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ヨーロッパの中世を知るのは面白い。

およそ15年前、『ヨーロッパの目 日本の目』という本を出すとき、帯の推薦文を誰に書いていただくかを考えました。

その時、ドイツで長く生活したことがある、東京の大学で哲学と社会学を教える日本の方に「木村尚三郎(1930-2006)亡き後、欧州の中世について語れる人がいない。その結果、欧州各国についての専門家はいるが、欧州の全体像について語れる人がいない。それは欧州の中世をどれだけ肌身に感じているか?が関わるからだ」と言われたことがあります。

以下の記事を読んで、そのエピソードをふと思い出しました。

気がかりなのはショイブレ氏やドロール氏など欧州全体のビジョンを語る政治家が少なくなったことだ。戦争を知り、平和の実現という理想を抱いて統合にまい進した世代は退いた。ここで針路を誤れば、景気が足踏みするなかで社会不安だけが膨らむ。

欧州統合、失った精神的支柱 深まる「右傾化」の危うさ

今や、欧州のなかにおいてさえ、欧州の全体を考えられる人が少なくなってきたという現実を嘆くのは、ノスタルジーに因るのではありません。この記事で目をひく下記のフレーズにヒントがあります。

精神的支柱を失った欧州統合は推進力を欠き、欧州は右傾化が予想される。

欧州統合、失った精神的支柱 深まる「右傾化」の危うさ

見出しにもなっていますが、精神的支柱と右傾化が強く関連づけられています。どういうことかと言えば、現在、欧州各国における「右傾化」とは、主に反EUと難民・移民をはねつける政策の強調を指します。多様な人たちを統合していくとの基本姿勢をとるEUは、例えば、難民・移民に排他的なハンガリーのオルバーン政権が目の上のたんこぶになるわけです。

さて、EUの成立動機が独仏関係の融和や政治的安定は経済的安定によってもたらされるとの考え方にあるのは周知のことです。だが、欧州全体をまとめて視野に入れるにあたり、冒頭に述べた中世の世界観に馴染んでいるかどうかもかなり大きな要因かもしれない・・・と改めて思いました。

というのも、ぼく自身、最近、中世に関心をもち、この年末年始も欧州の中世を論じる英伊のポッドキャストをそうとうに聞きまくった「にわかオタク」としてエラソーに欧州感覚に言及したいと思ったのです。

「にわかオタク」として認識したのは、「暗黒の中世」という名称に、ぼくも相当に惑わされてきたということです。

専門家の間では、既に評価されない名称のようですが、キリスト教神学がすべての人の考え方を統率し、科学的合理性もそのなかに吸収され、社会的身分が固定化した「昨日の延長としての今日があり、その延長が明日である」との日常生活に対する感覚が当たり前だった(1300年代、黒死病で4分1程度の人口が消滅したにせよ)・・・ローマ帝国やルネサンス期の力強さと比べると、これって暗いよね、と長く思っていたのですね。

しかしながら、ちっともそうではなかったことが、つまりは新しい考え方がいろいろと出てきていたー世界が球体であることは800年代以降、複数の人が表現していた。神聖ローマ帝国とローマのカトリック教会の力が及びにくい場所で自治都市の成立がみられた。あるいは大学の誕生ーことなどをみても、変化はあらゆるところに表れていました。どちらかといえば、日の出前にある暁の時間を連想させます。

そのとき、まだ国家主権が絶対的なものとして認知されていなかった欧州の社会的にあるいは知的上層部の人たちは、ラテン語という共通語を使って(欧州という)世界に関する議論をしていたわけです。もちろん、商人たちはイタリア語やドイツ語も使って貿易をするのですが、ラテン語も知っている。

すなわち、イスラムやカトリック、ギリシャ正教など各勢力の奪い合いが絶えずあり、不安定でありながらも、良くも悪くもヨーロッパ全体を語る(その視界には中東やアフリカ北部も含まれていたと思いますが)ことが普通である世界観があった、ということになります。

現在の欧州の学校教育において、選択か必須かは別としてラテン語の教育は厳然と存在していますが、そこに魅力を感じる人たちがじょじょに減っているのは確実です。

言語であれば各国語ー英語を筆頭としてーの関心の順位がうえで、実践力としてはゼロに近いラテン語に多大な時間を要する意義を見いだすのは難しいです。いくら各国言語の基礎がわかるとか言われても、「まあ、知っていればいいかもね」と軽くいなす学生が多数でしょう。

ただ、仮にこのラテン語への興味の低下が中世理解の重要性認識の低下と繋がっているとすると、「欧州の精神的支柱」の弱体化は当然の帰結になります。EUの高級官僚や政治家というエリートにおいても、この関心低下がありそうなわけですから。

ヨーロッパがヨーロッパである文化的土壌はキリスト教にあると言われてきましたが、実は中世の世界観の共有も見逃せないのではないか、と感じています。

冒頭の写真©Ken Anzai



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