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ポテトサラダからひも解く「お友達価格」問題について

皆さんこんにちは、澤です。

前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!


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さて、今回のテーマは、「お友達価格問題」です。

まずはこの記事。

・・・ポテトサラダ、作るの大変すぎ。
スーパーのお総菜コーナー、ポテトサラダを200~300円で売ってくれるとか、どんだけ神なんだって思っちゃいますね。
ちなみに、「家庭で作る料理の中で最も面倒なもの」の1位はコロッケだそうな。
ジャガイモをふかしてつぶすのって、大変ですよね。。。

さて。
ポテトサラダと言えば、全ネット民震撼のこのTweetを思い出します。

いやーー、見事に燃えましたねこれ。
もちろん、投稿主さんが燃えたわけではなく、この発言をしたどこかのおっさんだかおじいさんだかが燃え上がりました。
さらに言えば「そういうこと言いそうな周囲の人」をイメージして、なんか腹立っちゃった人もいるのではないかと思います。
お総菜コーナーで安く売られてるからって、簡単にできると思うなよって話で。
「だったらあんた作ってみなさいよ」って多くの人が思ったことでしょう。

と、この話から連想してしまうのが「お友達価格で何かを頼んでくる人」や「以前の条件をそのまま適用しようとする人」の存在です。
ボクを含めた「自分で考えたコンテンツをアウトプットする人」は、大体この手の体験してるんじゃないかと思います。

ほんっとこれ、困ります。
「うちの学校の保護者会で講演して、タダで。」とか。
「社内勉強会で話して。ちなみに、予算は1万円しかないけど。」とか。

コーユー人たちには、ボクの講演料をお伝えするわけですが、「友達だからいいじゃん」とか「以前はこの価格で引き受けてくれましたよね」とか「XXさんはこの値段で引き受けてくれますよ」とか言われるわけです。

一つ一つ反論しちゃいます。

「友達だからいいじゃん」
友達であるということは、ボクが作るコンテンツの価値を下げてもいい免罪符にはなりません。
そもそも、そういう値切り方する人間は友達なんだっけ?

「以前はこの価格で引き受けてくれましたよね」
サラリーマン時代は別の収入があったし、自分のコンテンツの価値がまだ図り切れてなかった部分もあります。
時代とともに価値は変わるモノはたくさんあるし、ボクのコンテンツは、年々価値が上がるようにボクなりに努力しているのですよ。

「XXさんはこの値段で引き受けてくれますよ」
じゃ、XXさんにお願いしてくださいませ。
そもそも、ボクXXさんじゃないんで。

まぁ、言い方や伝え方はそれなりに工夫するにせよ、心中はこんな感じです。
そして、けっこう心が削られます。
ボク悪いことしてるのかな?とか思うことすらあります。

でも、これって「価値設定の違い」なんですよね。
ボク自身も、以前は価値の設定が自分でよくわかりませんでした。
でも、やぱり「自分の人生を通じて得た知識と経験」をコンテンツにしているものには、それなりに価値をつける必要があるかなって思います。
その価値に見合った価格設定をして、それが受け入れられるかどうかはまた別の問題ではあるものの、「価値を低く見積もる人たち」に合わせ続けるのは幸せになれない思考だと思います。

価格を下げる前に、「価格に納得感を持ってもらう価値」を生み出す方に思考を持っていった方がいいかなと思います。

ボクは、「自分コンテンツ化プロジェクトルーム」という名前のオンラインサロンを運営しています。
自分自身の価値に気づき、まず自分自身がそれに納得して、さらには世界に向けて発信できるようになってほしいなと思ってサロンメンバーとコミュニケーションしています。
沢山の人たちが、それぞれのプロセスで気づきを得てくれていて、サロンオーナーとしてはとてもうれしい限りです。
ご興味ある方、こちらからどうぞ。


クリエイターは、常に自分価値を高める努力が求められますし、価値を認めてもらえない悔しさとも付き合い続けなくてはならない宿命があります。
ボクは、「本気でコンテンツを生み出す人」の味方で常にありたいなと思っています。


スーパーのお総菜といえば、山武市に「トウズ」というスーパーがあり、そこのお総菜は実に美味しい。
今回のトップ画像は、一昨日買ってきたトンカツを使ってボクが作ったかつ丼。
我ながらいい出来だ。


料理好きとしては、やっぱこれ気になるんですよね~#


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