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「分断と協調」〜入植者や奴隷、自分の中に存在する矛盾と向き合い続けてきた南アフリカ”カラード”の友人から学ぶこと

ここ数年、私たちはたくさんの「分断」を目の当たりにしてきました。新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた頃から顕著になったアジア人差別、ジョージ・フロイド氏の殺害事件に端を発したBlack Lives Matter(ブラックライブズマター)、ロシアによるウクライナ侵攻、安倍元首相の銃撃と政教分離の論争、あらゆる安全保障をめぐる米中対立…枚挙にいとまがないほど、心の痛くなる現実を突きつけられていると思います。

様々な軋轢を思うとき、どう向き合えばいいのか考えるとき、思い出す人の存在があります。南アフリカ人の友人、Jesmane Boggenpoel、『My Blood Divides and Unites(私の血が分断し融合する)』の著者です。

あらゆる違いを抱えて生きてきた”カラード(混血)”

カラードとは

Jesmaneは、南アフリカの上場企業各社のボードメンバーを務め、公認会計士としても世界経済フォーラムのヤンググローバルリーダーとしても幅広く活躍してきた方です。そんな彼女は、アパルトヘイト時代に、白人や黒人に加えて設けられた「カラード(混血)」の家族に生まれ育ちました。

南アフリカでは1991年まで続いたアパルトヘイト時代に、法律上の上の制度として、白人や黒人、インド系に加えて、「カラード(混血、mixes races)」という分類が設けられました。歴史的に、カラードの起源は大航海時代の1600年代に遡ります。オランダやイギリスから入植してきた男性たちを中心に、コイサン族を中心とする原住の人々との間に生まれた子どもたちがその起源です。さらには、インドネシアやインド、スリランカをはじめ、アジア諸国と交易を拡大していた東インド会社が、南アフリカに奴隷として連れ帰った人々もまたそのルーツを形成していく存在となっていきます。多くの血が繋がった結果生み出されたコミュニティーが、カラードです。

Jesmaneによると、この歴史は長い間南アフリカの中では恥ずべきこととして認識されてきた側面があり、学校の教科書にその歴史が記されることもなかったそうです。レイプによって生まれた子どもが少なからず存在することも、その一因かもしれません。カラードの歴史と深く結びつく奴隷や奴隷収容所の存在については、南アフリカ人でも知らない人が大勢いるそうです。彼女にしてみると、自分のルーツがわからないというのはミステリー以外の何者でもなく、そこから好奇心が芽生え、自分が何者なのかを探す旅が始まったといいます。

Jesmaneのルーツ探し〜遺伝子検査の結果わかったこと

2016年、自身のルーツを探るためにアメリカのスタートアップの遺伝子検査を受けてみたそうです。結果、彼女の血は、ヨーロッパ38.4%(うち6.2%はユダヤ)、アフリカ28.6%、インドをはじめとする南アジア25%、漢民族含む東アジア6.9%由来だということがわかりました。

ルーツについて人種以外の側面も辿ってみると、さらに混乱する事実がわかりました。入植者・植民支配された側の人々、奴隷を虐げた人・奴隷、白人と黒人、ドイツ人・ユダヤ人…歴史的に対峙してきた存在が自分の中に存在することが分かったのです。軽蔑、哀れみ、憤り、同情、愛情…あらゆる感情が沸き起こり、どう受け止めどう整理すればいいのか困惑したといいます。

『My Blood Divides and Unites』の表紙の世界地図が血球で構成されているのは、彼女自身の血が世界中に由来するものであることを表したかったから、世界が自分の中にあるという思いを抱くようになったからだといいます。

分断を越えるための一歩

混沌とした時代を生きる私たちへのヒント

『My Blood Divides and Unites』では、自分の中の矛盾する存在や世界中の紛争や対立に想いを巡らせながら、互いを理解し認め合う方法を模索しています。昨年、オンラインイベントの機会に彼女に改めて話を聞きました。様々な示唆に溢れる対談でしたが、その中でも特に、混沌とした今を生きる私たちにヒントを与えてくれると感じた三つの「分断を乗り越えるための一歩」を紹介します。

Power of Story Telling/ 語りの力

”自分自身のルーツ探求の結果判明した様々な矛盾や対立を乗り越えてきた方法の中で、特に役立ったのが“Power of Story Telling(語りの力)です。人との関わりの中で自分のことを話す時、私たちは慎重に単語を選び、自分の世界観が伝わるように言葉を紡ぎます。一人一人が語る言葉こそが、互いの認識を形成し、関係性を構築していくのです。本の中では、自分自身のストーリーだけではなく、世界中の友人たちから聞かせてもらったストーリーも記しています。互いの心の内を言葉にしてさらけ出した時、私たちは相手に対してある意味弱みを晒すことになるわけですが、それこそが、共感を呼ぶ形で人間関係を築いていくために重要な役割を果たすと思うのです。

