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『冒険の書 AI時代のアンラーニング』と僕のアンラーニング体験

新時代の疑問

新しい時代が来ています。

この大きなうねりの中で、「僕らはなぜ勉強しなきゃいけないの?」「自分らしく楽しく生きるにはどうすればいいの?」「世界を少しでも良くする方法は?」「好きなことだけしてちゃダメですか?」などの疑問を持つ人も多いでしょう。

上記の疑問は、『冒険の書』の帯に書かれていました。

その『冒険の書』を読み終えました。

書き込みと非同期の対話

読みながら、たくさんの書き込みをしました。同意しながら自分の考えを書いたり、違和感を感じたことを書いたり、刺激されて思い出した懐かしい記憶を書いたり。そして、多くの問いを記しました。本に書かれた問いに触発された別の問いや、内容に対する自分の問い。また、書かれた問いに対する自分の考えも書きました。すると、そのすぐ後や少し先のページで、書き込んだことへの応えがあったり、同じようなことが書かれていたりして、「うわー!」と感じました。

書き込んだページには折り目をつけました。折り具合は、自分にとっての重要度に比例しています。

この、書かれていることと、書いたことの応酬が、非常に刺激的で面白い体験でした。まるで非同期で泰蔵さんと会話しているような感覚。一方的に読むのではなく、書き込むことで生まれる双方向性。ああ、本も双方向メディアなんだ、と思いました。物語の中で描かれている、著者との対話と似た感覚かもしれません。

閉塞感のない日々

かつて、閉塞感に陥ったことがあります。今日できないことは一生できないし、今日できることもいずれできなくなる。そんな未来しか思い描けない状態だったことがあります。その真逆が、今日できないことができるようになる明日、だと思います。その可能性を信じられる毎日、だと思います。それは、世界を変えていける可能性。

それを実現する要素のひとつに、学びがあると思っています。なぜなら、新しい学びに触れるたび、世界の見え方が変わって、新しい可能性を感じられるからです。これは、この十数年、ずっと自分の中にある行動の指針のようなもの。

知識は、体験と共に経験化されることに意味があると言われていますが、本書に書かれている学びも、自分の経験と関連付けて理解できる部分がたくさんあります。

アンラーニング体験

本書で触れられている、アンラーニング(学んだことを忘れること)について、僕の体験を少し紹介します。

かつて、僕は、誰に対しても敬語を使い、人との距離を遠く保っていました。ある時、泰蔵さんが「敬語を使わずに話してみよう!」と提案し、そのような場を設けてくれました。そこで、無理やりにでもカジュアルに話すという機会を得ました。その際、「タイジー、俺はこう思うんだよね」と話した時の、あれは、大きなアンラーニング体験でした。

同様に、家族との生活を通じて、人との距離の取り方や、話すときの心構えなどが、この十数年間で浸透し、今の人間関係の距離感につながっています。

吐いてから吸う

自分に当たり前のものとして染み付いているものは、なかなか取り去るのが難しいです。自分にとって常識になっているものだったりするからです。そうした自分常識のようなものをやめたり、壊したり、捨てたりするのは、何か、こう、自分が壊れてしまうような、ちょっと大袈裟ですが、そんなドキドキしたりざわざわしたりするものです。

でも、それをやってみると、新しい世界が見えてきたりします。呼吸は、息を吐くことから始まります。吐き出さないと、新しい空気を入れる余地が生まれないからです。吐けば勝手に入ってきます。水泳の息継ぎと同じです。ぷはっと吐き出す。吐き出すから勝手に入ってくる。

『冒険の書』面白かったので、おすすめです。少し時間をおいて、また読んでみようと思います。自分が変わると、また違って見えてくると思うので。

お読みになる際には、書き込みながら読まれることを、お勧めします。

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