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日本経済「躁(そう)の40年」「鬱(うつ)の30年」その次は?

今年に入り、国内の経済界には明るいニュースが目立つ。日経平均株価はバブル超えを記録し、賃上げと緩やかな物価上昇の好サイクルが認められ、日銀のマイナス金利解除により「金利のある世界」が戻ろうとしている。

巨視的にみると、戦後40余年続いた高度成長期を「躁の時代」、その後30余年の停滞期を「鬱の時代」とするとき、今はその次の時代へ向かう序章と位置付けられる。

戦後から米ソ冷戦にかけては、日本は輸出の伸びが目覚ましく、軍事力よりも民間の活力にお金を回せたラッキーな時代だった。戦中の教育を受けた滅私奉公型の働き手が潤沢にいたことにも、助けられた。必ず明日は今日よりも良くなると信じられた「躁の時代」は、バブルで最終章を迎える。

プラザ合意をきっかけに急激な円高となり、不利に転じた輸出よりも内需振興が重視された結果、公共投資と低金利に支えられた融資に歯止めがかからず地価は高騰。その対策として政策の修正により、バブル経済はあっけなく崩壊に向かう。

その後、平成の30年は、すっかり自信を無くした日本経済が不良債権処理に追われ、次の成長モデルがないまま、中国経済の台頭と米国のイノベーションに追い抜かされる時代となった。97年金融危機、2008年リーマンショック、2011年東日本大震災と災難が続いた「鬱の時代」である。

では、今からはどうか?日本はやっとバブルの傷から立ち直り、令和は再び「躁の時代」に入るのだろうか?残念ながら、世界規模の危機―気候変動から地政学まで―の陰で、昭和とは異なり、高齢化社会となった日本に「躁」が訪れることはないように思う。しかし、これは必ずしも悲観を意味しない。

「欧米に追い付き、追い越せ」という社会全体の手本はないものの、今や日本社会は十分に成熟し、それぞれが世界とつながる個人の力を生かすことで、「ひと立国」を目指すことはできる。そのため、政府の役割は、社会全体をひとくくりに導くものではなく、年齢や性別にかかわらず個人個人が力を発揮できるような社会の基盤を作ることではないか。

幸い、自然災害はあるものの、日本は総じて犯罪も社会の亀裂も少ない「住みやすい国」というステータスを維持している。米国を含め先進国の社会情勢が混乱を極める中で、取り残されたような住みやすさは、守るべき希少な財産だ。明るいニュースで薄日の差す日本経済は、躁でも鬱でもない新しい時代に入ることを予見する。

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