企業や団体などから、どうすれば社員やメンバーの仲をより深めることができるかという相談を受ける際には、忙しい中でもなんとか時間と空間を捻出して、一人一人が自分自身の話をできるスペースを作り出すことの大切さを伝えるようにしています。日本の人々は本当に勤勉でハードワーカーであることは重々承知しているのですが、だからこそ意識的に、仕事だけを成し遂げるための関係ではなく、一人一人が個性ある人間として互いに自己開示しながら関わり合うような関係を築くための仕掛けが必要だと思います。”

Power of Reframing/ 額装しなおす力

語りのチカラと並んで、前に踏み出す勇気をくれたのが、”Power of reframing(額装しなおす力、捉え直す力)”です。数年前、奴隷であった祖先が収容されていたであろうケープタウンの奴隷収容施設を訪れたことがあります。その場に足を踏み入れ、その残酷さに身がすくみ、動けなくなりました。長い時間をかけて辛く苦しい航海を耐え、その先でもこんなに厳しい環境に立ち向かわなければならなかったのかと、心が砕けました。”

”スタックしてしまった自分をどうにかしてそこから抜け出させなければと思った時に、意識的に、その祖先を別の視点から見つめてみることにしたのです。まず、奴隷としてこの場所で耐え生き抜いたからこそ、今の自分に至るまで血が続いているわけであり、彼らのレジリエンス(しなやかさ・跳ね返す力)は誇るべきであるということに気がつきました。彼らはただただ犠牲者としてかわいそうなだけの存在ではないと思ったのです。祖先のルーツであるインドやインドネシアに思いを馳せてみると、そこには何世紀にもわたる文明と王朝の歴史があり、それもまた祖先たちを誇り高き存在として捉え直すことにつながる事実でした。奴隷であったという事実は祖先の人生のごく一部であり、それだけが彼らの人生を決めてしまうわけではないと考え直したのです。

Empathy/ エンパシー

自分と異質な存在に対峙する時、守りに入ろうとしたり攻撃的になることは自然なことかもしれません。それは理解できます。ですが、相手の立場に立って向き合うことができた時、お互いの目を見て話し合うことができた時、その対立を私たちは乗り越える糸口を見出せる気がします。エンパシー※は共感という意味ですが、お互いの脆弱さを開示しあって共通点を探っていくことでもあります。

”日本をはじめとするアジアの人々についても、#stopasianhate 運動が加速化する中で、アジア系の人々に対する襲撃や誹謗中傷に対する憤慨や、対峙するための団結の様子が見て取れます。新型コロナの感染の起源をめぐってアジア人が攻撃の標的となったことも、多くの人々の怒りに火をつけました。アジア人に対する攻撃の背景には、人々の無知があるのだと思います。科学的な根拠に基づかない言いがかりや誤解を一つ一つ解きほぐしていきながら、なぜ#stopasianhateなのかということを、人々とともに冷静に訴えかけていく必要があるのだと思います。”

”日本の人々と仕事を共にする中で或は友人関係を築く中で感じるのは、皆さんがとても敬意を持って相手に接するということです。相手を傷つけないように配慮しながら言葉を選んだり、時に感情や思いを伏せたりすることは、それはそれで素晴らしい側面もある一方で、人種などの難しい問題については時に声を大にしてほしいと思うこともあります。衝突や議論を避けようとするがあまり、目の前の問題に切り込むことから自分を遠ざけ、問題を後回しにしたりその場を濁したり、或は無かったこととして通り過ぎてしまうことはないでしょうか。正直に勇気を持って自分の意見を述べることは、その良さと必ずしも矛盾するものではないと思います。時には手厳しい議論も経なければ、違いや分断を乗り越えて、前に進むことはできないと思うのです。

※エンパシー

まず挙げられるのが、エンパシーはシンパシーではないということ。英英辞典によると前者は「他者の感情や経験などを理解する能力」、後者は「誰かをかわいそうだと思う感情」と定義される。能力と感情は別物だ。なにより、エンパシーの対象は広く「他者」。つまり共感できない相手、自分とまったく違う意見や考えを持つ人間に対して、「その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業」なのだ。

日経新聞:他社の靴を履く ブレイディみかこ著

多様性を認め合うことが、協調への第一歩

生粋の日本人として生まれ育ってきた私にとって、「世界が自分の中にある」という状況を生きてきた彼女の話は、衝撃的でした。彼女の語りから学ぶことができたおかげで、自分の中にあった“多様性”に対する理解の幅が少し広がったように感じています。

Jesmaneは自身の探究を少しでも世の中が良くなっていくように役立てたいという想いから、『My Blood Divides and Unites』出版後には世界中を巡り、人々との対話を重ねてきました。その中から得られたフィードバックを踏まえ昨年からはオンラインコースUdemyで、職場におけるD&I(Diversity and Inclusion/ 多様性と包摂性)についての講義を配信しています。

今回の記事執筆にあたり事前にJesmaneに相談したところ、1月末までそのコースを無料で開放してくれたのでご案内します。

世界の混沌とした状況は残念ながら一朝一夕に解消することはなさそうです。そんな時代にどう向き合うか。分断をどう超えていくのか。自分の目の前の正義以外の正義の重みを分かろうとする努力を続け、多様性を認め合える社会を目指したい…Jesmaneの言葉を一つ一つ思い出しながら、そんなふうに思っています。

#分断と協調

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