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知識集めではなく、志と意思を鍛える。

ふと、石坂産業の石坂典子社長のリーダー論についての記事が目に止まった。叩き上げ、裸一貫、志という言葉がまさに当てはまる「先代の社長」であり、「典子氏の実の父親」でもある方との特訓の日々が語られている。絶対的な権力に挑んでいく、当時はそんな状況だったようだ。

長い話も仕事の中断も嫌いな先代社長に対しては、毎朝短い時間をもらったという。そこでは厳選して簡潔に準備した幾つかの提案を順序立てて話し続けた。おそらく最初は失敗の連続だったと思うが、身につけたことはなんだったのだろうか。勝手な推測でしかないが、先代社長は、自らが持っていた「特殊な能力」、つまりは「先が読め、自分で決断し、ぶれずに進む」ということを、典子氏ができるようになったのかを、見極めていたのだと思う。さらには、典子氏がより多くの社員を、戦力に仕立てるために、失敗体験と適材適所を実践する姿を見て、頼もしく思ったに違いない。典子氏は、10年の「お試し社長」の期間を通じて、志に共感する仲間を増やし、組織を導いていく術を獲得したのだ。

最初から志と野望に満ちた人もいる。ビズリーチを創業した南壮一郎社長だ。「共感」を手がかりに招き入れた優秀な仲間たちに要所を差配させ、急激な成長と多角化を実現した。南氏は「仲間づくりの根っこは共感」と言う。そのために、まずすべきことは、相手がどんな人物か徹底して観察して相手を理解して、信頼すること。その上で「自分の願いを言語化してきちんと相手に発信することが鍵だ」と続ける。

前述の石坂産業の典子氏も「こちらの都合だけで話しかけてはダメ。理屈だけでは時に相手の気分を害する。(中略)様子をよみ、手順や戦略を考えるんです」と話している。さらには「上司くらい上手に操縦しなさい!」と働く女性にエールを送っている。南氏も同様で「合わない上司がいたら、その上司をプロデュースして良さを引き出せばいい。逆に、部下にプロデュースしてもらえるような上司は成長するでしょう」と言い切っている。相手を信頼した上で、手順や戦略を立てて、自らの志や意思を分かり易く言語化して発信する。これによって、仲間を増殖させることができるようだ。

では、起点となる志や意思とはどこからやってくるものだろうか。何か特別な訓練があるのだろうか。ここで紹介した石坂産業の典子社長も先代社長も、そしてビズリーチの南社長も、明らかに高い志と強い意思を持っている。でも、どうやってそこまでの志や意思を持つことができたのだろうか。記事では残念ながら結果のみでプロセスはあまり語られていない。

私自身も、経営者として、志と意思を大事にしてきた。「生産性ではなく、創造生産性」は10年前から追い求めている志だ。分かり易く言語化して、発信することを心掛けてきた。生産性は「価値/リソース」だが、世の中では、効率化、つまりは「価値」をそのままに「リソース」だけを減らして生産性を高めることばかり起きている。一方で、創造生産性は分母の「リソース」を減らすのではなく、分子の「価値」を増やすことだけに着目しようという考え方だ。自ら縮むという選択をするのではなく、膨らむ挑戦をしたいという意思だ。でもなぜこんな考えに至ったのだろうか。

言語化できないまま、悶々としていたところ、ひとつの興味深い記事を見つけた。批評家の若松氏と料理研究家の辰巳氏の対談だ。「若松さん、私はずっと、何を食べるべきかではなく、食べるとは何かを考えているの」という辰巳氏の言葉から始まる。その言葉は若松氏の全身を貫き、批評家という職業に準えて、「丁寧な仕事を経て生まれた料理は、空腹を満たすだけでなく、空虚な心を満たすことがある。言葉にも同じ理が生きている。手だけで書かれた文章は、あるとき人を驚かすことがあっても、その人を生の深みに導くことはない。いっぽう、どんなに素朴な姿をしていても、その人の生に裏打ちされた言葉は、予想をはるかに超える働きをすることがある」と言語化されたのだ。

さらに、「何を食べるべきか、あるいは、どんな本を読むべきかという問いには、ある物の名称、名詞が答えになる。しかし「食べるとは何か」あるいは「読むとは何か」という問いを前にしたとき、名詞的な解答は、ほとんど意味をなさない。そこにはその人の参与が不可避的に必要になる。生きて、経験し、その上で語ることが求められるのである」と、日々の暮らしの中で意識し続けることができる「きづき」を生み出してくれたのだ。「食べる」が「読む」に置き換えられるだけではなく、対価を頂く仕事すべてに置き換えることができる。そう実感した。

志や意思を持つために為すべきことは、ものごとを本質的かつ動的に考えることだ。そして考え続けることだ。どれだけ繰り返し何度も何度も考え抜いたかで意思の強さが決まる。「何を知っているのか」ではなく、「その問いを前にどう生きてきたのか、生きたいのか」、この本質が重要なのだ。若松氏の「知ったこと、出会ったこと、経験したことであっても他者とそれを分かち合うためには、一たび「胸の温気」でそれを暖めなくてはならないのかもしれない。そうすることで、出来事が人を養う糧へと新生するように思われるのである」という言葉がとても身に沁みる。

AI全盛の時代。進むべき道は明快ではないだろうか。

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