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マーケティングだけ勉強しても、マーケティングできるようにならない〜その6〜

「マーケティングが出来る」とはどういうことか、の構造を考えるために始めた本記事。
ここまではマーケティングを下のスライドの様な四階層

に分け、「マーケティングができる」こととはどういうことなのか考えています。
*前回までの記事を格納したマガジンは、こちらです。

第6回目となる本記事では、基本階層の「仕事のOS」のまとめとして、物事を観る縮尺を操る、ことについて考えたいと思います。
本記事は、当シリーズの1−3回をご覧いただいてからお読みいただけると、より分かりやすいので、お時間ある読者の方は、ぜひ上のリンクよりお願いします。
まず始めに、筆者がフリー画像サイトから借りてきた、この写真をご覧ください。

読者の皆さんは、この写真をどのように解釈されたでしょうか?

大自然の中を旅する若者?
身一つでどこにでも行けそうな車?
星空に包まれそうな大自然?

他にも色々な見方があると思いますが、ここでいう「解釈」をしている時に読者の皆さんは、心の中で、
・このイメージのどこにフォーカスするか?
・そのフォーカスと周辺要素の関係性の読み取り
・それらを通じた意味付け
といった作業をしているのではないか、と思います。すなわち、こんな感じ。

考えてみると、これはなかなかに面白いことなのではないでしょうか?

(面白ポイントその1)意識して複数のフォーカスを使い分けることの良さ

この写真のどこにフォーカスするか、その結果、写真からどういう関係性や意味を見出すか、ということはひとえに見る人の視点や感覚によります。
また、一度なんらかのフォーカスを与え、写真の見方を成立させてしまうと、それはその人にとって第一義的な解釈となります。
これらを別の言い方で表現すれば、人は無意識に使ったフォーカスにより、その写真の解釈・意味付けを半固定している、ということになります。

逆に考えれば、意識的に色々なところにフォーカスする、ということを実践し、一つの写真を多面的に解釈できれば、我々は同じイメージから複数の意味を抽出することができる、というわけです。

(面白ポイントその2)現実は写真より複雑である、ということ

上の写真のスタディは、あくまで写真であり、それを解釈したり、そこから関係性を見出したり、そこに意味付けしたりすることは、現実世界を解釈・意味付けすることとは大分複雑性が違います。
写真は、現実世界の中のほんの一部を四角いフレームで切り取ったものなので、現実世界のここからここまでを見る、という線引きが、すでに撮影者によって行われています。つまり、現実世界全体の中から写真の領域を切り取るという第一フォーカスが撮影者によって行われており、上のスタディで行っていたフォーカスは、その中でさらにどこにフォーカスするか、という第二フォーカスであったわけです。
現実の中からビジネスの機会を探る時には、このように段階的にフォーカスを絞っていく必要があります。例えば第一フォーカスでドメインを決め、第二フォーカスで競合を定め、第三フォーカスで自社の強みを定めるようなイメージでしょうか。
この時、手前のフォーカスのアタリが悪いと、その後の展開で期待できるポテンシャルが小さくなってしまうので、全ての段階で、面白ポイント1で指摘した意識的・複合的なフォーカスを実践する必要がありそうです。

また、写真の世界では、登場する人・モノ・要素は、あくまで写真に写っているもの限定されますが、現実世界では、今見えていない要素やモノを想像し、それらをフォーカスに含んでいく必要があります。例えば宅配ピザの競合を、同じ宅配ピザの業者に限定して考えてしまっては、同じ簡便食としてのコンビニエンスストアや、同じジャンクフードとしてのファストフードなどとの競争において築くべき競争優位性を見落としてしまいます。一方で、普段のビジネスの中では、あらためて現実世界全体を鳥瞰することはあまりないので、普段見えていないプレイヤーを競合として意識するには、やはり意識的・複合的なフォーカスを実践する必要がありそうです。

さて、話を一旦、写真の解釈に戻したいと思います。

筆者は上で、写真の解釈を、

大自然の中を旅する若者?
身一つでどこにでも行けそうな車?
星空に包まれそうな大自然?

など、比較的素直なものばかり列挙しましたが、例えば

鉄(車体)とゴム(タイヤ)とタンパク質(若者)と・・・
原子核と電子と素粒子と・・・

といったミクロな単位で写真を観ることだって、あり得なくはありません。そして、このような作法で写真を見た場合、我々の一般的な感覚ではフォーカスやフォーカス対象と周囲の関係性を見出すことは難しくなり、意味は極小化されます。

そして、核だ電子だという視点で考えた時に生じる無機質な感覚と、若者にフォーカスを当てた時の、ワクワクするような感覚(無機質な感覚との対比で有機的な感覚と呼びます)とが、同じ一枚の写真に対する、見方の差により生じたものである、ということを改めて考えると、驚きを覚えませんか?

複雑な現実世界を観るとき、意識して有機的な感覚を励起するような見方を採れば、そこから豊潤な関係性や意味を読み解くことができ、多くの機会点を得ることができそうです。そして逆もまた真なりかと。

一枚の写真から読み解いてきた、この2つのこと、すなわち、
(1)意識的・複合的なフォーカスの実践
(2)有機的な感覚を励起する見方を採る
をまとめて物事を観る縮尺を操る、と呼びたいと思います。

今回の日経COMEMOのお題で、3年後に必要になるスキルが問われていました。

物事を観る縮尺を操るスキルは、普遍的に重要なことである、と筆者は考えますが、世の中がより複雑になり、その解釈が重要になるであろう未来においては、より重要になるとも思います。

そして、STPや4Pといった、マーケティングの考え方の根幹にある、とされることを実践していく上でも、これらは決定的に重要であるし、これからはさらにそうなるであろう、と考えています。

読者の皆さんは、いかがお考えですか?


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