックス」の評価軸は「業績と行動」の2軸で、判断基準も「良い・普通・悪い」の3区分しかないため、そこまで細かな成果評価が行われているとは言いがたい。
そもそも給与体系も、ポストごとの給与レンジ内で小さな昇給を重ねる(減額されることもない)ため、成果によって変動するようなこともない。
最後の「欧米では職種別にスペシャリストとして育てる」という話に関しても、ずっと仕事もお給料も変わらない「ジョブ型労働者」と、どんどん昇格・昇給していく(高いポストについていく)「エリート層」という2つの世界をごちゃまぜにしてしまうことによって起きている誤解だという。
欧米でも「エリート社員」は日本以上に厳しいジョブローテーションのもと、多種多様な仕事を経験させるし、建前上、任用拒否権はあるものの、上を目指すエリート社員がそれを行使することは稀で、エグゼクティブの昇進基準には、「マルチ・ファンクション(多事業)」「マルチ・リージョン(多国)」「マルチ・ジョブ(多職)」の3つのMultiが必要とも言われる。
こうなってくると、じゃあ「ジョブ型」って結局何なの?となるわけだが、欧米型雇用の本質は以下にあると海老原氏はいう。
①ジョブ=ポスト(同一ポストに色々な賃金・役割の人が混在しない)
②ポストは定数が決まっている
③組織計画ではまずポスト数が決められる(人に合わせて増減しない。ポストに合わせ人を増減する)
④ポストは勝手に変えられない(本人同意が必要)
まず「①ジョブ=ポスト(同一ポストに色々な賃金・役割の人が混在しない)」についてだが、そもそも「ジョブ」という言葉を「職務」と訳してしまっていることがすべての誤解のもとであるらしい。
欧米における「ジョブ型」の「ジョブ」とは、簡単に人に切り貼りできるような「職務(役割)」ではなく、固定化されたポスト(アソシエイト、サブリーダー、リーダー、etc...)のことである。
たとえば、日本企業の場合は、「ヒラ」というポストの中に等級の違う「入社したての新人」「だいぶ熟練した中堅」「課長手前の準ベテラン」などが混在している。
一方の欧米では、組織の末端まで「ジョブ(ポスト)」が敷かれ、同じポストの中に違う等級の人や、仕事が異なる人というのは混在しない。
たとえば、入社したての新人は「アソシエイト」というポスト、中堅社員は「サブリーダー」というポスト、準ベテランは「リーダー」というポストに就く、といった具合だ。
つまり、「ジョブ(ポスト)型」と「メンバーシップ型」の根本的な違いは、「ジョブ(ポスト)型」は人事管理の基本が「ポスト」(等級は「ポスト」にくっついている)であるのに対し、「メンバーシップ型」は人事管理の基本が「人」(等級は「人」にくっついている)という点にある。
続いて、「②ポストは定数が決まっている」「③組織計画ではまずポスト数が決められる(人に合わせて増減しない。ポストに合わせ人を増減する)」についてだが、欧米ではまず、組織の末端まで「ポスト」の数を物理的に決め、その「ジョブ(ポスト)」に対して人を当てていく。
一方、日本(メンバーシップ型)の場合は、「ポスト」数の管理は緩く、「新人の成長が著しいから、主任を1人増やそう。主任を1人増やした分、副支店長を異動させよう」といった具合に、社内事情に応じてポストを容易に変更することができるという特徴がある。
また、先述したとおり、「ポスト」があるかどうかに関係なく、「人」の等級は上がっていくため、社内で必要とされている「ジョブ(ポスト)」以上に人件費がかかってしまう、という性質もある。
最後の「④ポストは勝手に変えられない(本人同意が必要)」について、欧米的な「ジョブ(ポスト)型」では、そもそもあるポストに限定して採用しているため、本人の同意なしにジョブ(ポスト)を変更させることはできない(裏返しとして、そのポストがなくなれば一定の手続きを踏んだうえで解雇することができる)。
一方、ご存知のとおり、日本企業(メンバーシップ型)はポストを限定して採用していないため、会社が強力な人事権を発動することができる(その裏返しとして解雇するのは実務上、非常に難しい)。
サイボウズは「ジョブ(ポスト)型」か?
