「女性が輝く社会」と学歴の視点
「女性が輝く」には、女性が男性と対等に、当たり前にキャリアを築ける社会を実現しなければならない。まだ私たちは遠いところにいる。
一連の「働き方改革」は正規・非正規の壁を取り払う方向で評価できる。育児コストを減らし、職場と家庭両方で男性の意識改革を促すことも必要だ。
これらの改革に加え、見落とされがちな前提を指摘したい。高賃金を保証する総合職には、現実的には入口で高学歴が必要だ。さらに「女性が輝く社会」には、例えばドイツのメルケル首相や米国下院のペロシ議長、IBMのロメッティCEOのような権力を持つエリート女性の存在が良い象徴かつ呼び水となるだろう。
男女を問わず、日本においてこのようなエリートが生まれる構造は、ごく一部のアウトロー的な天才創業者を別として、まだまだ学歴に頼るところが大きい。すなわち、高学歴女性を多く輩出することは「女性が輝く社会」を作るデファクト必要条件のひとつと言える。
最近New York Timesオピニオン記事にあったように、女子学生は一般に男子よりも真面目に勉強し、優秀な成績を収めることが多い。これは世界的に共通だ。その代わり、社会に出てからは、根強い(見えない)バイアスと女性特有の自己過小評価が原因で、男性に「してやられる」というのが通説である。こちらも日本にも当てはまるだろう。
しかし、社会の不平等さに直面する手前、日本では、まず学歴の点で女性がもっと積極的になる余地があるのではないか?
確かに平成20年から30年で4年制大学学生数の女子比率は40%から44%へ4ポイント増えている。喜ばしい一方で、高学歴の象徴と言える東京大学の女子比率は平成21年の19%から平成30年は20%。そもそも極端に少ないうえ、横ばいである。対照的に、例えばハーバード大学学部生の男女比率は、ほぼ同等だ。入口でこれだけの差があれば、パワーエリート女性の輩出に拍車がかからないのは当然だろう。
入試操作の可能性を排除すれば、女子学生が(成績優秀にも拘わらず)東大クラスを目指さないという実態を反映しているとしか結論付けられない。
なぜか?これは、女子にも家族にもどこか「(女の子なのに)そこまで頑張らなくても」という思いが忍び込み、また、浪人リスク回避で敬遠することに起因するのではないか?男子にはない、女子特有の保守性が現れているように思う。
一方、米国のエリート競争はどうか?移民社会を背景に、学歴を梃に立身出世し、一世よりも二世、三世がより良い暮らしを享受できるよう、なりふり構わない学歴志向が見て取れる。特にアジア系移民にこの傾向は強く、有名大学がアジア系学生であふれる現象は問題視されるほどだ。ここに男女差は入り込まない。男女レースは、大学卒業後にはじめて始まるのである。
日本が真に「女性が輝く社会」を実現するためには、残念ながらまだ多くの障害がある。優秀な女子高校生に積極的にトップ校を目指してもらうことは、障害の程度から言えば、決して大きくないのではないか?もちろん、ごく普通に優秀な女性と切磋琢磨する男子学生の意識改革にも役立つことは言うまでもない。
女子自身にも、その家族にも、見えないバイアスを取り除く余地があるように感じる。