見出し画像

小倉トーストを抽象概念に昇華する

「読書」面を読むのが好き!

新聞の書評を読むのが好きです。本屋を運営しているということもあるのでしょうが、全国紙の書評欄を土日には必ずチェックしています。かつては書評は日曜の定番でしたが、日経をはじめ、毎日、朝日が土曜掲載。読売が日曜掲載ですね。土曜日に掲載がシフトしたのは、書評を参考に本屋に行くのに土日の二日間を使えるようにするっていう配慮なんでしょうね。

ここ最近、日経の「読書」面でフムフムと思ったのはこの記事で、投資家の藤野英人さんが読書に対する考え方と、おすすめの本を紹介しています。投資は未来を読むことであり、未来は数字で作られるのではなく、人間ドラマで作られるから「人間とは何か」を学ぶ必要があると読書の意味を語られているのですが、一番インパクトがあったのが「最も成功する確率の高い投資は自己投資。中でも読書は確実なリターンを生む」って言葉。投資家ならではの表現と説得力ですよね。

「新聞」と「本」の行き来は、「具体」と「抽象」の行き来

僕なりに読書の意味を考えてみると、世の中ではごちゃごちゃといろんなことが日々起きているわけですが、そんな混沌としたリアルワールドからちょっと距離をおいて世の中を整理整頓して見つめるために読書をしているんだと思うんです。

新聞社が毎日伝えるストレートニュースは具体的な世の中の動きを見せてくれるます。これが、ぐちゃぐちゃの世界ですね。不条理なことも、ハッピーなことも、ぐちゃぐちゃに世の中は同時進行していきます。
一方、世の中はこうなっているということを、ある視点でまとめて体系化、つまり抽象化してくれる存在が本といえばいいのでしょうか。
ノンフィクションだけでなく、小説などのフィクションも世の中の動きを作家なりに抽象化しているアウトプットだと思っています。今の世の中の恋愛や家族関係はこうなっているんじゃないのっていう抽象化された視点が小説にはあるし、SFには未来の世の中に向けての胎動が抽象化されているんです。

「虫の目」と「鳥の目」を持てという話をよくしますが、ストレートニュースを読むことと、本を読むことは「虫の目」で世の中を観察することと、「鳥の目」でちょっと距離をおいて世の中を眺めることです。

僕はこの「具体」と「抽象」の行き来がいろいろな発想の素になると思っています。つまり、クリエイティビティのエンジンです。「新聞」と「本」をパラレルに読むことは二つの世界の行き来をガイドしてくれるんです。

本をよむことで「鳥の目」でちょっと距離をとって、ああそれはこういうことだったのかと、いったん自分も含めて世の中の動きを客観視することができます。多くの優れたプランナーを見てきましたが、イケてる人は、ストレートにものを見た時の直感的な感覚と、距離をおいて見た客観的な感覚の二つを持って、「具体」と「抽象」を絶えず行き来している印象があります。

「具体」と「抽象」を行き来することは、「プレゼン力」

「具体」と「抽象」を行き来できるひとは話が面白いと僕は思います。具体の話だけでもおもしろいんですけど、「で、それで?」で終わってしまう話が多い。

僕は名古屋の人のことをすごくクリエイティブだなと思っています。おぐらトーストなんて普通は思いつかないじゃないですか?あんことトーストの組み合わせ。企画会議で口にするかもしれないけれど、この異色の組み合わせを実際に作ってしまっているのがすごい。

で、名古屋には小倉トーストって食べ物があるんだよね、という話をするだけでも確かに面白いとは思います。でも、小倉トーストと名古屋の関係を抽象化できたら話はもっと面白くなるかもしれません。

名古屋には、ひつまぶしもあります。これも、鰻とご飯を楽しむこともできるし、お茶漬けとしても楽しめる食事ですよね。さらに、名古屋にある喫茶店〈マウンテン〉には抹茶いちごスパゲティなんていうこれまたすごい組み合わせのメニューがあったりします。(これらのメニューを食べることをマウンテンだけに「踏破する」って言ったりします)
こんな具体をいろいろ眺めてみると、「名古屋人は順列組み合わせの天才!」っていうふうに抽象化できるかもしれない。そうすると、スガキヤのラーメンスプーンもフォークとスプーンの組み合わせだし、名古屋発祥のヴィレッジ・ヴァンガードの売り場も本と雑貨と食べ物の組み合わせだって気付いたりします。

人と話をする時も、「名古屋人は順列組み合わせの天才!」って一度抽象化して説明した方が印象に残るし。会議やプレゼンでも聞き手がその話のポイントを持ち帰りやすくなりませんか?

名古屋の事例は具体を抽象化する話でしたが、抽象的なことを具体的に話すのもクリエイティブな技法だと思っています。

例えば、2021年にフィンランドの北極圏にあるサラという村が2032年の夏季五輪の招致に名乗りをあげました。冬季五輪の間違いじゃないの?と思うかもしれませんが、この村は真剣に夏の五輪の招致活動を行なったのです。それは、北極圏のこの村が地球温暖化を世界にアピールしたかったからです。このままのペースで温暖化が進行すると、フィンランドの極寒の村でも夏季五輪が開催できる気候になってしまうというのです。
いくら、地球温暖化が進行するので生活を改めようといってもなかなか人の注意は引きませんが、北極圏の村で夏にオリンピックが開催できる状況になってしまうんですよと言われたら人は興味を持って、温暖化に対する行動を起こすきっかけになるかもしれない。
「地球温暖化が進んでいる」という抽象的な概念を、「フィンランドで夏季五輪」という具体に戻すことによって、人々のイメージがより鮮烈になりますよね。

「具体」と「抽象」を行き来することは、「企画力」

僕はずっと企画の仕事をしていますが、いいいプランナーは何かヒットしたものをそのまま真似るのではなくて、なぜそれがヒットしたのか一度抽象化して、それを再び具体に戻します。表層を真似るのではなく、本質を真似るのですね。

ゆるキャラが流行ったということを「具体」でしか受け止められない人は、自分の町でもゆるキャラを作れば自分の町も有名になると思ってしまいます。でも、そんなことはありえないですよね。
「せんとくん」や「ひこにゃん」などのゆるキャラが流行ったことを、いちど抽象化しようとトライする人は、「つっこみどころのあるコミュニケーションをした方が地域は魅力的に見える」とか、「地域コミュニケーションには自虐も大事」とかゆるキャラがなぜヒットしたかの本質に迫ります。そして、「つっこみどころのある」別のコミュニケーションを思いつくのです。時代の空気を言語化する作業ともいえるでしょう。投資家の藤野英人さん的にいうなら、表層から人間の本質に迫りなおすってことかもしれません。企画は本質が大事です。
 
今週末も読書面が楽しみですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?