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映画「関心領域」を観て思う、現代の企業組織と私たちの課題

遅ればせながら、映画「関心領域」を見てきた。この作品については過去の歴史に絡めて語られることが大変多いと思うが、私が観ながら感じたことは、現代の日本、特に企業のあり方とそこに属する人々との共通性といったもので、落ち着かない気持ちになった。

この映画は収容所の所長である人物、ルドルフ・ヘスが主人公となっているが、ナチスないし国のトップであるヒトラーの名前は出てくるものの、ヒトラー本人については全く触れられないし、収容所の中でどのようなことが行われているかということについても直接には語られない。あくまでも、収容所を取り巻く状況についての映像で構成されている。

つまり、これは言ってみれば中間管理職の映画で、組織トップが出てくることはないのだ。

そして、その中間管理職と家族の関係が描かれており、仕事と家庭の間で板挟みになるサラリーマンの難しさといったものも、この映画の中から感じ取ることができる。特に、異動と転勤を命じられた主人公が、快適でサラリーマンとしては豪華な住居に家族を残し、自分は質素な単身赴任先で過ごす様子は、一瞬しか描かれていないが、現代のサラリーマンの物語のように見えてしまう。

そして、働く中間管理職も家族も、組織全体が目指す狂気に対して鈍感になってしまっている。正確には、鈍感でなければ、その中でやっていくことはできないだろうが、一方で中間管理職まで上り詰めてしまうと、その組織から出ることには大きな困難が伴うだろう。まして、戦争状態にある国家・軍という組織を考えればなおさらだろう。これは一定の年齢以上のサラリーマンが転職に踏み切れないという現代の状況に重なる

現代日本で起きていることは、狂気とまでは言わないが、組織的な不正は古くて新しい問題である。最近で言えば、日本の自動車業界の認証不正は大きな問題になったことは記憶に新しい。そして、これが単に一社の問題ではなく業界全体で同じことが行われていたということに問題の根深さを感じる。

私は自動車業界とは縁がないので、言ってみればこの映画で収容所の中で起きていたことが全く描かれていないのと同様に、本当のところはうかがい知ることが出来ず、報道で知らされることしかその内容についてはわからない。ただ、何らかの事情があってこの不正が一社にとどまらず業界全体の問題として起きたということは、個別の個人ないしは企業の問題ではなく、業界全体の問題、さらには日本の企業組織が抱える共通の問題があるのではないかと思ってしまう

一方で、自動車業界主要各社がこぞってこの不正の問題を起こしたことは、そもそもの国の認証の制度のあり方に問題があったのではないかとも思う。もしそうであるなら、業界団体として国の認証制度のあり方について国と協議するべきであったろう。しかし、それができなかったのであれば、当時のドイツでナチスがやっていたことに対してその狂気に気づいていながらも反対の声を国民が上げることができなかったことを、現代日本の我々が指弾する資格はないように思う。

もちろん、大きな組織であるからこそ成し遂げられる事業やプロジェクトがあることは間違いない。ただ、それが社会にとってプラスをもたらすものであれば素晴らしいが、一方で社会にとってマイナスを生む可能性があるということも、また歴史の教訓だと言えるだろう。まして、国家のレベルの大組織ともなると、法律などの歯止めも利かない。これは、現在世界で起きている紛争をみれば、言うまでもないことで、やはり古くて新しい問題である。

この映画を歴史上の問題を描いたものとして捉えることはもちろん間違っていないが、過去のことだと思ってしまうと私たちは大事なことを見落し、結果的に同じ轍を踏みかねないのではないか。あるいは、レベルは違ってもすでに踏んでいるのではないか。

そして、ドイツないしドイツ人と日本および日本人の気質の共通点があることも、この問題の過去から現在に続く根深さを思わずにはいられない。

映画制作者の意図は分からないが、原作と違って収容所の中とそこで行われていたことについての描写を省いているだけに、現代の私たち、特に日本の私たちの問題を深く考えさせる映画の作りになっていたと感じた。


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