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倉庫・物流はどうなる?—「2024年」問題の本質を読み解く

大阪城の西は、かつて海だった。古代に難波と呼ばれた海に接する岸の上に建っている。その海は波が速いから「なみはや・浪速・難波」、魚(ナ)が捕れる庭(ニワ)だから「なにわ」と呼ばれた。難波に日本最古の宮殿配置の難波宮が建設される100年に、難波の津には高床式倉庫が並んでいた

瀬戸内海を通じて、日本各地、大陸とつながり、舟に乗り、交通と物流の要衝だった。人と物が難波の津に集まり、市が立ち、住まいが集積して、町がうまれた。難波から道路と水路が広がり、難波の津で舟に積み替え乗り換え、日本各地に人が交流して、物と文化が混ざり合い、様々なことがうまれた。難波宮から遣隋使・遣唐使が旅立・帰郷して、日本各地への文化・文明の「分電盤」となった。古来より、まず倉庫・物流があり、社会に活力を与え成長させてきた動脈・静脈だった。それは、勘合貿易、朱印船貿易、北前船などを経て、現在も、その役割は変わらない


1 「2024年問題」の問題

物流の「2024年」問題の記事が出ない日はない。

残業時間が規制されるなどで、トラック運転手が不足するのではないか?荷物が運べなくなるのではないか?

その論点に、日本社会の基本潮流である「人口減少・高齢化、人手不足、コロナ禍を契機としたオンライン化・ECの拡充、SDGs、ウクライナ紛争に伴うエネルギー・物価高騰、物流DX、ロボテックス、レジリエンス」などの社会・産業・経済の課題と輻輳して、物流「2024年問題」を複雑化させている。倉庫・物流業界はどうなる?社会にどういう影響があるのか?どうなるのか?物流と倉庫事業は、これからどうする?その答えは

社会の基盤だから、絶対になくならない

「2024年問題」を対処療法的に考えるのではなく、社会全体のなかで物流と倉庫事業とはどういう存在なのか?どうあるべきなのか?から考えていきたい

2 駅馬車会社はどうなった?

明治維新を契機につくられて以来157年間、戦後を契機につくられて以来78年間の日本社会を形成・規定・規制している法律・制度・ルール・技術・社会経済運営システムと現代社会の実態とが機能不全していた。バブル、バブル崩壊、失われた30年、コロナ禍以降の価値観・社会構造の変化によって、さらにルールと社会実態の機能不全が乖離して

なにがなにやら分からない時代となっている

今までのやり方では、通用しないのは明らかである。それは、みんな頭では分かっているが、ここで思考停止する。これまでの前提条件が崩れているのに、機能不全してしまっている前提条件から議論をする、問題解決・対処療法しようとする。その結果、より機能不全が広がり、社会から選択されなくなり見放されてしまうのではないか?

ビジネスをおこなううえで、いつも読み返して肝に銘じる物語がある

英国・駅馬車

「駅馬車会社」の話である

産業革命前のイギリスの主力輸送機関だった「駅馬車会社」は、いかに馬で早く運べるのか、いかに多くの人を物を運べるかという経営をつづけていた。駅馬車会社は駅馬車に固執していたため、新たに生まれつつあった機関車や自動車の存在・動きに気がつかず、お客さまを奪われ、駅馬車会社は衰退していった

若しも自らの事業を「輸送事業者」と定義し、市場・技術の変化を捉えていたら、時代は変わったかもしれない。自動車産業は何屋?家電産業は何屋?散髪屋さんは何屋?と常に問いつづけないといけない時代。とりわけ時代速度がかつてないほど早く、変化の幅は広く深い。止まっていたら、社会に居場所は無くなる。自らが動き、自らの事業を変革しないと生き残れない


(note日経COMEMO(池永)「わが社はいったい何者かを問いつづけよ ─ 再定義の時代」)

3 倉庫・物流を再定義してみる

では古代から現代につづく倉庫・物流事業はどうか?2024年問題もある。人手不足、高齢化、物流DX、グリーン物流、モーダルシフト、物価高騰、有事対応といった問題もある。今までどおりのやり方、枠組みでいいのだろうか?まず

「倉庫があるから、物を受ける」から
「トラックがあるから、物を運ぶ」

へと発想が変わってきているのではないか?
次に倉庫業と物流業とはなにか?

