「So What思考」で #理想の家族 という呪いを解く。
日経COMEMO KOLの西村創一朗です。今月も安定の月末最終日投稿です。
(4ヶ月連続月末最終日ですごめんなさい!!!)
さて、今回のテーマはこちら。
#理想の家族 というキーワードに対して脊髄反射したくなるところですが、今回はPublic Meets Innovationとのコラボ企画!ということで、まずはこちらをしっかり読み込んでからにしましょう。
PMIは、次の50年の当事者であるミレニアル世代を中心とした国家公務員、弁護士、ロビイストらが、各業界のイノベーターらと協働し、社会のイノベーションを目指していく官民コミュニティです。正解のない時代の道しるべとなる思想・価値観を提示するとともに、ひとりひとりがその実現に向けた主役となれるよう、政策、テクノロジー、文化・社会規範といったルールの在り方を一緒に考え、世の中に発信していくことを通じて、未来へとつながる「今」を変えていくことを目的としています。
こうした目的の達成のため、PMIでは、ミレニアル世代が感じる社会への違和感から未来のあるべき姿を提示し、政策、テクノロジー、文化・社会規範の3つの視点から、現在求められているアクションや視点をまとめた「ミレニアル政策ペーパー」を定期的に発行することとし、第一弾のテーマを「家族」としました。
本記事内に挿入しているスライド画像はすべてこちらから引用しています
ビジネスだけでなく、家族のあり方にもイノベーション(固定観念の革新)が必要だよね、ということで「家族イノベーション」という表現がされていますが「昭和平成の家族モデル」ってのがなかなか厄介だなーと本当に思っていまして。
テレビの刷り込みってスゴくて、サザエさん(昭和)、ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃん(平成)のように、
・父親も母親もいて
・父親が稼ぎ母親は専業主婦
・兄弟姉妹がいる
・結婚は法律婚
・夫の姓に合わせて妻は改姓する
みたいな家族のカタチが「理想の家族」であるかのように刷り込まれてるんですよね。無意識のうちに。前月のコラムで書いた「アンコンシャス・バイアス」です。
そうした昭和平成にできた「理想の家族モデル」に対する違和感・本音を抜粋したのが上記のスライドです。
というわけで、「昭和平成の家族モデル」はもう時代にあってないよね、明らかにギャップがあるよね、というのはよく言われる話なのですが、このペーパーが秀逸なのは「では、そもそも家族が担ってきた役割や機能ってなんなんだっけ?」ということをキレイに整理されている点。
【家族が担ってきた9つの機能】
1 性的機能▶夫婦間の絆の醸成、子どもの父親とその養育責任の明確化)
2 生殖機能▶夫婦間で子孫を残す
3 扶養機能▶育児や介護(乳幼児、障碍者、高齢者への衣食住の提供)
4 経済的機能▶生産(労働力の提供)と消費を行う
5 保護機能▶社会的弱者(女性、子ども、病者)を守る
6 教育機能▶子どもに教育を与え、社会に適応できる人間に育てる
7 宗教的機能▶宗教や文化、倫理規範の継承
8 娯楽機能▶余暇をともに楽しむ
9 ステータス付与機能▶親の職業や地位、財産を子が引き継ぐ
詳しくはホワイトペーパーやスライドをご一読いただけると良いかなと思いますが、これらの機能を家族だけでは担いきれない/担うべきでない/担う必要がないという理由から、この設定そのものを見直さないといけないと結論付けられています。
詳細はこちら👉 ホワイトペーパー|スライド
「ニューノーマル」ではなく「ノーノーマル」を。
先にご紹介したミレニアル政策ペーパーの中でも「普通の家族」というスタンダードがない状態をスタンダードにと提言されていますが、今の日本に必要なのはこの考え方だと思うのですよね。
コロナ禍でバズったワードとして「ニューノーマル」というものがありますが、これに対する山口周さんのツイートが言い得て妙でして。
ニュー・ノーマルではなく、ノー・ノーマル。
スタンダード(標準)もノーマル(普通)も、今はもうないんだよと。
人生もキャリアも働き方も経営スタイルも、100人100通り、100社100通りがあるんだから、自分にあったスタイルを選び、貫いて、自分だけの「ノーマル」をつくれば良いのだと。あえて言うなら「マイノーマル」でしょうか。
