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働き方は、バリアフリーからダイバーシティへ

締め切りを過ぎたことでもあるので、元のお題からすると少々ちゃぶ台返しかもしれないけれど、思ったことを書き留めておきたい。

新型コロナウイルスによって起こされた社会の変化が、ハンディのある方々の働き方にも変化を生んでいることが、今回のお題である「バリアフリーな働き方」というテーマの背景にある。在宅勤務がバリアフリーな働き方にプラスとなるケースがある一方、マスク着用で表情や口もとが見えなくなってしまい、聴覚障害者にはバリアが高くなってしまっている一面もあるということだ。

バリアフリーというのは、ストレートに解釈すれば、障がい者とされる人の障害、つまりバリアを取り除いて健常者と同じように生活をしたり働いたりできるようにしようという考え方、ということが大もとの意味だろう。

ここで気になったのが「健常者」という言葉である。「健常」とはいったいどのような状態であるのだろうか。たとえば、私は「健常者」なのだろうか。

最大公約数的な人々の共通点をもって「健常者」を定義することは不可能ではないと思う。しかし、「健常者」という一つの基準を設定し、それに障がい者を同じレベルに合わせて行こう、という発想になってしまう危険性も「バリアフリー」は持っていると感じる。近しい言葉に「ノーマライゼーション」という言葉があるが、これはノーマルでない人を「ノーマル」にしていくという意味と解釈でき、ではそのノーマルとは一体どういう人、あるいはどういう状態なのかという疑問が出てくることは、バリアフリーと同様だ。

そこで、「バリアフリー」や「ノーマライゼーション」の概念を一歩進め、「ユニバーサルデザイン」という概念が使われ出した。「ユニバーサルデザイン」は、全ての人にとって使いやすいデザインにしようという考え方である。つまり健常者と障がい者を対比して語るのではなく、全ての人にとって使いやすいもの、あるいは受け入れやすいものは何なのかという視点で捉えるのだ。

この点については、島袋さんがすでに書かれている。

そして、この「ユニバーサルデザイン」の考え方は、昨今よく言われるようになってきた「ダイバーシティ」、多様性の尊重につながっていくのではないか、と気が付いた。

私自身は、同じ職場で働く人に、車いすの人、外国の人、LGBTQの人(であることをオープンにしている人)がいた経験がある。車いすの人は、明らかにハンディがある人、バリアフリーが必要な人、と誰もが認識するだろうけれど、後2者の場合はどうだろうか。

外国人やLGBTQの人たちは一例だが、こうした人たちとも、バリアフリーの考え方を拡張して、お互いに相手の状況を尊重し、多様性を認めそれを包摂する「ダイバーシティ&インクルージョン」の必要があることは、車いすの人と変わらない。自分が、こうした人たちにふさわしい対応が出来ていたかどうか分からないし、相手に甘えてこちらにあわせてもらったことも多々あったのではないかと思うけれど、頭では理解していたつもりではある。

もちろん、狭義のバリアフリーの問題を解決し、例えば車いすに乗っている人や目が見えない人が、安心して仕事をできる環境を整えることは非常に大切である。

一方で、いわゆる健常者と呼ばれる範疇の人にも、実に様々な人がいるということを少しずつ私たちは理解してきているのだと思う。例えば、コロナ問題が起きる前、日々通勤してオフィスに通っている人であれば、この人たちの多くは「健常者」と言われる人たちであっただろう。だがその「健常者」の中にも、オフィスで気を使うことに疲れ果ててしまったり、引っ込み思案で対面で自分の意見うことに苦労する人たちもいる。こういう人たちの中には、コロナ禍でオンラインを中心としたワークスタイルが、オフィスに通うよりも受け入れやすいという人たちも出てきているそうだ。

在宅勤務や緊急事態宣言など、外出の減少によって、うつ病などメンタルな問題が発生しているという調査結果があり、それを防ぐために早くオフィスに出社させなければ、という人事担当者もいるという。

一方、コロナ禍以前の2019年度でも、メンタルな問題は増加しているのであり、在宅勤務が誰にとってもメンタル面でマイナスとは言えず、メンタルの問題を解消するために出社させるとメンタルをやられる人も出てくるであろうことは、容易に想像がつく。そのくらい、人間は多様な存在なのだ。

バリアフリーな働き方を考えることを起点に、ダイバーシティを前提とした、働き方のユニバーサルデザインとは何か、というところまで広げて考えていくことで、私たちは多くの人がよりよく能力を活かして働き、それによって生産性が向上し、幸福度が(願わくば賃金・報酬も)高まるのではないかと思う。

一方でそれは、これまでの画一的な企業内評価システムや就業規則といったものとは対極にあり、日本のビジネス社会がすんなりと受け入れられるかというと、しばらく時間はかかるものと思う。

だが、コロナの問題が、例えばオンラインで働くという選択肢があることを気付かせてくれた。こうした気付きとチャンスをうまく活用して、コロナの問題がおさまった後も、働き方のユニバーサルデザイン、その先にあるダイバーシティ&インクルージョンに向けた動きが失われないことを願っている。

本稿を書くにあたり、関連記事を検索していたら、とてもふさわしく素敵な一節を見つけた。それをご紹介して終わりたい。

何人も完全な健常者ではありえず、誰もが少しずつ障害者なのだ。そして障害とは本当は、差し障りや害ではなく、平均値からのズレでしかない。そのようなズレは、集団内で、互いに相補的・利他的に働き、全体の生存率を高めることにつながる。
多様性が包摂されるべき意味がここにある。


#日経COMEMO #バリアフリーな働き方

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