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誰もが誰かにとってのマレビトになる

かつて標準世帯と呼ばれた夫婦と子からなる家族はもう2割台に減少しています。少子化ばかり話題になるが、家族も減っています。今までの家族のカタチを維持しようと思っても無理な状態に入っています。今までの家族の概念にとらわれない拡張家族とは?

シェアリングエコノミーを提唱する石山アンジュさんとAERAドットで対談しました。

前後編あります。

社会は、人々が集団で助け合うコミュニティによって営まれてきました。地域や職場もそうで、家族もまたそのコミュニティのひとつのカタチでした。しかし、都市化が進めば地域コミュニティは希薄になり、疑似的な大家族的な昭和の職場もなくなっています。家族ですら三世代家族は減少し、夫婦と子という最小単位のものになっている。むしろ、家族世帯より単身世帯の方が多いくらい。
日本や中国。韓国なと東アジア圏で特に顕著ですが、もはや家族の前段階としての男女のパートナー関係ですら消滅しかかっている現状がある。

では、一方で、伝統的な家族を作った人たちは安泰かといえばそうでもない。常々「血縁の家族だけしか頼れない社会は地獄である」と私は言っています。

地域・職場・家族というったかつて安心を担保していた「所属」が失われているということです。

人間は社会的な動物なので「所属」することでの帰属欲求がある。どこかに所属し、その一員であると意識できることは、人が生きる上で大切な要因になります。

しかし、だからといって、「所属」にだけ唯一依存してしまうとその「所属がなくなった時にすべてを見失ってしまう。定年退職すると一気に自分を見失ってしまうおじさんのように。一方で、そもそも「所属」が苦手だったり、苦痛だったりする人たちもそれと同じくらいの人口がいるし、今までそういう人たちは「所属しないといけない」という規範と折り合いをつけさせられてきた。

所属しないと人とはつながれないのか?

決してそんなことはないわけで、本来生きるための手段であった「所属」がいつのまにか目的化してしまってはいないか。「所属だけが生きる術ではない」と思うのです。

「誰かと一緒にいることが好き」な人と「一人が快適だ」という人が、互いに自分こそが正しいと対立したって何の意味もないし、両者が自分の快適環境を相手にわからせる必要もない。無理にわからせようとするから、そこに強制や同調圧力を産むし、結果として排除や差別になるからです。

互いに自分の快適な環境は違ってていいし、所属が嫌なら接続でもコミュニティになりえるよ、というのが私の提唱する「接続するコミュニティ」の考えです。

対談の中ではカットされましたが、新刊『「居場所がない」人たち』の中にも書いたように、民族学者折口信夫の言う「マレビト」になるという考え方が今後大事になるでしょう。マレビトとは稀人と書き、要は、昔の日本におれる旅人、異邦人であり、地域のコミュニティの外から来た人を指します。

日本では、旅人に関しては厚くもてなす風習があります。地域の一員となった場合には、その地域のルールに従い、強烈な同調圧力を要求されますが、マレビトに関しては、むしろ「お前さんのところの文化はなに?」という相手の考え方を尊重し、聞く耳を持ちます。これが、その後、その地域にとっての新たな知識や知見となっていくものです。
だからこそ、マレビトは人でありながら、彼が去った後、貴重な情報をもたらした神として崇められるのです。彼をもてなす大宴会そのものが今に続く祭りとなっている場合もある。

古来、日本人は自分たちの「所属するコミュニティ」は大事にしながらも、全く別の文化や考え方の異邦人に対して、決して排除や敵扱いするのではなく、その接続を機会としていろいろ取り込んでいく懐の深さがありました。

いろんなところを旅するマレビト自身にとっても、各所での接続により刺激をうけて、いろんな土地の文化や考え方を結果的に伝播する役割も果たします。

「接続するコミュニティ」とは、ネットなどない時代からそうやって日本人独特の「環の意識(人間関係も経済もめぐり巡って循環するもの)」によって成立していたものなんです。

「所属するコミュニティ」と「接続するコミュニティ」は相反する二項対立論ではなく、人によって快適なやり方を軸足に持ち、時と場合と相手によって「所属」と「接続」を使い分けていくということが重要になるのです。

いい話だと思うんだが、なんでカットされたのかね?

…ってことを書いた新刊、ぜひ読んでみてください。多分、新しい視点が芽生えることと思います。


現代においても、割と簡単に誰でもマレビトになれる。別に旅しなくても、日常の中でもマレビト体験はいくらでもある。所属を捨てる必要もない。所属先がありながら複数の接続先を持っていればいい。逆に、どこにも所属していないからといって、自分をダメだと思う必要もない。単なる手段ごときに自分を支配されない方がいい。

定年後とちくるって地方移住なんか絶対しない方がいい。面倒な縛りで、その地方の人が大嫌いになる。しかし、同じ地方でもマレビトとして接すれば、「いい人たちばかりだった」という印象になる。接続の仕方次第で印象なんて180度変わる。そういうものです。




長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。