荷物を保管するというならば倉庫業
物を動かすということで捉えたら物流業である

「倉庫」も固定的ではない。たとえば高速道路のサービスエリアにトラックが停まっていて、トラックに荷物が積まれている状態も「倉庫」と言える。大規模の流通センターで、二次元バーコードがつけられ、猛スピードで仕分けられる。DXやロボットを使って、どこどこ行き、どこどこ行きと、仕分けられる

その実は、「運送」と言える

つまり物流センターで起こっているのは、どこどこ向け、どこどこ向けに仕訳ける段階で、「運送」が始まっている

運送は物を動かすこと、ある地点からある地点に移すことである。その本質は、物に対してのトレーサビリティ、それぞれのモノが今どこにあるのをコントロールすることであり、倉庫・物流業とはモノの配置管理、モノの現在の位置を管理する仕事といえる。物流は物を運ぶことと保管するという意味で定義してきたが

DX社会の物流・倉庫事業は
モノの場所・ロケーションを管理する仕事

と定義するほうが現代社会の実態にあっているのではないだろうか?物流会社の本質は「物の位置情報を管理する」という仕事だという定義の見直し、DXの取り込み方があるのではないだろうか?つまりこういうイメージである

モノが高速道路にあれば必ずトラックに載っているだろうし、空路だったらモノは飛行機に載っている。そのとき

モノの位置が移動している

モノの数が増えれば増えるだけ位置の管理は複雑になる。モノの動かし方は、集中がいいのか分散がいいのかの問題に対して、2024年問題も含めて、倉庫・物流会社は試行錯誤している。 まずモノを集中させて長距離を移して小割りにするやり方、最初から小割りにして配送するやり方について、倉庫・物流業界のあり方はこうだという正解はないが

モノの動きの特徴を分析していくことで
おのずと最適な輸送手段が出てくる

このように倉庫の概念・定義が変わってきている。倉庫・物流センターの技術は年々進み、物流センターは「輸送」の一部だと捉えられる

たとえばこんな輸送手段も考えられる。東京で集めた荷物を東京の輸送センターに入れる必要は必ずしもなく、大阪や兵庫で集めた荷物も、そのまま名古屋に持っていき、名古屋で全体の仕向け分析を行い、そこで西向き・東向きに仕分ける方が効率となるかもしれない

なにをいっているかというと、お客さまから荷物をお受けした段階で、モノの行き先情報が分かる。荷物をお受けした段階で、モノ全体を大きく仕分ける。ここで、モノ全体をどういう方法と体制で荷物を動かすかが決まってくる。そうなると、こうなる

倉庫と、トラック輸送・鉄道輸送・海上輸送・航空輸送・ドローン輸送といった輸送オペレーションすることが倉庫・輸送業だろと捉えるのではなく、倉庫・輸送業は

モノ・ヒト・コトの位置情報をコントロールして
最適に流れるようにする仕事

という社会的役割・使命を持つことになるのではないだろうか?

4 再定義して再構築して再起動する

昨年、韓国のハロウィン事故で多くの人が亡くなられた。この事件は様々な要因が輻輳化しているが、人の流れをコントロールできなかったから起こったといえる

この構造は物流でも同じようなことが社会のなかで起こっているのではないだろうか?コロナ禍を契機に、ECが急増して、物流が集中して、いろいろなところで渋滞が起こっている。再配達問題、翌日配送問題、共同配送、ラストワンマイル問題の背景はここにある

日本社会にモノが渋滞している

前提が変わっているのだ。これを対処療法的に考えたり、「2024年」問題をネガテイブに捉えるのではなく、「モノの位置情報のコントロール・最適化」を使命にした変革だとポジテイブに捉える方向性があるのではないだろうか?これからの倉庫・物流業をこう再定義する

物を管理するのではなく
モノの位置情報を管理する

GPS情報を拾って道路交通センターが交通指令したり、通信会社がビッグデータを使って人流を分析しているが、倉庫・物流会社はモノの位置情報を分析して、全体把握を行い、最適なモノの流れをつくりあげることで、社会に貢献する。それは平時に社会・産業に貢献するだけでなく、大地震・風水害などの有事においてモノの位置情報を地域・社会に提供することで課題解決に貢献することになるのではないか?

整理をする。「2024年問題」を踏まえてこれからの倉庫・物流会社の方向性をDXと絡み合わせて考えると、インフラ論やハード論ばかりでなくて

二次元バーコード化されたモノの位置情報の把握
その最適化・最適分布化を進め
それをコントロールできる頭脳を待つこと

が必要となるのではないか?モノの位置情報を握るのは、ゼンリンなどの地図情報会社だけではなく、倉庫・物流会社がその中核をになうべきではないだろうか?

このように「2024年問題」を受け身に捉えるのではなく、倉庫・物流会社の本質を掘り起して、事業の再定義を行い、社会価値を創造していく倉庫・物流事業に再構築・再起動・進化していくという能動的な活動を求められる。

倉庫・物流会社のような再定義・再構築・再起動が必要なのは、他の産業・企業も同じである。いつ動くか?-現在ではないか


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