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NARRATIVE(ナラティヴ)に行こうぜ!Vol.1

改めましてこんにちは。スマイルズ野崎です。
スマイルズと言えば、「自分事業」と名乗っているスープストックトーキョーを始めとした自らが開発した事業運営のみならず、様々なクライアントの「コンサル・プロデュース業」を行っているわけですが、今年の4月から学術研究機関として「スマイルズ生活価値拡充研究所」も始めました。

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スマイルズ生活価値拡充研究所
価値を学する研究所

「スマイルズ生活価値拡充研究所」は、生活の端々にひそむ「生活価値」を、その拡充の方法論も含めて探究する場所。ビジネス上の非合理なこと、これまで価値と捉えられなかったことにこそ、新たな価値のタネが眠っているのではないかという仮説のもと、会社という枠を越える研究機関です。


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現在、「不便益」研究の第一人者、前京都大学川上先生、東京大学平岡先生、株式会社電通とともに「不便益」を含む“未知なる益”「Undiscovered Benefit (UDB)」の共同研究をスタートさせたところです。

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 そのお話はまた次の機会にでもするとして、そもそもなんでこんな研究機関を始めたか、について少しお話ししたいと思います。
実のところは数年前よりその構想はあったわけですが、様々な偶然が重なり始めることになりました。川上先生や平岡先生との出会いもその一つではあったわけですが、それ以前から感じていたことがあったんです。

「なんだか価値の”質”が変わってきたな、いや、様々な価値が浮かび上がってきたな」なんて感じる機会が増えたというか、自分自身の購買性向が変わってきたというべきか。

僕はファッションが大好きなんですが、若かりし頃であればあちこち出歩いては最高の品を探し求める日々でした。当時は、お金もなかったんでベストチョイスを探そうと必死だったんでしょう。最近では(自粛前の話ですが)、そういった東奔西走ショッピングはすっかり減ってしまい、知り合いの展示会に行っては、ひょいとオーダーを付けたり、地方に出かけた際、初めて立ち寄るお店で直観的に特に必要もないものを買ってしまったり。
当然、当時と今では可処分所得も違うし、忙しさや行動範囲も違うので一概には言えないのですが、なんだか自分の”買いかた”が変わってきたなぁと感じるわけです。

また最近では、スニーカーを株式のように売買(リセール)できるサービス「モノカブ」などが伸張しています。CtoC Marketが当たり前化していく中で、資産価値的潜在性の有無が購買に大きく影響を与えているわけですよね。

そういえばメルカリさんもそんなCMを打っていたような。
もはや、僕は置いていかれて、とっくに次の時代へ向かってしまっている、、、

価値の今昔

その昔、”価値”はEFFICIENCY(効率性)の時代がありました。「より良いものをより安く」。コストベネフィットこそ最大の価値だったわけです。その後、もはや単なる基本価値は松下幸之助がいう”水道”のように広く行き渡ってしまい、価値の競争軸が付加価値(時として吹かした価値の場合もありますが)や、ブランド=期待値へと移り変わっていったわけです。そして今、クオリティの高い商品を安価で、容易に手に入れることができるようになった中で、あるいは、ブランディングや差別化を行うことも当たり前となった中で、人それぞれのモノの価値が違ってきている、その価値のとらえ方の違いが購買方法など様々なカタチで浮彫になってきているわけです。
ある人にとっては“資産”として、またある人にとっては“応援票”として、と同じモノを買うにしても様々な価値の側面があるのかもしれない。そもそも買わないでその機能だけ享受するなんて方法論すらあるわけで。

21世紀はどうやら価値爆発の時代なんじゃないか、なんて考えるようになったわけですね。
ここで改めてマーケティング(売り方)を考える前に、その対象物としてのモノやコトの”価値”とは何ぞや?を問うてみようと考えたわけです。

さてそこでやっと本題に入ります

皆さん「NARRATIVE(ナラティブ)」という言葉をご存じでしょうか?直訳すれば「物語」、ですが同じ意味を持つ「STORY(ストーリー)」とは少しニュアンスが異なるようです。「ストーリー」が小説の中の主人公のように、読み手、あるいは聞き手の自分自身とは別の主体が存在しているのとは反対に、「ナラティブ」は自分自身が紡ぐ物語のことを指します。(すごくざっくり書いていますが)
以前より臨床心理学の分野においては、カウンセリングの際に、相談者自身が話す物語を通して解決法を見いだす「ナラティブアプローチ」が実践されてきました。

またゲームの世界では、RPG(ロールプレイングゲーム)に代表されるように、その性質上ナラティブ性を具有しやすかったため、様々な実践が行われてきました(例えば主人公の名前を好きに付けることができるというのは、まさにそのゲームをナラティブ化する入り口ですよね)。
また最近では日本を代表するPR専門家の本田哲也さんがナラティブに関する著書を発表されました。

  

もはやジャンルを問わず、PRやブランディング、マーケティングの世界でも重要なキーワードとなりつつあるのかもしれません。

「ナラティブ=自分事」

しかしながら、この言葉、意味は分かるけどどうもぴんとこない感覚ありますよね。あくまでも僕の個人的見解としてダイナミックに意訳するとしたら「ナラティブ=自分事」ということなんじゃないかと思うわけです。
そしてこれからの時代、あらゆるものを即座に手早く享受できるようになった今、選択の自由度が爆発的に拡がり、同時に”クチコミ”を始めとしたリファレンスが胡散臭く感じることも増えた今だからこそ、自分の価値観との「共鳴=自分事=ナラティブ」の時代になってくるんじゃないかなと思うわけです。

このナラティブ的な価値は何も最近唐突に生まれてきたものではありません。寧ろ以前から存在していたと言えるでしょう。

 
例えば、某関西に本拠地を置く歌劇団の熱狂的なファンの方々は、新しい演目が始まる際、チケットを買い占めてしまわずに、敢えて席を空けるのだそうな。それはこの歌劇団を観覧するであろう新規客の機会を奪わないようにするためだとか。この話は間接的に聞いたものなので、信ぴょう性は定かではありませんが、自分の欲求を抑えてまで、この劇団の持続可能性を考え、潜在顧客層の獲得へ向けて協調する姿は、ある種のオーナーシップメントとも言えるし、ナラティブそのものなんではないかと思うわけです。

 また自分事で恐縮ですが、僕が足しげく通う浅草のとある焼肉屋の話をしたいと思います。その焼肉屋はとにかくハラミが絶品なんですが、いかんせん接客態度が独特というか、追加オーダーをしても返事もなく、言葉を選ばなければほぼ無視されるんです(笑)。それでもちゃんとオーダーは入っていて、必ず商品は持ってきてくれるんですが(笑)。更に、店内はモクモクで目を開けているのがつらい時もあったりという具合。普通だったら「肉は旨いがそれ以外はちょっと一癖ある店」なんてレッテルが貼られてしまい、なかなか人に紹介できなそうですよね。でも僕は寧ろ友達を積極的に連れて行ってしまうんですよね。「このホワイトアウトする店内を見てくれ!」「一度オーダーしてみて、凄いから!」なんて、もはや他の店にはない個性として捉えてしまっている。近年、とある有名な雑誌に取り上げられてしまい、オーダーするとスタッフの方が普通に受け答えをするようになってしまいちょっと物足りなく感じているくらいです。

いずれにせよ、このネガポジに関係なくそのお店の有り様のすべてを受け入れようとする志向もナラティブの一端なんではないかなと思います。
このあたりは自著「自分が欲しいものだけ創る」の中で記載した「関係性のブランディング」ともつながる考え方なのですが、少し長くなりすぎたので次回へ続くということで。


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