それでは、上記のような定義のもと、サイボウズがジョブ(ポスト)型なのかどうか、1つずつ順に見ていきたい。
まず、「①ジョブ=ポスト(同一ポストに色々な賃金・役割の人が混在しない)」についてだが、サイボウズでは、同一ポストの中に色々な賃金・役割の人が混在しているためこれは当てはまらない。
というのも、サイボウズにおける給与は、1人ひとり、本人の希望額と会社のオファー額のマッチングで決めているため、「ポスト」ベースではなく、「人」ベースで決められている。
たしかに会社側からオファーする金額を決める際、本人が他の会社に転職したら幾らになるか、という社外の給与相場も加味して決めているが、あくまでそれは1つの要素でしかなく、最終的にはチーム(主にマネジャー)と個人が合意した金額で決まる。
また、後述するとおり、社内には1人の人が様々な部署の仕事を「兼務」しているケースや、ある「ポスト」の役割を複数人が分担して行っているようなケースもあるため、やはり「ジョブ=ポスト」にはなっていない。
次に「②ポストは定数が決まっている」「③組織計画ではまずポスト数が決められる(人に合わせて増減しない。ポストに合わせ人を増減する)」についてだが、これもサイボウズには当てはまらない。
そもそも組織計画でポスト数を決めるようなことはしておらず、各チームが必要だと思えば、都度、チームが主体となって自分達のチームに必要だと思う仲間を採用や異動によって、社内外の労働市場から集めてくる。
またその際に、フルコミットで働いてもらうだけではなく、たとえば、サイボウズでの複業(短時間や短日数勤務)を前提として採用したり、業務委託で一部の仕事をお願いしたり、社内でも兼務という形で参加してもらうこともある。要するに、労働力をグラデーションで見るという選択肢を持っている。
そもそも「ポスト」という概念自体も曖昧で、元々あった「部長」というポストをなくし、それまで「部長」というポストが担っていた役割を分解、集約し、「組織運営」チームで担当するというチャレンジをしている開発本部のようなケースも存在する。サイボウズにおいて「本部長」や「部長」「副部長」といった「ポスト」は、あくまで役割の表現の1つに過ぎない。
最後に、「④ポストは勝手に変えられない(本人同意が必要)」だが、これについては当てはまっている。
確かにサイボウズでは、本人同意のない強制異動というのは存在しない。
ただし、これは「ジョブ(ポスト)を限定して採用しているから、本人の同意が必要」という性質のものではなく、ここで大事にしているのはあくまで「自立」の考え方だ。
配置/異動はあくまで「やりたい」「やるべき」「できる」のマッチングであり、自分で役割を選択してもらうことを前提としているため、本人の意向(やりたい)を無視して一方的に役割変更が行われることはない。
もちろん、どんなに「やりたい」と思っても、「やるべき」で「できる」ことがなければ、都度、給与などの条件は合意し直すことになるため、それも含めて自分が何を選択したいか、ということが常に問われる形になる。
さて、ここまで見てきたとおり、サイボウズという会社には、人ベースで給与を決めたり、ジョブ(ポスト)が固定的ではないという「メンバーシップ」的な要素もある一方、「ジョブ(ポスト)を勝手に変えられない」という「ジョブ(ポスト)」的な要素もある。
ただ、このように表面的に「メンバーシップ的」「ジョブ的」と分けることはできるものの、根本の考え方は「チームと個人双方にとって最適な役割分担のマッチングを個別・柔軟にはかっていく」というだけであり、「ジョブ型にしよう」「メンバーシップ型にしよう」という意図はどこにもない。
「ジョブ型」かどうか、より大切なこと
雇用慣行は、その国の歴史的背景に依存する部分も大きく、マクロな視点で見た時に、各国で起きている様々な労働問題が、その雇用システムの違いに起因している場合がある、ということを学ぶのは非常に有意義だ。
また、そのシステムが「ジョブ(ポスト)型」か「メンバーシップ型」なのかを敢えてラベリングすることによって、そもそもの前提の違いに気がつきやすくなったり、社内で人事制度を検討する際に議論を整理しやすくなったり、という利点もあると思う。
一方で、それが欧米的な「ジョブ型」かどうか、にこだわりすぎることは避けたいという気持ちもある。
本当に大切なのは、それが真に欧米的な「ジョブ型」になっているかどうか、ではなく、その制度の中身であり、その中身が会社の、そして社員のどんな痛みや困りごとを解決してくれるのか、という部分だとぼくは思う。
もちろん、ある制度に「ジョブ型」という名前をつけることで、社内外の共通認識がつくられ、コミュニケーションが取りやすくなる、というのであれば、どんな名前をつけるかは会社の自由だと思うし、逆に「ジョブ型」というふわふわしたイメージだけで、結局何の問題も解決されていない、ということが起きるのであれば、あまり多用しない方が賢明かもしれない。
くどくどと偉そうなことを書いてきたが、ぼく自身、先日、社内のとあるミーティングで、「もうちょっとジョブ型的な要素があってもいいと思うんですよね」と口走り、「具体的には?」とメンバーから突っ込みを受けたばかりである(そしてあまり深く考えていなかったことがバレた)。
どういうわけか「ジョブ型」という言葉には、それっぽい感じを出せそうな何かがあるらしい。
情報の発信量が爆発的に増え、人事領域においても日々、さまざまな言葉が生み出されては消えていくような時代だからこそ、「それっぽさ」に流されず、正確な知識を手に、会社の理想と、そこで働く人の声に向き合える人事担当者に、ぼくはなりたい。