「アブノーマル」であることに苦しんだ中高時代。
こちらのコラム👇にも書きましたが、私が12歳の頃に両親が離婚して以来、母子家庭で育ちました。
さらに母親が重度の精神疾患になり労働が不能になってしまったため、13歳の時に生活保護を受給することに。
ひとり親世帯も数、割合共に増えており、児童のいる世帯のうち 6.5%がひとり親世帯であるが、ひとり親世帯における貧困率は 48.1%となっている。
(引用元:ミレニアル政策ペーパー)
とありますが、まさに「ひとり親世帯」かつ「貧困状態」でした。
6.5%のさらに48.1%なので、単純計算で3.13%ということになります。
LGBT・性的マイノリティが全体の約10.0%(LGBT意識行動調査2019より)と言われているので、3.13%というのは圧倒的にマイノリティであることがわかります。
中高生という多感な時期を母子家庭かつ生活保護家庭で過ごしたわけですが、「普通の家庭」じゃないことが本当に苦しかった。
「AくんもBくんも、両親に恵まれていて、ステキな家に暮らしているのに、なんで自分だけが母子家庭でこんなボロい家で惨めな思いをしながら生きないといけないんだろう…?」
今思えば「自分だけ」だなんてとんだ思い上がりで、私よりもはるかに苦しい環境で生まれ育った人もいるし、一見裕福な暮らしをしていても、家庭の中はぐちゃぐちゃで苦しい思いをした人もいるのですが、世間知らずの私はいつも「なんで自分だけ…」と思い自暴自棄になっていました。
ただ、何よりもつらかったのは母のこんな言葉でした。
こんな母親でごめんね。ふつうの家族じゃなくてごめんね…。
家庭環境によってあきらめないといけないことは無限にあったわけですが、その度に母が泣きながら「ごめんね」と謝るのです。
悪いのは、お母さんじゃないよ。
ふつうの家族じゃなくたって、いいんだよ。
なんて気の利いたことを思春期の当時はとても言えず、ただただやりきれない、怒りにも似た悲しみを感じたことを、今でも鮮明に覚えています。
「アブノーマル」ではなく「マイノーマル」だと受け容れて。
この「ふつうの家族」じゃない、言わば「アブノーマルな家族」であることを自然に受け容れられるようになるまで、だいぶ時間はかかりました。
このnoteにも書きましたが、自暴自棄に陥り高校に進学するつもりもなかった私が高校進学を決意するきっかけをつくってくれたのが、「国が自分に何をしてくれるのかではなく、自分が国に何をできるかを問いたまえ」というケネディ大統領の就任演説の一節でした。
この言葉を贈ってくれた先生が私にくれたもう一つの言葉。
それが「So What?(だから何?)」というとてもシンプルな言葉です。
「ふつうの家族じゃない。だから何?ふつうじゃないと何か問題があるの?ふつうじゃないと幸せになれないの?ちがうでしょ。」
「お前にはお前の”ふつう”があるだろ?これからの人生でお前なりの”ふつう”を作っていけばいい。」
So What?(だから何?)という呪文をおぼえた私はもう、「ふつうの家族」という呪縛から解き放たれ、自由になっていました。誰の真似もしない、「自分なりのふつう=マイノーマル」を作っていくんだと。
その後、進学した高校で妻と出会い、何の因果か19歳の若さで父親になり、またまたアブノーマルな人生を自ら選び、歩んでいくことになるわけですが、今はもう「普通じゃないことに苦しむ」ようなことはありません。
ノーマル?So What?
一見、無思考に「良い」とされていることも、立ち止まって冷静に「だから何?」と前提を疑う考え方を「So What思考」と呼びます。
ロジカルシンキングを学んだことがある方は聞いたことがあるかもしれません。
「家族はこうあるべき」という #理想の家族 という呪いや「ふつうであるべき」という呪縛に苦しんでいる人は、ぜひ「So What?」という呪文を唱えてみると、呪いから解放されて少しラクになるかもしれません。
おまけ:BTS/So What
われらがBTS先生がズバリ「So What」という曲でエールを贈ってくれています。
とても勇気づけられるので良かったらぜひ聴いてみてください💿
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