見出し画像

「必要か?・役に立つか?・意味があるか?」なんて問いほどくだらないものはない

コロナ禍で浮き彫りになったものとは、「人間の幸せとは無駄なことを楽しくやることなのだ」ということではなかったか?

欧米のようなロックダウンこそなかったものの、「不要不急の外出は避けましょう」などと言われ、GWは渋谷のスクランブル交差点から人が消えるという現象まで巻き起こしました。そんな半年以上も続いていた外出行動の自粛ですが、東京のGo to トラベルの除外解除によって、先月末から人の動きが活発になりました。

個人的にはとても良い傾向だと思います。


カラオケにしろ、外食にしろ、旅行にしろ、行かずに済まそうと思えばできないことはない。それはコロナ禍でも実証されました。しかし、例えば、外食や居酒屋などに行かず、家で食事をしても食欲は満たされますが、それはそれでまさに「味気ない」感覚をみんな感じたのではないでしょうか?

ラーメンでもスイーツでも、立ち飲み居酒屋でもスナックでも、はたまた友人同士でのくだらない会話をするためのさし飲みでも、いずれも「不要不急」といえばその通りです。

しかし、だからこそ「不要不急」の行動こそが、我々の人生を豊かな味わいに変えてくれる「人生のうま味」だったのだな、そう感じるわけです。

消費行動の面から言えば、人は家計調査の項目ごとに消費をしているわけではありません。おしゃれなレストランで外食をすることになれば、そのための衣服や靴を買いたくなります。デートでもそうですね。女性だけではなく、男性も美容院に行って髪の毛を整えたくもなります。

あるひとつの行動を起点に、周辺消費が膨らんでいくものです。そして、そのひとつひとつの消費行動それ自体、その先の行動への期待とともに、精神的な満足を得られるものだったのではないかと思います。

レストランで食事をすることだけが楽しいのではなく、それを決めて、それに至るまでの周辺消費の過程も含めて、私たちは楽しんでいるし、その積み重ねを楽しんでいるのだろうと思います。

例えば、女性との出会いを求めて合コンなどをすることもあるでしょう。事前にファッションや髪型を決める消費があることは勿論として、当日盛り上がれば、二次会、三次会となだれ込むでしょう。結局、楽しく飲んだけど誰一人マッチングすることもなく、さみしく男同士で締めのラーメンを食べに行くこともあるでしょう。でもそもそも別に空腹でもないし、本当はラーメンを食べる必要はないわけです。でもその時、思い思いに反省の弁を述べながら、アルコールが回った身体にラーメンのスープを流しこむことで「沁みる~」と喜びを感じたりすることもあるのでは?

彼女を作るという目的はなにひとつ達成できなくても、それはそれで楽しいのではなかったでしょうか?

オタクのエモい行動力が経済を回すという記事でも書きましたが、アイドルオタクが一番金をかけているのは、チケット代やグッズ代ではなく、交通費と宿泊費です。日本全国のツアーについて回るための旅費がもっともお金をかけているものなのですが、彼らはそれを無駄な出費だとは一切考えません。それどころか、地方に行けば、その地方の美味しい食事やラーメンなども堪能するでしょう。これはアイドルオタクだけではなく、野球やサッカーのサポーターの人達にも同じことが言えます。

結果として、本人にとっては主目的ではない消費だけれども、経済を潤すことにつながっているわけです。本人も楽しいし、使ってくれた側もうれしいし助かる。

「必要か?不要か?」「役に立つか?立たないか?」「意味があるか?ないか?」などという生産性や効率性の指標だけで人生を過ごすほどくだらないことはないです。

必要じゃなくても、役に立たなくても、意味がなくても、すべての行動は貴い。

逆に言えば、「必要・役に立つ・意味がある」という消費だけをしている人間や「不要ならしない・役に立たないならしない・意味がないならしない」と行動せず、チマチマ節約と貯金をしている人間の方が、どう考えても不幸だと思います。不幸というより、幸せを知らないのだな、と。

そして、人によってその行動は違います。他人から見たら、なんて無駄なことにお金や時間をかけているんだろうと思われることもあるでしょう。でもそんなの関係ありません。そんな理屈や意思でやらないと制御できるレベルの行動はそもそもたいして興味のないものです。

身も蓋もないですが、幸せなんて所詮「脳のバグ」です。錯覚です。故障です。正常ではないのです。ちょっと脳の回線が破壊されたからこそ幸せを感じられるのです。

少しでも「勿体ないな」なんて理屈が頭をかすめるようなら、その行動は決してあなたを幸せにはしません。脳が壊れて、そんなこと考えなくなるから幸せになれるんです。子育てにしても、恋愛にしても、結婚にしても、祭りにしても、甘い物を食べるにしても同じです。


必要じゃないこと、役に立たないこと、意味のないこと…。それら、冷静にロジカルに考えたらすべて「無駄なこと」です。しかし、その「無駄を楽しむ」という時間がどれくらいあるか、それが人生の味わいを深くしていくものなんだと思います。

そもそも、人生なんて大いなる暇つぶしなのです。

そして、そうした個人の無駄こそが、消費する先の店や事業を支えて、見知らぬ誰かを救っていくのです。あなたの無駄は、誰かの救いになります。あくまで結果的に。

それでいいじゃないですか。それがいいじゃないですか。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。