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ミラノ工科大学のデザイン論議を評価するわけ

今週、大阪でデザインの学会4D Conferenceが「次の時代のデザインの意味」をテーマに開催され、世界各国から100数十人の研究者や実践者が集まりました。


これは2017年9月、バルト三国の1つであるリトアニアのカウナスで初回が開催され、2回目を今週日本で開催したわけです。カウナス工科大学とミラノ工科大学の研究者たちの発案で始まったものですが、1回目が終わった直後、ミラノ工科大学の教授から「次は先進国である日本で開催できないか?」と打診されたとき、国の場所も存在も知る人が少ないリトアニア発のデザイン学会に、色々なの国の人たちが大阪にやってくるだろうか?と等、いくつかの疑問点がありました。

そうした先の見えないところからスタートしましたが、各方面のご協力のおかげで、冒頭に述べたように十分な数の参加者においでいただくことができました。因みにオープニングイベントは以下のようなキーノートスピーカーをお呼びしました。



ぼく自身がすごく勉強になったのは、普段デザインの考え方についてイタリアで議論しているレベルが、世界のなかでとても高いということが確認できたことです。いや、イタリア一般というと大きすぎるので、ミラノ工科大学とその周辺でされている議論の質が高い、といった方が正確でしょう。

それを確認するエピソードの1つとして、ミラノ工科大学を卒業しミラノの私立のデザイン学校で教えていた女性であるエレナが、数年前から米カリフォルニアに移り、かの地でゼロからデザインスクールを立ち上げ教えているのですが、彼女は「カリフォルニアでミラノ周辺と同じレベルの、デザインを深く掘り下げることのできる教員を見つけるのに苦労している」と話してくれました。

今、世界の各地でデザインの教育が盛んに行われていますが、それらの現場に招聘されるミラノ工科大学の先生や出身者が多い現実の裏がよく見えた気がします。ミラノで、海外での講演だけでなく、海外の大学の授業を担当する人たちが多いのを身近に見ていて、その理由を「イタリアのデザインのスタイル面での過去の栄光に学びたいとの新興国からの要請か」と漠然に思っていたのですが、それは勘違いだったようです。

その勘違いをしていた1つの理由は、以前、タイのデザイン振興組織のディレクターと話していた際、「米国やスカンジナビアの国のデザイン研究者は、デザインを幅広くとらえた話をしているが、イタリアからのデザイン関係者はスタイルの話が多く、遅れている」と言われたのです。このセリフがぼくの頭にかなりこびりついていました。

だが、それは彼らの招聘する人選がアンバランスだったのか、スタイルをデザインにおいて「古い要素」とする見方をしている、それこそ「遅れた見方」だったのかもしれません。ただ、タイのディレクター側にたって言えば、彼と話したのは、今から5年以上前です。確かに、あの頃にスタイルは世界的にみても劣勢な位置にあったかもしれず、スタイルや審美性の見直しは、この最近の「復活的」動向と言えなくもないです。だから、彼のセリフを批判し過ぎるのもよくない、そうも思います。

いずれにせよ確かに言えるのは、ミラノ工科大学のデザイン学部(一部、経営工学部も関わりますが)は、かつてのイタリアデザインの栄光に溺れることなく、深い思考に基づく新しい言説を生み出す土壌を作ってきた、ということでしょう。ぼくは、特に戦略的な理由もなく、縁あってミラノ工科大学の先生たちと付き合うようになったのですが、今さらながらにラッキーだったと思うのでした。


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